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出航 ⑤

 宮殿も都も妙に慌ただしい空気に包まれていた。


 なにせ今日は女帝ルーネフェルト・ブレトワルダの戴冠式が執り行われる日であり、民衆も貴族たちも、新たな皇帝の即位を緊張と期待を以って待ちわびていた。


 式場である玉座の間には名だたる貴族や他国の使節などがずらりと並び、今か今かと女帝の登場を伺っている。その末席に加わることが許されたのが、今回の事件における功労者たるグレイウルフ号の面々であった。着慣れない豪華な礼装に身を包んだ黒豹は場の空気に辟易し、タックも緊張のあまり心臓が高鳴って玉座を凝視している。


「なあ、ウィンドラス。ルーネはまだかよ?」


 小声で黒豹がウィンドラスに尋ねた。


 ウィンドラスは相変わらずの仏頂面で特に緊張も顔に浮かべず、礼装も完璧に着こなして、貴族よりも貴族らしい立ち振舞をしていた。


 彼は黒豹に顔を向け、人差し指を唇に立ててみせる。


「ちぇっ」


 つまらん奴だと舌打ちをしている内に、衛兵がラッパを吹き鳴らした。


 全員の視線が玉座の間の入り口に注がれると、黄金の扉がゆっくりと開き、晴れやかな微笑を保ったルーネが、真珠や琥珀によって飾られた真紅と黄金のドレスに袖を通して皆の前に現れた。


 普段とは全く違う彼女の輝くような出で立ちに流石の黒豹らも言葉を失い、目の前を歩く気心の知れた少女を見つめるより他に術がない。特にタックは形容しがたい麗しさに今にも卒倒しそうだった。呼吸が乱れ、両手で胸を抑える彼に、ルーネがにこりと笑いかけ、さりげなく手にVサインを作ってみせた。


 玉座の前まで移動したルーネに、代々皇帝が継承してきた宝物が聖堂協会の法王の手によって差し出されていく。帝国の武を象徴する剣、統治を象徴する法典、そして皇帝を象徴する薔薇を象った黄金の冠。


 右手に剣を持ち、左手に法典を携え、頭に冠を載せたルーネは正式に帝国の女帝として即位した。


 万雷の拍手で迎えられた彼女は、女帝として初の言葉を皆に伝える。


「私の愛する全ての民たちよ。私は天上の神の思し召しにより、亡き先帝の後を継ぎ、あなた方の代表として、我が故郷の長として、そして栄えある帝国の導き手として、この冠を頂くことが出来ました。思えば様々な苦難がありました。嵐の海に揉まれる小舟のように、ただ一人の少女でしかなかった私は自らの運命を嘆いたこともありました。しかし私は固く誓います。私は如何なる困難からも逃げない。そして決してあなたたちを見捨てることはしない。この帝国という、一隻の大船の一員である以上、私は愛する仲間を決して裏切りません。皆、どうかこの私に力を貸して欲しい。私を支えて欲しい。そして共にこの国を、父祖に誇れるような国にしていこうではありませんか」


 女帝の言葉に民衆は熱狂した。


 鳴り止まぬ拍手と歓声が雷鳴のように都の隅々まで響き渡り、儀式は次なる催しへと移りゆく。


「この度の乱にあたり、私は心から感謝を捧げねばならない人物がおります。本日はその二人に私からささやかなお礼を贈りたい。両人とも、お出でなさい」


 すると再び玉座の間に通ずる扉が開かれた。

 女帝の御前へ並んで歩み寄る二人の人物は、片や帝国の騎士。

 そしてもう一方は、最大の功績者である私掠船の長だった。


 ローズはドゥムノニア家の当主として、また帝国の軍人として、幾多の勲章で飾った真紅の礼装で式に臨む。


 対するヘンリーはくたびれたシャツに黒い外套と、いつもと変わらぬ服装であったが、左肩には踵まで届くばかりの青地に黄金の薔薇が描かれたマントを纏っていた。


 二人は女帝の前に跪き、深々と頭を垂れる。


 ルーネはローズの前に立つと身を屈め、彼女と視線を同じくし、手を取って語りかけた。


「この度の貴女とお父上の働き、生涯忘れることはありません。その御礼として、ローズ・ドゥムノニアには亡きお父上への感謝も含め、ドゥムノニア家を男爵位から伯爵位に封じます。また軍においても、少将として艦隊の指揮権を与えましょう」


