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強襲 ⑤

 フェリペ島、サン・フアン要塞。

 鬱蒼と生い茂る密林の中に築かれた巨大な城壁と無数の砲台によって囲まれた、南方王国が誇る無敵の一大拠点。

 その威容を望遠鏡のレンズに捉えたヘンリーたちは、内心で肝を冷やしていた。

 真正面から挑めばあっという間に海の藻屑となる。

 現在は要塞を目視出来るぎりぎりの距離にとどまっており、バウティスタ号を送り出してから数時間が経とうとしていた。

 バウティスタ号は今頃、命からがら港に逃げ戻っている頃だろう。

 ヘンリーは船の進路を島の北側、要塞から死角となっている断崖絶壁と深く広い密林が広がる海岸へ向けた。

 幸いにもバウティスタ号の他に巡視船はおらず、ボートを下ろして傭兵たちや陸戦に自信のある手下たちを率いて島に上陸していく。


「あとのことは任せたぞ」


「船長も、どうかご無事で」


 船の指揮をウィンドラスに託したヘンリーもまた島の地面に足をつけた。

 アルバトロス号からも人員が上陸していき、人数にしてざっと百人ほど。

 残りは船に留まって、森の中へ足を踏み入れていく仲間たちを、名残惜しそうに見送っていた。

 海に生きる男たちとはいえ、当然、地面を踏むことはある。

 だが密林の地面は常に湿っており、ところどころが泥濘んで思うように歩を進めることが出来ない。

 邪魔な木々の枝は斧や剣で切り拓き、時折、毒虫や蛇が肩に落ちてくることもあった。

 濃厚な空気の中に小鳥のさえずりがこだまする深緑の世界は、海とは一味ちがう不気味さを醸し出していた。

 一方でクリム率いる傭兵団は手慣れたもので、方向感覚が狂いやすい森の中でも軽やかな足取りで先行していく。

 海軍から提供された簡素な地形図と方位磁石を頼りに、泥の中を歩くヘンリーたち。


「ちくしょう、こんなことなら船に残ればよかったぜ!」


 手下たちが不平不満を零しているのを聞いたヘンリーは、獰猛な笑みで彼らに振り返る。


「嫌なら今からでも船に戻っていいんだぜ? ただし、俺様から逃げおおせられたら、な」


 銃口をちらつかせるヘンリーに、水夫たちはごくりと生唾を飲み込んだ。


「へへへ、船長、冗談きついですぜ。さあ、野郎ども! とっとと歩こうぜ!」


 先ほどまでの気だるさは何処へやら。

 空元気に歩き始めた水夫たちを見たクリムが、ヘンリーの側へ寄ってきた。


「貴殿は、その、部下を纏めるのが上手と見える。どうすれば、海の荒くれたちを従えることが出来るのか、参考まで聞かせて貰いたい」


「んん? なぁに、簡単なことよ。人は脅せばいつか裏切るが、逆らえば殺されると思えば裏切らん。あとは……金の魔力で縛り上げるだけのことよ。秩序を保つための掟も欠かせん」


「もしも、掟を破る者がいれば?」


「俺の掟に逆らう奴は、誰であろうが許さん。この俺自身でも、な。それより、アンタのことも聞いておきたい」


 前置きしながらパイプに詰めた煙草に火を灯し、さらに続ける。


「今更だが、よくもまあ、こんな仕事を受けてくれたもんだ。金に目が眩んだか?」


 するとクリムは溜息をついて肩をすくめた。

 困ったような、今迄の苦労を思わせる複雑な表情を浮かべて答える。


「傭兵は、戦場が無ければ貴族や大商人の用心棒が主な稼ぎだ。けれど彼らは我々を使い捨ての駒としか見てくれない。傭兵がら、それは理解している。でも私たちも人間だし、一人の戦士だ。名を残したい願望は誰にでもあるだろう? 名が上がれば、私達も、もっと良い人生が歩めるはずなんだ。そう、貴殿のように」


