攻防 ③
バウティスタ号の爆発音を聞いたヘンリーは、呆気に取られている部下たちの尻を蹴って立ち上がらせた。
腰からカットラスを抜き払い、左手にピストルを携えて、部下たちと共に鬱蒼と生い茂る木々の間から飛び出した。
耳には砲撃音と闘争の声が聞こえ、ウィンドラスが上手くやっていることを確信した。
クリムたち傭兵団も顔つきが鋭いものとなり、腰の剣に手を掛けてヘンリーたちに続くと、派手な軍服を着た男が階段を下りていくのが見えた。
瞬時に要塞の指揮官だと見抜いたヘンリーが、剣を肩に担いだ姿で前に歩み出る。
「よお、邪魔するぜ?」
雨雲のような灰色の髪、そして左目の眼帯。
帝国の私掠船団の首領にして最大の海賊と専ら噂されている男が目の前に現れ、総督であるバルガスは完全に狼狽しきっていた。
その間抜け顔にヘンリーの銃口が向けられる。
引き金を引くと火打石が仕込まれた撃鉄が勢い良く動き、白い硝煙とともに放たれた弾丸が、バルガスの顔の近くにあった壁を砕く。
流石に距離があったので命中は望めなかったが、それでも相手の肝を縮こませるには十分な威力があった。バルガスの傍らに控えていた従兵たちもピストルで応戦し、その間にバルガスは要塞内部へ逃走を図る。
「ヤツの首をマストに吊るしあげてやれ!」
ヘンリーの怒号と共に水夫や傭兵たちが一斉に斬りかかる。
総督の従兵は忠義を尽くして戦った。
よく見ればまだ少年の面影が残る若者ばかりで、いずれは出世して立派な軍人となることを夢見ていたのだろう。
華々しい騎士を思い描き、戦場で武功を立て、故郷に錦を飾る。
その志が今まさに、よりにもよって、海賊の凶刃によって打ち砕かれようとしている。
冗談ではない。
と、彼らは必死の形相でサーベルを左右に振り回し、賊たちを近づけまいと命を燃やしていた。
しかし、彼らには決定的に足りなかった。
体に浴びた返り血の量も、戦場の経験も、そして命を奪う覚悟も。
綺羅びやかな軍服に憧れ、格好良さに惑わされた彼らは血なまぐさい戦いの本質を今更になって理解し、そして群がる刃に切り刻まれて暗闇の底へ意識を沈めていった。
若き従兵たちを犠牲にしつつ、バルガスは多くの兵士たちが慌ただしく行き交う要塞内部へ足を踏み入れた。
鬱陶しい敬礼を省くように指示し、出入口を固め、港の状況と賊の数を士官に尋ねる。
「敵の数はおよそ三百かと思われます! 港では尚も激しい交戦が続き、一進一退なれど、詳細は不明!」
「港に一個中隊を増援に差し向けよ。それと要塞裏手の森にも兵を送れ! レイディン率いる別働隊が迫っておる! 数は百人ほどだったが、まだ森の中に潜んでおるかもしれん! 注意して行け」
「畏まりました!」
時折、私掠船の砲撃によって要塞が大きく揺れたが、ここは要塞の地下に築かれた臨時の司令室。
たとえ大艦隊の一斉攻撃であっても、頭上の城壁は崩れようが、ここは砲弾に晒されることは決してない。
通路も狭く、賊が押し入ったとしても各個撃破が可能な作りとなっていた。
初手の奇襲に兵たちは肝を冷やされたが、時間の経過と共にその効果は薄れ、徐々に統率が戻りつつある。
事実、増援が投入された港では、黒豹たちの前に隊列を整えた戦列歩兵らが立ちはだかった。
数十丁のマスケットの銃口が一斉に向けられ、黒豹は咄嗟に地に伏せたが、反応が鈍い者たちは文字通り蜂の巣にされていた。
「クソッタレ! 後から後から蟻みてえに出てきやがって!」
弾は尽き、カットラスもすっかり刃こぼれして今や鈍器と変わらぬ有り様となっており、黒豹も流石に覚悟を決めて瞼を閉じる。
そのとき不意に勇ましい鬨の声が耳に響き、反射的に瞼を開けると、破壊された城壁からヘンリーたちが港へ躍り出た。
港の兵たちは背後からの襲撃を知らされていなかったため、要塞が完全に包囲されているものと思い込み、整いつつあった統率が再び乱れる。
しかも相手はヘンリー本人が率いる選りすぐりの猛者ばかり。
