革新 ⑤
強制労働から解放された奴隷たちは熱狂した。
皆、口々に解放を決断した女帝を称え、握らされていたスコップやツルハシを地に投げ、鞭を持っていた監視人が逃げていく背中を笑い飛ばす。
男たちは肩を組んで歌い、女たちは手を取り合って踊った。もはや彼らを縛る鎖はない。彼女らを打つ鞭もない。
まもなく帝国臣民の証である戸籍証明書が送られ、さらに祖国への帰還を問う書類が届けられた。
彼らが出した結論は、否。
つまり帝国に留まることを選んだ。
ようやく自由を手に入れることができたのだ。
ここで祖国に戻ったところで、またほかの国に奴隷として連れ去られていく未来しか待っていない。
何よりも奴隷という家畜同様の身分から解放してくれた女帝へ報いたい、という気持ちが強かった。
手馴れた仕事を続けるものもいれば、志を抱いて都へ旅立つものも現れていく。
給料も今までは日々の飢えを最低限凌ぐだけのパンだったのが金貨に変わり、その気になれば、ひとつだけしか食べられなかったパンを二つ、三つを買うことも出来、ボロの布切れから真新しいシャツとズボンに着替えることも出来た。
夜が訪れれば粗末ながらもベッドで眠ることも出来た。
もはや馬や羊のように、狭い部屋で身を寄せ合って眠ることはない。
夢幻の世界で心を慰める必要もないのだ。
正式に帝国の民として迎え入れられた彼らの仕事ぶりは、奴隷でありしころと比べて格段に高まった。
管理人である貴族も目を見張るものがあり、帳簿を見ても、確実に生産や収益は上がっていた。
とはいえ何の問題もなかったわけではない。
近隣の住民たちは、今まで見下していた連中が自分たちと同じ立場になったことが面白くない者も少なくなかった。
なにせ元々が他国の人間。
鉱山といった、およそまともな人間はやりたがらない仕事をやらされていたのだから、町の人々は無意識に彼らを忌避していた。
買い物や息抜きで元奴隷たちが町を歩いていても、住人は近寄ろうとしない。
ただし商人は別である。
なにせ客が増えたのだ。
しきりに近づいては、金銭感覚に疎い彼らから少しでも金を吸い取ろうと甘い言葉をかけ、商品を勧めてくる。
おかげで商店の売り上げはうなぎ上り。
すると寂れていた町もだんだんと賑わうようになり、中には元奴隷歓迎の店も出始めて、多少の軋轢はあるものの、徐々に住民も彼らを受け入れるようになっていった。
その報せを聞いた女帝ルーネはいたく機嫌を良くし、同時に肩の荷が下りたように安堵のため息を漏らした。
この日ばかりは宮殿の夕食も美味に感じ、彼女にしては珍しく酒をよく飲んだ。
住民とのいさかいも時間が解決してくれることだろう。
新たに発行した私掠免状を受け取った船も早速海へ繰り出し、他国の商船を狩っている。
私掠船が持ち帰る財宝や交易品のおかげで国庫に大した損害もないので、口うるさい大蔵大臣や官僚たちも黙った。
彼女はさらに新たな学校の創設や、浮浪者のための職業訓練所を建てるように議会へ提案すると、信頼を置いている使用人の少女を呼び出した。
「陛下、お呼びでしょうか?」
丈の長いスカートに白いエプロンを着た少女の肌は浅黒く、彼女も解放された元奴隷であることを示していた。
物心ついたころから宮殿で奉公してきた彼女は、恭しい態度と仕草で主君に一礼する。
ルーネは申し訳なさそうに彼女へ微笑みかけた。
「突然呼び出してごめんなさいね、メリッサ。お仕事の途中だったかしら?」
「いえ、陛下のお世話をするのがわたしの仕事でございますので、どうかお気になさらないでください」
と、メリッサは幼さが残る顔で屈託のない言葉を述べた。
メリッサもまた祖国への帰還を断った一人である。
同じく奴隷であった両親は病で既に亡くし、身寄りのないメリッサを女帝専属の使用人にしたのは、ほかならぬルーネ自身だった。
以来、実の妹のように目をかけている。
そしてメリッサも、そんなルーネを誇らしく思い、内心で姉の如く慕っていた。
「御用は何でしょうか?」
問うてくるメリッサに、ルーネは少しばかり声を小さくして答えた。
「喪服を用意してもらえる? こっそりと、見つからないように」
「喪服、でございますか? 何処かのお葬式にでも?」
「理由は聞かないで頂戴。思うところがあってのことよ。お願い」
「……かしこまりました。すぐにご用意いたします」
忠実なメリッサはほかの使用人や貴族たちに悟られることなく、女帝の衣装が山のように収められた衣裳部屋から、修道服に似た漆黒の喪服を一着持ち出した。
「お待たせ致しました。喪服でございます。誰にも気づかれなかったと思います。たぶん」
「ありがとう。着替えを手伝って頂戴」
ルーネはドレスを脱ぎ捨て、それをメリッサがあわてて拾い上げながら、手際よく着付けを済ませていく。
「少し出かけるわ。口外しないようにね?」
「ですが、大臣閣下が訪ねられたときは如何なさいますか?」
「大丈夫よ。彼らはドアをノックすることも出来ないから」
そう言ったルーネがメリッサを伴って部屋を出ると、ドアに掛けられていた札をひっくり返した。
そこには荒縄が巻きつけられた髑髏が描かれ、その上に
『睡眠中』
と赤いインクで書かれていた。
メリッサはゾッとして生唾を飲み込み、掛札に気を取られているうちに、ルーネはいつの間にか姿を消していた。
人知れず宮殿の裏庭から外に出たルーネは、都から少しばかり離れた岬へ向かう。
民家もなく、ただ新緑の草花に覆われた岬からは都と海が一望でき、そこに不自然な形で石造の十字架がひっそりと立てられていた。
ルーネは持参した白い花を墓前に供える。
そして暫しの間黙祷すると、海風を浴びながら帝都を見ながら、墓の主へ語りかけた。
「今にして思えば、あなたの気持ちが分かります。国を背負い、国を守り、国を変えていくことの辛さと重みを。今の都をご覧になって、お怒りですか? それとも、喜んで下さいますか? あなたに言われたように、私は私の手で、この国を変えていきます。どうか安らかに、父とともに見守っていてください……叔父上」
皇女であった彼女を脅かし、玉座を簒奪した大公の祖国を憂う想いを胸に、ルーネは換わり行く時代の流れを風に感じていた。




