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招集 ④

 暫しの休暇での合間に、海の狼たちはすっかり無一文に成り果てていた。

 船を下りたときは末端の水夫でさえ豪邸つきの農園で遊んで暮らせるだけの富を両手に抱えていたというのに、一晩あけてみれば、ある者は博打に負けて身包みを剥がされ、またある者は娼館にて女という女に貢いで回った。

 この世の快楽を存分に楽しんだ後は、新たな略奪を期待して腕を撫し、刃と銃砲を携えて船に戻ってくる。

 そんな手下たちを船の指揮所にて出迎えるヘンリーは、先の航海から一人も面子が欠けていないことに満足していた。

 慌ただしい出港にも関わらず、不平不満を漏らすものはいない。

 甲板長の黒豹にどやされながら、航海士ウィンドラスの指示を忠実に守り、グレイフェンリル号は帝都を目指してキングポートを後にする。

 澄み切った青空の下、群青の海原を駆ける狼の海図室にて、女帝からの手紙をウィンドラスに見せた。


「これは……ただ事ではありませんね」


「だろうな。この俺をわざわざ呼び出すとは、余程のことが起こったんだろうよ」


「まさか先日の財宝船のことでは?」


「俺が知ったことかよ。久々の都だ。キングポートのようにはいかんからな。あいつらにも行儀よくしろとよく言いつけておいてくれ」


「わかりました」


 海図室をでたヘンリーは、手に六分儀と呼ばれる天測用の道具を持ち、太陽の角度を観測して自船の緯度と経度を測定する。

 水夫たちは命令通りに綱を引いていればいいが、航海士や船長は船を目的地まで動かす技術が必須だ。

 普段は腕の良いウィンドラスに任せているが、暇になれば船長自らの手で計測を行う。

 とはいえ、風や潮の流れから現在位置に誤差が生じるため、大凡の位置で判断せねばならないのが苦労の種なのだが。

 また、航海中は基本的に物資の補給が出来ない。

 新鮮な食料はすぐに消費しなければ腐ってしまうため、月単位で航海を続けていれば、自然と保存のきく味気ない食事になってしまう。

 が、やはり食事は人生における楽しみであることには変わらなかった。


 グレイフェンリル号の厨房では、船員の胃袋を満足させるために、料理長のハリヤードが敏腕を振るっていた。一味の中でも特に屈強な大男でありながら、軽やかに手先を動かして次々に料理を作り上げていく。

 船の食事は一日に四回。

 朝、昼、夕、そして真夜中に働く者のための夜食だ。

 キャビンボーイのタックも船内の掃除を終えた後に手伝いに来た。

 ポテトの皮をナイフで剥いで、食器の準備を整えていく。

 どうやら今日の昼食は肉のオートミールとマッシュポテトのようだ。

 付け合せは決まって樽一杯に漬けられたキャベツの酢の物。

 特に野菜は航海において必需品だ。

 さもなくば壊血病にかかって体力が衰え、口や鼻から血を出しながら死に至る。戦いで没するならば男として晴れがましいが、病で死ぬのだけは真平ごめんというのが船乗りたちの願いである。

 故に、船員たちの栄養管理を受け持つハリヤードはいつも真剣に、そして愛情を込めて料理を作っている。

 多少味にパンチが足りないのがたまにキズなのだが、ヘンリーを始めとした乗組員たちには概ね好評だった。


 場所は変わり、船の第三階層にあたる居住区の一角に設けられた医務室では、見るも怪しげな薬草を調合する白衣の男の姿があった。

 ヒョロリとした細身の男の肌は不健康な色白で、骨が浮き出る頬を痙攣させるような不気味な笑いを口から漏らしている。

 ドクター・ジブ。

 コックのハリヤードとは別の意味で、船員の健康を任じられているのだが、この男の場合は専ら各地で採取出来る薬草で独自の薬品を調合することに没頭していた。

 しかも新薬を捕らえられた捕虜などに無断で投与しては反応を観察するため、ある意味で、船内で最も恐れられている人間の一人ともいえよう。


 対比するように、幹部の中で影が薄い人物としてまず挙げられるのが、船大工のキールである。

 いつもラムの酒瓶を手に握り、甲板をフラフラと歩きまわっては人知れず眠りこけている、飲んだくれの老船乗り。

 しかし酔って尚も衰えることのない鋭い眼光は若い者たちから舐められることもなく、また手に酒瓶から鎚に持ち替えれば、船の修理から食事に使うフォークまで何でも器用に作り上げてしまう。

 こと戦闘の多いこの船に於いては、絶対に欠かすことが出来ない人材に違いなかった。


 甲板長の黒豹も、元々は帝国の奴隷でありながら暗い過去を笑い飛ばすだけの度量があり、女の身でありながら並みの男よりも勇猛で豪胆だと専らの評判だ。


 そしてヘンリーの右腕と誰もが認める、グレイフェンリル号の一等航海士、ウィンドラス。

 敬虔な信仰者にして船の良心。

 また水夫たちの愚痴の受付にも応じており、陸に上がれば立派な教師や聖職者として大成するだけの人物だった。

 あるいはその類まれな航海術で、かつてのように商船を率いることも出来たろう。

 だが彼は生来の律儀さが災いしたのか、命の恩人であるヘンリーに振り回されつつも、物静かな気品の中に熱い忠誠心を燃えたぎらせていた。


 甲板から望むマーメリア海の大海原は、波は高くとも穏やかな晴天で周囲に他の船影もなく、メインマストの見張り台に立つ水夫も暇そうに欠伸を漏らしている。

 風向きも良好で、グレイフェンリル号の象徴ともいえる灰色の帆布が一杯に膨らんでいた。

 全長204フィート、排水量2000トンの巨体に40門のカノン砲を備えるグレイフェンリル号は、帝国の主力艦にも匹敵していた。

 持ち前の高速力と旋回性で海を縦横無尽に駆け回る海の狼に、一体どれだけの善良な船乗りが食い荒らされてきたか。

 しかし、彼らにとって、畏怖されることこそが最高の栄誉だった。

 ドクロに牙を突き立てる狼の旗の下、末端の水夫に至るまで、この船の一員であることを誇りに思っている。

 自然と甲板で作業をしている男たちが歌い始めた。船乗りの歌だ。

 陽気で軽快なリズムの歌声が雲ひとつ無い空に響き渡り、何処からか近づいてきたカモメたちの鳴き声も加わって、ちょっとした合唱団が出来上がった。

 話を聞きつけたキャビンボーイのタックも、手にタンバリンを持って甲板に踊り出て皆を盛り上げていく。

 そんな部下たちの様子をワインの小瓶を片手に眺めていたヘンリーもまた、誰に聞こえることもない小声で歌を口ずさんでいた。

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