手土産 ①
サン・フアン要塞が陥落し、総督のバルガス以下百五十名の捕虜を得たヘンリーたちは、改めて要塞内部に踏み入って略奪を始めていた。
武器弾薬は元より、食料や兵士たちの私物、総督の金庫、果ては高く売れそうな調度品に至るまで、戦いの腹いせとばかりにあらゆるものを戦利品として船へ運び込んでいった。
特にヘンリーが気に入ったのが、バルガスの私室で見つけた、ダイヤモンドが散りばめられた純金の十字架ネックレスだった。
また地下部分の宝物庫にも今まで拿捕した海賊船や商船が積み込んでいた財宝類も蓄えられており、ざっと見積もっても、この冒険に対する見返りとしては十分な収穫を得たといえる。
無論、こちらがわの損害も馬鹿にならない。
船の修理や船員の補充など、考えねばならない問題が山積みだった。
とはいえ要塞を陥落させたことはこの上ない快挙なので、港では早速分捕った食料を存分に消費すべく大宴会の支度が進められていた。
崩れた城壁にはヘンリーの旗が翻っている。
帝国の旗を掲げないのは、あくまでも建前を重んじてのこと。
羊を捌き、酒樽を開け、濃厚なチーズや新鮮な果物が山のように盛られて勝利者たちの胃袋を満たしていく。
バルガスをはじめとした捕虜たちは、皮肉なことに要塞の地下牢に収監されていた。
皆、押し黙ったまま動く様子もなく、自分たちの運命を静かに待っていた。
そこへ顔を見せたのが、ウィンドラスを傍らに従えた他ならぬヘンリーだった。
「ごきげんよう、負け犬諸君。手前らが作った檻に入るとは、哀れなもんだな」
兵士たちが女々しく震える中、総督のバルガスだけが威厳を保ち、彼を睨み返す。
敗残の将の精一杯の抵抗にヘンリーは鼻を鳴らした。
続いてウィンドラスが丁重な物腰で口を開く。
「要塞司令殿にご足労願いたい。我々との、交渉の席へ」
「交渉? 交渉だと? 一方的な攻撃、破壊、略奪をしておいて、何を交渉するというのだ。たとえ敗残兵といえど南方王国軍、賊と語らう舌など持たぬ。殺さば殺せ」
「お望みとあれば今すぐ全員の首を刎ねてやるさ。だがな、髭面よ。手下の命を粗末にしちゃいけねえ。百五十人の命があんたの舌にかかってるとあっちゃあ、同じ言葉を二度吐けまい?」
ヘンリーに言われ、周囲の兵たちの顔色を伺ったバルガスは押し黙る。
皆、死の恐怖に支配されていた。
もはや誇りも規律もなく、ただ生き延びたいという純粋な願いだけが顔色に濃く浮かび上がっている。
嗚咽を噛み殺す者や、懇願するようにバルガスの背を掴む者もいた。
バルガスは暫しの沈黙の後、弱々しく言葉を紡ぐ。
「……承知した」
牢獄からバルガス一人のみが出され、身体検査の後に手錠をかけられた状態で荒れ果てた要塞司令室へ連行された。
部屋の扉が閉められ、室内にはヘンリーとバルガスの二人だけが残されている。
扉の外側では事の成り行きを伺おうとする水夫たちが集まっており、皆が固唾を呑んで聞き耳を立てていた。
ヘンリーは椅子に腰掛けるバルガスを見遣りながら壁に背を預け、静かに、しかし酷く冷淡な声色で言い放った。
「あんたの首を貰いたい」
すると押し黙っていたバルガスが、反問した。
「それは、貴様の主の望みか?」
「あいつは関係ない……というのが建前なんだがな。今更になって隠すことも無かろうよ」
「戦を始めるというのか? 愚かな小娘め。女帝などと持て囃され、権力に魅了されて人の道すら見失うとは。帝国が滅びる日も近かろう」
「かもしれんな。だが、あいつは世界の理を心得ている。なにせこの俺の見習いだ。力で奪い、情けは無用。そして力とは俺のことよ。あいつが手前の首を望んでいる。だから俺が取る。他の雑兵の首なんざ知ったことじゃねえよ」