「身に余る光栄、謹んでお受けいたします。亡き父も、喜んでいることでしょう」


 続いてヘンリーの前に立ったルーネは、先ほど継承した皇帝の剣を彼の肩に載せた。


「貴方には命を救って頂いたばかりか、私の願いを聞き入れ、この故郷へ連れ帰って頂きました。以前、監獄島にて貴方を私の騎士に叙しましたが、改めてこの場を以って、ヘンリー・レイディンを我が帝国の准男爵バロネットに封じます。同時に、この海上におけるあらゆる権限と権益を女帝ルーネフェルト・ブレトワルダの名の下に与えます」


 これには列席した諸侯も驚くばかりであった。


 名誉位である騎士爵ならばまだしも、それよりさらに一段上に相当する准男爵に封じるなど前代未聞であった。更に、この海上におけるあらゆる権益を与えるということは、帝国がこの男の私掠行為を永久的に認めるということに他ならない。


 元は海賊であった男が、貴族に準ずる位を手に入れたのだ。


 呆気に取られる一同を他所に、ヘンリーはにやりと笑って監獄島の時と同じように恭しく一礼した。


「喜んでお受けいたす」


「宜しい。早速だけれど、この帝国女帝の私掠船に一つ仕事の依頼があります」


「何なりと」


「ヘンリー、貴方にこの世界の全てを明かして欲しい。まだ見ぬ世界を、貴方の力で解き明かして欲しい。受けてくれる?」


「ああ。任せとけ、俺の女帝陛下」


「頼むわね? 私の船長」


 叙任式を終えると、ヘンリーはルーネの前で踵を返し、勇んで歩み始める。


「ウィンドラス!」


「はい船長」


「黒豹!」


「応!」


「タック!」


「は、はい!」


 各々が名を呼ばれ、皆の前で声を合わせせた部下たちにヘンリーが腕を高々と掲げる。


「野郎ども、出航だぁ!」


「アイアイサー!」


 船長の後に続き、宮殿から港へ続く大通りを歩くヘンリーたちを、民衆は無数の花束と声援で送り出していく。


 そして港には新たな海の狼が出航の時を待っていた。


 全長204フィート、排水量2000トン、32ポンドカノン砲を両舷40門、24ポンドカノン砲を12門、8ポンド砲を前後に4門。

 グレイウルフ号を遥かに凌ぐ四等戦列艦の船体に刻まれた名は、『灰色グレイ()神狼フェンリル』号。

 乗員450名を引き連れて、決して沈むことがない神の狼に向けて歩むヘンリーの視界の端、薄暗い路地の陰に何処かで見た覚えがある男がいた。

 かつては伯爵と呼ばれた男の方もヘンリーの視線に気づき、やせ細った体で這いずるように彼の足元に擦り寄る。


「レ、レイディン船長ぉ……久しぶりだねぇ」


「どこかで見たと思ったが、お前フォルトリウか? おうおう、随分と変わり果てたもんだ」


「うふ、うふふ……見ての通りだ。キングポートから帝都へ来たが、もう明日食べる金すらない有り様でねぇ。それに比べて君は何と輝かしい姿だ……」


 在りし日の頃を思い出したのか、フォルトリウの目から涙が溢れ出た。

 そんな落ちぶれた彼の眼前にヘンリーの手が差し伸べられる。


「お前も乗るか? 俺の船に」


「い、いいのかい? こんな私を……うぅ、船長ぉお」


 フォルトリウはヘンリーの手を取った。


 甲板に集った見慣れた面々に、ヘンリーは絶対的な自信と共に出航の命令を下す。


 真新しい灰色の帆が開き、係留索が引き込まれ、万雷の歓声に見送られた神狼は再び私掠免状を得た船団を率いて蒼き海原へ旅立つ。


 その様子を宮殿のバルコニーから見送るルーネに、ローズが語りかけた。


「よろしかったのですか? 彼を手元に置かずに海へ出して」


「ええ。だって、彼は海そのものだもの。陸で生きる彼なんて考えられないわ。それに、彼がいない海なんてつまらないもの」


「陛下は、彼を、愛しておられるのですか?」


 するとルーネは、離れ行くヘンリーを少し寂しげな視線で見つめた。


「……彼にとって、私はまだまだ子供なのよ。でも、今にきっといい女になってみせるわ。彼を振り向かせるくらいに。でも今は、片付けないといけない問題が山積みだもの。ローズ、あなたにも一杯動いて貰うからね? なにせ私は、彼の見習いだもの。荒々しくいくわよ?」


「はっ。陛下の御意のままに」


 港を離れ、海峡に向かって進むヘンリーは、ふと背後の宮殿に振り返る。


「頑張れよ……俺の見習い」


 彼は大きく帽子を振り、海の狼は遥か水平線の彼方を目指した。

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