「俺が?」


 訝しむヘンリーを見上げるクリムの目は、あこがれにも似た光を輝かせていた。


「貴殿の噂は予予かねがね聞いていた。一介の海賊だった男が、帝国の皇女の命を救い、そして女帝の座に就かせて爵位を得た、と」


「ハッ! やめてくれ。背中がむず痒くてたまらん。あんなものは単なる成り行きにすぎん。俺は英雄なんて柄でもねえし、名声が欲しくてあいつを助けたわけでもない。破滅から逃れるために必死に知恵巡らせて、ようやっと生き延びただけだ。俺はあの娘を利用し、あいつも俺を利用した。それだけだ」


 紫煙を吐きながら口を歪める彼は心底から今の境遇に辟易していることが伺え、クリムは自身の願いとは真逆のヘンリーの言葉に目を丸めた。

 女帝から爵位を賜り、帝国の私掠船団の頂点に立つ男と聞いていた彼女が抱いていたイメージが音を立てて崩れていく。

 無論、己の名声を鼻にかけるような俗物だとは思っていなかったが、ここまで名声や名誉を嫌がる面はそうそう拝めるものでもない。


「では、貴殿は何のために船に乗り、戦っているのだ?」


「んなものは決まってるだろうが――」


 ヘンリーは燃え尽きた煙草の灰を落とし、一切の迷いなき言葉で結ぶ。


「楽しく図太く、そして短く生きるためだ」


 間もなく一行は切り立った崖に行き当たった。

 ここを登れば要塞の裏手に回り込めるのだが、見上げると首が痛くなるような高さの崖だ。

 自然と皆の口から強気な言葉が途切れていく。

 崖の上からロープを下ろしてくれる者がいるはずもなく、ところどころの段差や突き出した岩などを伝って登攀する以外に無い。

 が、そこは船乗り。マスト登りが達者な、小柄でヒョロリとした男が勇んで名乗りをあげた。

 コイル巻きされたロープを肩に掛け、絶壁に飛びつくと、さながら小猿のように崖を登っていくではないか。

 二、三度ほど足を踏み外してあわや落ちるかと思われたが、マスト登りのコツでもある三点支持を維持し、彼は崖の頂上へ達することが出来た。

 すぐに太い木の幹にロープを縛り付けて崖下へ放り投げる。

 頼もしい部下の働きに頷いたヘンリーは、部下たちを先に登らせ、自身は一番最後にロープへ飛びついた。

 中程まで登って背後を振り返ると、水平線が太陽の光を受けて黄金色に輝いていた。

 嵐の前の静けさだろうか。

 穏やかな海に船影は一つもなく、海鳥たちも鳴りを潜め、ただ冷たい風がヘンリーの頬を撫でていた。

 崖を登った先では部下たちが思い思いの場所に腰を下ろして一休みしていた。

 ここからでも要塞の城壁と空高くそびえる見張り台が木々の間に見える。

 流石にこれだけ木々が生い茂っていれば、見つかることもあるまい。

 と、ヘンリーはおもむろに純金の懐中時計で時刻を確認する。

 午後四時過ぎ。

 ほぼ予定通りの行軍だった。

 襲撃の予定時間まであとすこしなので、ヘンリーは部下たちに腹ごしらえをしておくように命じた。

 ハリヤード手製の干し肉サンドをガツガツと頬張り、景気付けとばかりにラムやエールで渇いた喉を潤していく。

 傭兵たちは食事こそすれど酒は飲まなかった。

 仕事の最中は禁酒を心がけているのだとクリムは言う。

 生真面目な連中だと水夫たちが笑う中、ヘンリーはしきりに時計の針に意識を向けていた。


「船長、一体何の時間を気にしているのだ?」


「ああ……そろそろ、花火が上がるぞ」


「花火?」


 クリムが首を傾けたときだった。

 突如として大地と空気が振動し、腹の底を震わせるような轟音と共に、空高く黒煙と紅蓮の火柱が要塞の内部から噴き上がった。



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