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攻防 ②

 時は少しばかり遡り、ヘンリーたちを見送った後のグレイ・フェンリル号は、航海士ウィンドラスの指揮によって近隣の島影に身を潜めていた。

 襲撃前の貴重な休息の時であってもウィンドラスは常に時計の針を気にしており、また内心では、バウティスタ号に仕掛けた爆薬が無事に起爆するかどうかも定かではないと案じていた。

 不安を隠し切れないウィンドラスの肩に、黒豹が手を添える。


「何を辛気臭い顔をしてるんだい? 大丈夫。ヘンリーを信じろって。オレたちの力なら、あんな見掛け倒しの一つや二つ……」


 などと気さくに言ってのける黒豹の顔にも、どことなく影が落ちていた。

 港湾襲撃の経験は何度もあるが、流石に、あれほどの大要塞を相手にするのは彼女の人生でも初めてのこと。

 腕が鳴る反面で、やはり、不安は拭い切れない。

 しかし水夫たちを直接率いる甲板長の役職柄、こうして常に強がっていなければならない辛さを、ウィンドラスはよく理解していた。

 キャビンボーイのタックも、指揮所の手すりに身を預け、望遠鏡で森を見つめていた。

 あわよくばヘンリーたちの姿が見えるのではないか。

 そんな期待を他所に、森からは黒い鳥たちが飛び去っていくだけ。

 そこへ、サンドイッチを配り終えたハリヤードが隣に並んだ。


「船長たちは見えたか?」


「全然。大丈夫、だよね?」


「当たり前だ。あの人についていって、間違いだったことなどない。不安になる暇があるなら台所で芋の皮むきでもしてこい。ルーネちゃんは、そうしていたぞ? お前も少しは見習え」


 ドン、と背を平手で叩かれたタックは軽くむせ返り、お返しとばかりにハリヤードの太い脚を蹴り上げる。


「フンだ。オイラだってビビってるわけじゃないやい。ピストルの整備してくる…………皮むきはその後で」


「おお、その意気だ。頑張って百個むいでこい」


 ハリヤードの言葉を背中に受けたタックは手を高く掲げ、中指を立てて応えた。

 上甲板から一階層下には、黒光りするカノン砲がずらりと並んだ砲列甲板がある。

 間もなく始まる戦いに備えて砲はピカピカに磨かれ、また傍らには通常砲弾と切り札のカーカス弾が木箱に詰められていた。

 その整備を監督するのが老船大工のキールだった。

 酒臭い赤ら顔だが鋭い眼光で一つ一つの砲をチェックして回り、また補修に使う木材の在庫などもしっかりと頭に刻み込まれている。

 老齢なので積極的に戦うことはないが、いざとなれば自慢の金槌で身を守るくらいの覚悟はあった。


 間もなく時刻は夕方に差し掛かると、ウィンドラスは閉じていた主帆メインセイルを開くように指示し、海底に横たわっていた錨を巻き上げていく。

 同じく待機していたアルバトロス号にも手信号でこちらの意図を伝え、俄にあちらがわも騒がしく動き始めた。

 二隻の船団はゆっくりと要塞に向けて近づいていく。

 ウィンドラスは舵輪の近くで懐中時計を見つめたまま動かず、水夫たちも徐々に近づいてくる要塞の威容に生唾を飲み込んでいたときである。

 港内に停泊し、臨検を受けていたバウティスタ号が爆散した。

 黒煙と火柱を見張り台にいた男が確認した途端、ウィンドラスは港内への突入を決断した。


「全帆布開け! これより要塞内へ突入する!」


 待ってましたとばかりに男たちは勇ましく綱を引いて帆を開き、ぐんと速力を上げたグレイ・フェンリル号とアルバトロス号は波濤を蹴散らしながら、大混乱に陥っている要塞内部へ潜り込む。

 文字通りの殴り込みだ。

 大きく左に舵を切って左舷の錨を落とし、岸壁に船体を寄せ、二十門の砲列と甲板の軽量砲が各部砲台と兵の詰め所に狙いを定めていく。

 砲台の兵たちが危険を察知したときには既に遅く、砲列から放たれた鉄球が石材諸共に要塞砲を粉砕していった。


「撃て! 撃ちまくれ! 黒豹隊は上陸を開始しろ!」


「あいよ! 行くぜ野郎ども! オレに続けぇ!」


 口にカットラスの柄を咥えた黒豹たちがロープを伝って桟橋に飛び降り、敵が隊列を整える前に獣じみた脚力で飛びかかる。

 今迄の不安や恐怖を発散するかのように、また生き延びるために、あるいは勝利の美酒を思い浮かべ、各々の想いが打ちふるう刃に表れていく。

 指揮所から陸戦隊の奮戦を見つつ砲撃目標を的確に指示していたウィンドラスの頬を、マスケット銃の弾が掠めた。

 咄嗟に視線を向けると、驚くべき速さで隊列を整えた一個小隊が視界に映り込む。

 銃兵たちの一斉射撃が船体やマストに弾痕を刻みつけるも、人体への命中は無かった。

 しかし徐々に戦列を整えつつある王国軍将兵たちに焦りを覚えたウィンドラスは、内心で彼らの練度に舌を巻きつつ、不本意ながら切り札の使用を下令する。

 カノン砲にカーカス弾が装填され、要塞上空へ向けて発射された。

 砲弾内部に仕込まれた松脂や油に炎が引火すると空中で炸裂し、そのまま燃焼した油が兵士たちの頭上へ降り注いでいく。

 古より伝わる竜の吐息のように、あるいは、神話に伝わる神の怒りのように、灼熱の業火は城兵たちを容赦なく呑み込んでいく。

 黒豹たちがいる岸壁も延焼した炎に包まれ、血と硝煙が熱風で渦を巻く最中を、海の狼たちが牙と爪を以って確実に制圧しつつあった。


 無論、こちらがわの被害も馬鹿にならない。

 水夫たちもまた銃弾の前に斃れ、剣戟の果てに骸を晒していく。

 船の損傷も目立ち始めていた。

 熾烈な砲撃戦によって浸水の報告が飛び交い、また船の命でもあるマストもいつ折れてもおかしくはない。

 実際、アルバトロス号のメインマストが今しがた飛来した砲弾によってへし折られた。

 鈍く軋みながら倒壊していくマストと、海に放り投げられる水夫たち。


「主よ、どうか我らに御力を…………船長、これで間に合わなかったら恨みますよ……」


 自らもサーベルを握り、戦火の中へ身を投じていくウィンドラスとその部下たち。

 サン・フアン要塞の総督バルガスが私室を出てヘンリーたちと鉢合わせになったのは、ちょうどその頃であった。



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