革新 ③
古今に関わらず、およそ身分や地位というものは得てして血筋やら家柄によって少なからず左右されるものである。
こと国の中央に関わる貴族であれば尚更で、世襲により当主から長男へ代々領地と爵位を受け継ぐ。
そして代々の当主は時の皇帝に仕え、あわよくば更に上の位を目指して領地の管理や税収、あるいは戦に励む。
だが平穏無事な世の中で産まれた貴族の子は、幸か不幸か、物心ついた時から多くの者たちに頭を下げられながら育つ。
親である当主が厳しく躾ける家もあれば、我が子可愛さのあまり、下々に理不尽な要求が押し付けられることも多い。
ともすれば貴族の長男の多くが、さしたる苦労も無いままに育ち、なまじ勉学を修めることによって妙な世渡りの上手さを見つけていく。
こと自分よりも上なのか下なのか、という至極単純な見方で相手への接し方を選択するあたりは誠に卓越した才能が身についてしまう。
そしてそのボンボンが当主ともなれば、統治される領民はたまったものではない。
なにせ偉そうにふんぞり返っている貴族様は、パンがどのようにして作られているのか、その小麦はどのようにして育つのかすら知らないのである。
それだけならば無知蒙昧だと陰で笑われるだけで済むが、功を焦って領民に無理な開墾や労働を強いることもあれば、私利私欲のために法で禁じられている重税を課すこともしばしばであった。
おかげで領民は働けども暮らしは良くならず、貴族に対する恨み辛みは徐々に膨れ上がっていく。
やがて民の怒りはその手に握る鍬を剣に替え、数々の国が彼らの手によって倒された。
否、民だけではない。
それよりも下の立場、他国から労働力という名の品物として売買された奴隷たちこそが、ある意味で最も危険な存在といえた。
自国の人間ならばまだしも、奴隷たちは所詮他国の余所者という認識が根強いゆえに、肌の色の違いやら喋る言葉の違いなどで、さながら家畜の如き目で蔑まれているのだから。
一部の教養のある奴隷たちは都の宮殿で奉仕に勤しんでいるが、文字も礼儀作法も知らぬ男たちは、炭鉱や金山、商船の漕手、農奴として肉体が滅びるまでこき使われているのが現状だった。
給金も与えられず、自由も保障されず、役に立たなくなれば無残に打ち捨てられる。
主なる神の使徒を自称する聖堂教会でさえ、少なくとも彼らに対して慈悲を示すことは稀なことであった。
執務机に積み上げられた書類の中には、各地方を治めている貴族から月々の収支報告が纏められているが、純粋に稼いでいるのは他ならぬ奴隷や民たちである。
暖炉の炎に暖められ、灰色の雪雲に覆われた空を窓から見上げる女帝ルーネの蒼い瞳に、強い憂いが浮かんでいた。
「今日も寒い日……彼らは、寒さを凌ぐ服も、食べ物も、足りていない……」
彼女の胸の内には一つの決心があった。
女帝として冠を受け継いだときから自身がやり遂げるべき事業と考え、間もなく実行しようとしている。
翌日の議会に出席した彼女は、取るに足らない議題についてあれこれと論争を繰り広げる大臣や貴族議員らに辟易していた。
万民の意見を取り入れ、資格のある者が自由に意見を交わし、より良い答えを導くために設けた議会も、腹の中に渦巻く私欲が見え隠れしている。
そして議会を纏めるべき宰相も言を左右にして中立を保っていた。
彼らが真に決断し、理路整然と国の利益を求め、女帝の机に書類を叩きつけてくる程の気概があれば、かかる苦労も無いものを……。
などと危うく口から漏れかけた溜息をグッと飲み込んだところで、結論に達しないまま、彼女が個人的に提示していた議題へ移り変わった。
「続きまして、『貴族の長男における勤労の義務』における審議に移らせて頂きます。この法案は畏れ多くも陛下御自らご提示なさいましたので、主旨について、陛下よりお言葉を」
宰相に促された彼女は玉座から立ち、一同を見渡しながら言葉を紡ぐ。
「諸侯らもご存知の通り、我が国は古来より高貴なる者は国を動かし、下々の働きによって支えられてきました。しかし昨今の貴族界を見るに、民を率いるべき男子の軟弱ぶり、世間知らずぶりには呆れて物も言えないわ。統治する民が如何なる仕事をし、生活をし、家族を養っているのか。それを知らずして、どうして民心を安んずることが出来ましょう」
ぽつぽつと居合わせた貴族の中にも頷く者が出始めた頃を見計らい、彼女は畳み掛ける。
「そこで私は、貴族の家督を継ぐべき長男に、最低でも一年間の労働を義務としてこなして頂きたい。もしこれに従わぬ者、あるいは期間を満了せずに放棄した者は、貴族たる資格に値しないものとし、女帝として家督の相続を一切認めません」
勤労の義務はまだしも、家督相続も認めないという彼女の意向には、流石に貴族の中から反対意見も出た。
「陛下、畏れながら申し上げます。古来より我ら貴族は家督を長男に譲るもの。それを認めぬと仰せになられては、家々の存続に関わります。何卒、家督の件はご再考を」
「子爵家からも申し上げます。そも、上に立つ者が下々と同じ仕事をしては、貴族としての威厳が損なわれ、ひいては帝室への尊敬も危うくする恐れも御座います。これは全く前例なきことでございますゆえ」
抗議の声に彼女は首を横に振った。
「帳面だけで民の真実が分かるものですか。民の心を知るには、民と同じものを着て、同じものを食べ、同じ仕事をする以外には無いの。勿論、命の危険がある重労働を強いるつもりはないわ。けれど相応の勤労には従事してもらいます。女の身である私でさえ、死と隣り合わせの過酷な船上勤務をこなせたのですから、男児たるものがこなせないはずは無いでしょう? 今ある前例はかつて祖先が作り上げたものであり、今度は私が未来の前例となります。それでも異議のある者は名乗り出なさい」
この場にいる誰もが彼女の経験を知っている以上、口を閉じる以外に術が無かった。
同時に、彼女の頑固さも周知の通り。
一度自身がこれと決めたことは容易に曲げはしない。
そして障害となる者達がどういう末路を辿っていったのかは、貴族の記憶に鮮明に刻み込まれていた。
宰相が裁決を取ると、全会一致で可決された。
「では各々の領地で管理運営している仕事のうちから、長男の意向も聞いた上で決定なさい。また職場の責任者と連署の上、報告書を提出すること。では宰相、散会なさい」
「はっ……」
目的の第一段階は始動した。
再び執務室に篭った彼女は、侍従に用意させたサンドイッチを頬張りながらペンを走らせる。
海が恋しい、船が懐かしい、彼の下へ戻りたい……。
女帝ではなく、一人の少女ルーネとして、水平線の彼方へ向けて旅をしたい。
おもむろに机の引き出しを開けると、そこには一丁のピストルが箱に仕舞われていた。
自らの指でトリガーを引き、自らの叔父を倒し、自らの道を切り開いた、彼女の牙。
両手に載せればずしりと重たく、まぶたを閉じて蒼い海原にいた日々を思い出す。
やがて思い描いた光景は夢幻となり、彼女は暫しの間、女帝としての多忙を忘れるのであった。




