手土産 ⑤
「陛下! そのようなこと、私どもでやります! どうかお手を止めて下さい」
使用人たちの困り果てた声に囲まれた女帝ルーネフェルトの手には、己が先日まで着ていたシルクの下着が泡立つ桶の水に浸されていた。
服装もいつも着ているドレスではなく、私服のチュニックにズボンと動きやすいものを選び、慣れた手つきで自分の衣を洗っている。
ひと通りの作業を終えたルーネは額を腕で拭いながらキッパリと言った。
「自分の服も洗えないような者に、家を纏めることなんて出来ないわ。それに私だってあなた達と同じ女だし、体を動かさないと気分が落ち込んでしまうもの」
言いながら洗い終えた洗濯物を乾いた桶に移し替えて両手で抱え、日が高いうちに干してしまおうと洗い場から廊下へ出たところで、ローズとヘンリーに出くわした。
直ちに床へ膝をついたローズが臣下の礼を尽くすも、その後ろに立つヘンリーは気さくに右手を挙げて挨拶を送る。途端にルーネは抱えていた桶を使用人に投げ渡し、二人に駆け寄って、ヘンリーの逞しい両腕を掴む。
「ちゃんと生きてるよね?」
酷く神妙な顔で見上げてくる彼女の髪を、ぐしゃぐしゃと掻き撫でた。
「当たり前だ。お前さんこそ、またぞろお転婆に海に出て襲われちゃいないかと思ったぜ。で、何をしていたんだ?」
「見ての通り、お洗濯。客間で少し待っていて。すぐに干してくるから」
「いいのか? 使用人どもが仕事を奪われて恨めしそうにしているぞ?」
「途中で投げ出すなんてゼッタイに嫌なの。船長だって知っているでしょう?」
「まあな。お前さんの強情には手を焼かされた。それより、土産がある。急いで片付けてこい」
強く頷いたルーネは使用人たちを引き連れて洗濯物を干し、一旦私室に戻って着替えを済ませ、改めて客間でくつろぐヘンリーのもとに訪れた。
特別に誂えさせたソファに寝転ぶ彼の大胆さにくすりと笑いながら自身も腰を下ろすと、ヘンリーは懐からダイヤモンドが散りばめられた純金の十字架ネックレスを取り出し、彼女へ投げ渡した。
「綺麗……これがお土産かしら? 船長らしくない心遣いね?」
「そいつはオマケだ。土産は、こっち」
そう言って机の上に置かれた小さな酒樽。
首をかしげるルーネの前で座り直したヘンリーは、蓋に手を掛け、一度彼女の目を真っ直ぐ見た。
「ビビって戻すなよ? 腹くくっておけ」
彼女が強く頷いたのと同時に蓋をあけると、中には塩漬けされた首が一つと切断された手首が二つ……。
ごくり、という生唾を飲む音が妙に響いた。
無論ルーネのものである。
しかし彼女はドレスのスカートを強く握って心を保ち、土気色に変わった髭面と正面から対面した。
「素敵なお髭ね? しかも両手まで。まさかとは思うけれど、手土産とか言うつもり?」
声色を変えぬまま冗談を言えるあたり、胆力は以前と変わらない様子。
それに安心したヘンリーは微笑を浮かべ、パイプを咥えた。
「あの要塞の頭目だ。名前は……あぁ、バルガスとかいったな。例の要塞は今や瓦礫の山だ」
「そう……ご苦労様。詳しい話は食事のときにでも聞かせて戴くわ。次の出港まで都で休んでいて。宮殿は息苦しいのでしょう? 然るべき寝床を用意させるわ」
「そいつはありがたいね。小奇麗で腹黒い貴族どもがひしめき合う場所は性に合わん」
紫煙を纏う彼は手をひらひらさせながら嫌味っぽく笑う。
ルーネもそのことは重々承知しているので、彼からの贈り物を受け取り、客間を出た後すぐに従者を呼びつけた。
「外務大臣を執務室へ。それと、南方王国の大使館に遣いを送って頂戴。今宵、謁見を許す、と」
「畏まりました」
直ちに行動へ移ったルーネの顔は険しく、一国の主に相応しい威厳を漂わせていた。
執務室に召しだされた外務大臣は一体何事かと緊張している。
なにせ例の私掠船が都に戻ってきたのだ。
その直後に呼び出されたとなれば、外交官の立場として悪い報せに決まっている。
しかも主君の机の上には似つかわしくない酒樽が置かれ、彼女は椅子に座ったまま頬杖をついて考えに耽るまま押し黙っている。
その視線の先には帝国と南方王国を描いた地図が掲げられていた。
只ならぬ空気が部屋を満たしている。
大臣は、彼女の蒼い瞳に、何か言い知れぬ覚悟のようなものを感じ取った。
声をかけることも出来ず、ただ直立して彼女の言葉を待った。
どれほどの時間が流れたのかと思われたが、実際は十分程度しか経っていない頃、地図を凝視していたルーネの手が酒樽の蓋を開けた。
「御覧なさい」
低い声で命じた彼女の目に、顔を引き攣らせる大臣が映る。
「陛下……これは、一体?」
「南方王国軍、フェリペ島、サン・フアン要塞の総督、バルガス侯爵の首よ」
「な、なんですと……?」
「准男爵ヘンリー・レイディン卿に命じ、かの要塞を攻略させました。今宵、南方王国の大使と謁見します。少し脅して差し上げましょう」
大臣は肩を震わせていた。
言うべきか否か迷いに迷った末に、大臣は意を決して主君を諌めた。