「なるほど。兵どもの命で、この首を買おうというのだな?」
「そうさ。安い買い物だと思わんか?」
「命の重さを何と心得る」
「銃弾一発分の重さよ。命なんざ。で、答えは?」
懐から取り出した銃弾をピストルに込め、撃鉄を起こすヘンリーの最後の問いに、バルガスは首を縦に振った。
「汝らに神の災いあれ」
「交渉成立だな」
部屋の中に銃声が響き、何事かと部屋に押し入った水夫たちの眼前に、物言わぬ骸がうなだれていた。
「そいつの首を塩漬けにして船に運び込め。残りはありったけの火薬を用意しろ」
「へい!」
部下らに指示を下したヘンリーの耳元でウィンドラスが尋ねる。
「捕虜たちは解放するのですか?」
「ああ。皆殺しにすりゃ、この要塞の有り様を吹聴する奴がいなくなるからな。船の修理を急がせろ。キングポートまで保てばいい。マストが折れたアルバトロスは置いていく。ベッケルには悪いがな」
「占拠した要塞を捨てるのですか?」
「いつまでも骨を齧る趣味はねえよ。第一、補給の見込みがないからな。留まったところでジリ貧だ。ただし徹底的に後始末はしていくぞ。立つ鳥あとをなんとやら、だ」
「了解しました」
檻から解放された兵士たちは帆のついた短艇に乗せられ、遥か遠方の本国目指して波間の彼方へ消えていった。
彼らが無事に辿り着いたかどうかは定かではないが、一応の約束を果たしたヘンリーは船の応急修理が完了するまでの一週間をフェリペ島で過ごすこととなる。
押収した食料に加えて森に住む鳥や獣を狩り、また木々を伐採して臨時の木材として各所の穴を塞いでいった。
尤も、船大工のキールは造船所にあるようなきちんとした木材でないことに終始不満を垂れていたのだが。
仕留められた獣は解体され、さらに保存が効くように燻製にされた。
要塞を爆破するための火薬は接収したものと船に残されたものを全て注ぎ込み、今やグレイ・フェンリル号の牙は見かけだけの虚仮威しに過ぎない。
「帰路で敵艦に発見されればお終いでしょうね」
冗談交じりにウィンドラスが肩をすくめると、ヘンリーはフッと笑いながら騎士の駒を盤に置く。
船の中で最も豪奢な船長室もすっかり戦いの傷でボロボロだった。
撃ち込まれた砲弾によってベッドは粉々になり、辛うじて原型を留めていたソファと机に着いて息抜きのチェスを愉しむ。
「大抵のやつは砲を見りゃ逃げ出す。相手はこっちが弾切れだなんて知らんからな」
「ははは、確かに。ときに、船長」
「なんだ?」
「チェックメイト」
咄嗟に盤面を見下ろしてみれば、ヘンリーの王は既に逃げ場を失っていた。
相も変わらず盤面の戦いで右に出るものがいない航海士の腕前に、流石のヘンリーも辟易していた。
彼が固まっている間にも駒を片付けていくウィンドラスは気さくに語る。
「毎度毎度、あなたには驚かされる。今度という今度は私も覚悟していましたよ」
「人間、死ぬ気になりゃ何だって出来るもんだ。戦いも、博打もな」
「私は人が死なないチェスのほうが好きですが」
「人間を駒にしか見えんようになったら、それこそお終いよ。あいつには、そうはなって欲しくないな……」
ごろりとソファに寝転がったヘンリーはすぐに深い眠りに落ち込んでいった。
血なまぐさい戦いは終わり、顔は笑っていても常に張り詰めた空気を保っていた彼の心労を察したウィンドラスは、何も言わずに船長室から退出していった。
翌日、要塞に仕掛けられた爆薬が点火され、サン・フアン要塞は城壁だけでなく地下通路も崩壊していく。
アルバトロス号の乗組員を吸収したグレイ・フェンリル号はキングポートへ向けて出帆し、瓦礫の山に翻る狼の旗だけが、去りゆく背を見送っていた。