結果として港の守備兵は壊乱した。
乱戦に手慣れたクリムら傭兵団は真っ先に敵の士官を狙い、指揮系統を失った兵士たちは恐慌して逃げ出す始末。その背中に銃弾や刃が襲いかかり、形成は一気に傾いた。
地に伏せる黒豹に、ヘンリーの手が差し伸べられた。
「何をサボってやがる。お前らしくもない。それとも豹がビビって猫になっちまったかぁ?」
「ヘヘッ、待ちくたびれて居眠りしてただけだよ。いってて……」
黒豹は肩を抑えて唸った。
見れば、銃弾が彼女の右肩を貫いていた。
熱い血が腕を伝って白い地面を赤く染めていく。
ヘンリーは徐ろに首のアスコットタイを取って傷口を縛った。
「動けるか?」
「チッ、味な真似をしやがって。当然。まだ左手があるさ。ああ、頼むからジブのやつには内緒にしておいてくれよ? ヤツの治療だけはゼッタイに受けたくない」
「悪いがそうもいかん。船長が船医の仕事を奪うことは出来んからな。で、俺の船が穴だらけなのは、まあ、目を瞑ってやるとして、どのくらい殺られた?」
「半分くらいかな。ウィンドラスの野郎も珍しく頑張ってたよ。中々どうして、度胸があるじゃないのさ」
黒豹が親指を向けた先では、巧みにサーベルを操るウィンドラスが死なない程度に兵士の戦闘力を奪っていた。
手足を切りつけられて銃も剣も握れなくなった兵士は我先に逃走し、港と城壁は粗方制圧された。
間もなく日も沈んで夜の闇が訪れ、港には盛大に篝火が焚かれて、傷ついた男たちは暫しの休息に入る。
夕方の激戦から一転して銃声は静まり返り、要塞内部にも特にこれといった動きは今のところ無い。
しかし相手の頭が討ち取れていないからには、すぐに第二ラウンドのゴングが鳴ることは明白であった。
「もう少しであの髭面の首を取れたんだがなぁ」
口惜しげに笑うヘンリーにウィンドラスは呆れ返っていた。
「何を呑気なことを。すぐにも逆襲が始まるかもしれません。敵はこの港を奪還するために死力を尽くすことでしょう」
「俺は、そうは思わんね」
ヘンリーは大胆にも港の地面に座り込み、パイプの煙をくゆらせて、内部への入り口となっている扉を睨んだ。
もはや敵の砲台は沈黙しているので、船の砲の一部を港へ下ろし、砲口を件の扉へ向けていた。
いざ兵士たちが出てきたとしても、とたんに砲弾が彼らを出迎えるであろう。
訝しむウィンドラスを隣に座らせ、ヘンリーは気楽に笑ってみせる。
「人間ってのは根が臆病なものでな、しかも手前らの住処が堅牢と信じて疑わないなら尚更だ。連中は引きこもって俺たちが痺れを切らし、中に入ってくるのを待ってやがる。中がどうなっているのかは知らんが、そのうち捕虜が白状するだろうよ」
彼の背後、グレイ・フェンリル号の甲板上には、幸か不幸か戦いを生き延びた兵士たちが捕虜としてマストに縛り付けられ、要塞の構造を細かく知るための尋問が行われていた。
鞭が飛び交い、傷に塩を塗りこまれる苦痛に、兵士たちは呻く。
しかも、これ幸いとばかりに応急手当を一段落させた船医のジブが、調合したばかりの新薬を投与していくのだからたまったものではない。
中には耐えかねて自ら舌を噛み切って命を断つ者もいた。
邪魔な死体は原型を辛うじて留めている港の倉庫へまとめて押し込められていく。
「ええい、船を穴ぼこだらけにしおって。また腰が痛むわい」
ブツブツと小言を漏らすキールは早速船の修理に取り掛かった。
とはいえ未だ敵の脅威が去ったわけではないので、開いた穴をふさぐだけの簡単なもので済ませている。
「これからどうするつもりだ?」
クリムが尋ねると、煙草を吸い終えたヘンリーはゴロリと寝転がった。
「今は根比べだ。しばらく動きは無いだろうよ。奴らは袋のネズミだ。休めるうちに休んでおけ。ただし見張りだけは怠るな? どこに抜け道があるかわからん」
そう言い残したヘンリーは、皆が目を丸める中で帽子を顔に被せ、そのまま寝息を立て始めた。