「陛下、率直に申し上げます。我が帝国は亡き先帝より以前から平穏を保ち、近隣諸国との外交的友好を保って参りました。確かに南方の香辛料は我が国にとって必須でありますが、殊更に波風を荒立て、無法者たちに略奪の免状を安易にお与え続けるのは、如何なものかと……」
机を叩く音がそれを遮った。
彼女の白く可憐な顔に烈火の如き怒りが顕になっている。
「平穏? 外交的友好? 我が国の大臣ともあろう者が、そんな建前に囚われていたなんてね。恥を知りなさい! この帝国が帝国である所以とは何か! 皇祖より先帝に至るまでただの一度も他国に領土を荒らされなかった理由は何か! ただ一つのシンプルな答えよ。奪われる前に奪い、殺される前に殺したからよ! 国家とは一頭の巨大な獣。ただ何もせずに草を食み続けていればいずれ狩られ、民も土地も財も食い尽くされる。何のための軍か! 何のための外交か! この私の目が蒼い内は断じて他国の好きにさせたりはしない! この頭上に冠を被ったその日から、私はこの国と運命を共にしなければならない。そして私は平穏という名の滅びへの道など絶対に受け入れない。父祖と同じように、私はこの国を強くする。豊かにする。そのために――」
彼女は拳を固め、南方王国の首都を叩いた。
「目の前にいる邪魔者を叩き潰すわ。この香辛料の栽培を我が手に収めてみせる。女帝の名のもとに命じます。外交部はあらゆる手段で南方王国の内情を探り、また他の衛星国にも揺さぶりをかけなさい。ただし相手との交渉は続けること。報告書は議会を通して私に見せなさい。それとも……少し早めの老後生活をお望みかしら? 北方の山々に別荘を建てて欲しい? それとも南の島でバカンスと洒落込む?」
途端に大臣は後ずさった。
忘れもしない三年前、亡き大公の側についた貴族たちがどういう目にあったのか。
貴族たちに愛想笑いを浮かべ、言われるがままに宮殿の舞踏会で挨拶を受けていた頃の皇女とはまるで違う。逆らうことなど出来るはずがない。
「承知いたしました、女帝陛下。御意に沿うため、全力を尽くします」
「よいお返事だわ。頼もしい臣下を得られたこと、喜ばしく思います」
怒りから一転して屈託のない笑みを浮かべた彼女に恐れ慄いた大臣は、逃げるように執務室を後にした。
夜の帳が降りた頃、大使館から宮殿に向かう南方王国の大使は酷く不機嫌だった。
ヘンリー率いる私掠船の横暴に抗議してからというもの、適当な理由をつけて謁見を拒絶され続けて、本国からも叱責の書類が送られ続けてきたのだから、今になって突然謁見を許すとは迷惑千万だと憤慨していた。
が、国王からの信任によって大使を拝命した手前、自分の感情で動くわけにはいかない。
黒いコートにシルクハットで正装した大使が、玉座に座る女帝の前で恭しく一礼する。
「麗しきご拝顔の栄を賜り、恐悦至極で御座います。こちらと致しましても、陛下とお話出来る機会を待ちわびておりました。して、今宵は如何なるご用件で御座いましょうか?」
「わざわざのご足労、痛み入りますわ。ご存知の通り、我が国と貴国とは長年来の友好関係で結ばれた間柄。わたくしとしても、久しくご昵懇に願いたく思っております。そこで大使である貴公に一つお願いがあるのです」
「は、はぁ……私に出来うることであれば何なりと」
「貴国の国王たるカスティエル三世陛下と親しく御対面したいので、是非貴公から取り計らって頂けないかしら?」
すると大使は申し訳なさげに言葉を濁す。
「恐れながら……国王陛下は非常にご多忙につき、また、昨今の海上交易路における治安を鑑みましても、御対面の儀は難しいものと……」
「勿論、それはよくわかっておりますわ。けれどこちらとしても、即位してから一度もご挨拶することが出来なかったことを日々思い悩んでおりましたの。近々そちらへ伺うかもしれないとお伝え願えるかしら?」
「最善を尽くします……」
「感謝しますわ。ああ、それと。貴公に手土産をさし上げましょう。わたくしからの気持ちなので、是非受け取って頂きたいわ」
彼女が手をたたくと、控えていた使用人が両手に乗る大きさの箱を大使へ渡した。
「有難き幸せに御座います。ご無礼と承知の上でお尋ね致しますが、これは一体……?」
「開けてもよろしくてよ?」
女帝からの許しを得た大使が恐る恐る箱を開けた直後、小さな悲鳴をあげて箱から顔を引き離した。
なぜならその中には、他ならぬバルガス総督の『手』が入っていたのだから。
「お気の毒なことに、貴国の侯爵閣下が何者かの手によって不幸に見舞われたとのことですわ。長年の友好の印として、せめて彼の手だけでも故郷へ戻して差し上げたいの。くれぐれも……国王陛下によろしく伝えて頂戴ね? 衛兵、大使がお帰りよ。表まで送って差し上げなさい」
女帝が指を鳴らすと衛兵たちが震える大使の両腕を掴み、そのまま引きずって大使館へ送り返した。
帝国の貴族たちでさえ目の前で起きたことに思考がついていかず、視線が一斉に玉座へ向くと、そこには目を細めて口元を釣り上げる女帝の姿があった。




