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攻防 ④

 港湾を制圧され、砲台も沈黙したという報せは、要塞内部に立て篭もる者たちに大きな衝撃をもたらした。

 たかが海賊風情に、よりにもよって、南方王国が誇るサン・フアン要塞が追い詰められている。

 兵だけでなく士官の顔にも嫌な汗がにじみ出した。

 随所に設けられた小さな見張り用の覗き穴から現在の状況を伺った兵が、司令室の机につき、沈痛な顔をうつむかせるバルガスに事の次第を報告していく。


「げ、現在、賊軍は第一岸壁を占拠しており、入り口に多数の砲を向けたまま待機しております」


「……レイディンは切れ者だ。勢いに任せてこちらの懐に飛び込みはしなかったか」


「まさか火船を使うとは想定外でした。統率も指揮も見事なものです。中々どうして、流石はマーメリアの灰色狼と呼ばれるだけのことは……」


「狼だと? フン、奴は狂犬だよ」


「如何なさいますか? 兵や士官にも、少なからず動揺が」


 側に控えていた参謀が遠慮がちに尋ねた。

 バルガスはすぐに答えることが出来ない。

 頭の中で様々な憶測が、焦燥と恐怖によって彩られていたからだ。

 果たして賊の船は二隻だけなのか?

 あるいは森の中にまだ手勢が潜んでいるのかもしれない。

 この要塞を攻略するにはそれ相応の準備をしていることは間違いないのだ。

 否、否、レイディンが、ではない。

 その背後、かの帝国がこの要塞を除こうとしているのだ。

 レイディンはその手先に過ぎない。

 ならば連中を捨て駒として投入し、その後に帝国艦隊が要塞を攻略する手はずなのではないか? 

 でなければあまりにも無謀過ぎる。

 思いの外、賊の力が強力であったが、その上に帝国軍まで攻め込んできては万事休すだ。

 本国への連絡手段も絶たれ、残る兵も心許ない。

 バルガスは机を強く叩いた。

 その音に参謀たちが目を丸める。


「敵とて襲撃の疲れ、傷は未だ癒えておらん! 人間が最も油断する時間は夕刻と明け方だ。逆襲は明朝、日の出と同時とする。たしか、緊急時のために作った地下水路があったな?」


「はい。森の中へ抜けることが出来るはずです」


「よろしい。兵たちには十分な食事を与えておきたまえ。明朝が決戦だ。栄光ある勝利か名誉の戦死。それ以外は認めん!」


 参謀たちは背筋を伸ばして敬礼した後に退室し、一人残されたバルガスは、背後の壁に掲げられた国王の肖像画に一礼する。

 もはや覚悟していた。

 二度と祖国の土を踏めぬことを。

 願わくは後に遺された家族が平穏無事な生涯を全う出来るよう、彼は祈った。


 一方、作戦を伝え聞いた兵士たちは青ざめていた。

 誰の心にも、この大要塞が風前の灯であることは明らかだった。

 重苦しく沈んだ空気の中、食事のスプーンは動かず、黙々と剣の手入れをする者もいれば、体を丸めて嗚咽を噛み殺す者もいた。

 こと先刻まで岸壁や城壁で賊と剣を交え、命からがら逃げ延びてきた者たちの脳裏には、あの男の狂った笑みが焼き付いていた。

 人間の姿形をした獣、罪なき船乗りを食い殺す灰色狼。


「も、もういやだ! 限界だ! こんなところで死にたくない! 祖国に帰りたい!」


 恐怖に押しつぶされそうになった若い兵士が叫ぶ。

 命綱である銃を床に叩きつけ、偽りなき本心が口から溢れでた。

 すぐに上官が飛んできて頬に鉄拳がめり込む。


「黙れ! 軍規を乱す発言は許さん!」


「ぐっ……畜生! 畜生! どうせ俺たちは皆殺しにされちまうんだ! あんただって聞いたことがあるだろうが! リンジー島の住人たちが、奴らに皆殺しにされたって話を! 女子供に至るまでだ! 降伏したって、みんな殺されちまうのが関の山さ!」


「黙れぇ!」


 士官のピストルが火を吹いた。

 放たれた銃弾は抗議する兵のすぐとなりに置かれていた花瓶を粉々に砕き、さらに続けようとした彼の口を無理やり閉ざす。


「栄光ある勝利か、名誉の戦死……お前たちに残された選択肢はそれだけだ。明朝まで時間はある。これが最期の晩餐だ。食えるだけ食っておけ。敵も傷つき、疲れている。日頃の訓練を忘れなければ必ず勝てる。勝てないときは、皆一緒だ。戦友たちよ、皆一緒に楽園へ逝こう」


 その言葉に兵たちの啜り泣く声が響いた。

 やがて誰ともなく祖国の童謡を歌う者が現れ、火が燃え移るように、歌声が重なっていく。

 王を称える国歌でもなく、勇ましい軍歌でもなく、ただ故郷への哀愁を言の葉に載せた歌によって兵士たちの心は一つとなった。

 生きて帰ろう。

 栄光と共に。

 晴れやかに死のう。

 名誉と共に。

 冷め切っていたオートミールやスープを胃袋に流し込み、剣を研ぎ、銃を磨き、思い思いの最期の一夜を彼らは噛み締めた。

 不快で吐き気を催すような臭いに妨害されながら……。


「け、煙だ! 正面の扉から煙が流れ込んでくるぞ!」


 多くの兵たちが警戒しつつ扉を伺うと、白い煙が悪臭を放ちながら要塞内部に流れ込んでいた。

 あまりの臭いにバルガスも睡眠から現実に引き戻され、苛立ちのあまり額に青筋を立てて報告を求めた。

 覗き穴から外を伺った兵士は、あまりの光景に口を抑える。


「て、敵が……敵が、我が軍の兵を……焼いています!」

 

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