私掠船 ③
誰もがその銃声に驚き、ルーネが瞼を開けると、今しがたまで斧を振りかぶっていた執行人の巨体がぐらりと揺れて階段を転がり落ちる。
一体何事が起きたのか誰一人として理解出来ぬ中、群衆の内から全身にボロ布を纏った男が飛び出して階段を駆け上がる。
そして懐から抜き払ったカットラスの刃が彼女の拘束を解き、小脇に抱えたかと思うや、纏っていたボロを脱ぎ捨てた。
「よぉ、クソッタレ共。革命大儀である!」
「ヘンリー!?」
ルーネは自分が幻を見ているのかと思った。
だが、彼の腕の温もりも、鼻をくすぐる潮の香りも、間違いなく彼のものだった。
予想外の事態に法王などは驚き慌てているが、ジョニーはいたく冷静に状況を見ていた。
なんら不思議なことではない。
あの男が、ただ黙って逃げ出すようなことは絶対に無い。
そして彼は来た。
今や全員の視線が彼に釘付けだ。
顔を見せただけで、彼はこの場の全てを奪ってしまった。
手すりを握るジョニーの手に力がこもる。
心の内でくすぶっていた嫉妬の火がまたも燃え上がった。
しかしヘンリーはジョニーになど目もくれずに叫ぶ。
「さて諸君! お前さん方のおかげで帝国は滅び、この小娘はめでたくやりたくもない仕事を失い、不自由から解放された。お前さんたちがあの空の上でふんぞり返っている神の名の下で革命をしようが俺には至極どうでもいい話だ。それもまたお前さんたちの自由だろう。ゆえに、俺は俺の自由を実行することにした。俺はここに、謹んで宣言させて貰う」
コホン、と咳払いを一つ鳴らし、より一層声を高くして剣を掲げた。
「このルーネフェルト・ブレトワルダの命は、帝国皇女の私掠船ヘンリー・レイディンがいただいていく! うちの見習いの髪の毛一本たりとも手前らにはくれてはやらん! 俺がお前らの革命を台無しにしてやる! 者共! 旗を掲げろぉ!」
そのとき処刑場に異変が起きた。
今まで翻っていた無数の革命旗が、法王旗が全て降ろされ、髑髏に牙を突き立てる人喰い狼の旗<フローズヴィトニル>が刑場を埋め尽くして空高く靡く。
ルーネは溢れ出る熱い涙を止めることが出来なかった。
見よ、五本の旗竿の根本に立つ見知った者たちの姿を。
黒豹がいた、タックがいた、ハリヤードがいた、ジブがいた、エドワードがいた。
そしてすぐ側にヘンリーがいた。
「では諸君! ごきげんよう!」
彼の締めくくりの直後に、固く閉ざされていた処刑場の出入り口が轟音と共に発射された砲弾で大穴が穿たれた。
ヘンリーは腰のベルトに括り付けていたロープを十字架に結びつけるや断頭台から一気に飛び降り、ルーネを小脇に抱えたまま出口に向かって走り出す。
彼の周囲には、群衆の中に紛れていた水夫たちが次々と集って人の壁を作った。
その全てが完全武装していた。
ヘンリーが予め帝都の屋敷に蓄えていた武器弾薬が役に立った。
水夫たちに混じって、彼らをここまで導いた使用人が主のもとへ寄り添う。
「陛下! ご無事ですか?」
「メリッサ……あなたまで……」
群衆はもちろんのこと、貴賓席も大騒ぎとなった。
彼らにとって最優先はヘンリーたちを捕らえることではなく、法王の安全の確保だった。
「帝都守備隊は脱走の阻止を。猊下は僕がお守りする。レオンは民の避難を指揮してくれ」
「わかった……上手くやれよ?」
レオンの目配せにジョニーは頷いて応え、法王を伴って処刑場を出た。
「全くなんということだ。あの海賊め、神罰の代行を邪魔するなど悪魔の眷属に違いない。ウェリントン少将、教会本部の守りは万全なのであろうな?」
「今頃はサンテールがランヌ元帥と交戦しているものと思われます」
「そうか。それよりも、早くあの魔女を捕らえるのだ。考えてみれば、処刑の前のあの堂々とした物言いも、あの海賊が助けに入ることを見越してのことだったのだ。なんと悪辣なことではないか。ルーネフェルトなど性根の腐りきった、卑しく汚れた淫婦に等しい。君もそうは思わんかね?」
次の瞬間、法王カテドラの身体から力が急激に抜けた。
純白の衣が朱に染まり、野心を秘めた瞳が最期に見たのは、硝煙が立ち昇る銃口を己に向けるジョニーの憤怒の形相だった。
「たとえ、神であろうとも、彼女を侮辱することは許さない。その汚れた舌で彼女の名を口にするな! 僕はお前の下らない野望を叶えるために彼女に叛いたわけじゃないし、彼女を愛したのでもない!」
トドメとばかりにジョニーは腰の軍刀を抜くや、虫の息になっていた法王の心臓を深く突いて殺した。
すぐさま遺体から刃を引き抜いたジョニーは、法王の周囲に取り巻いていた他の教会幹部も粛清していく。
主教も大司教も彼の手で斃れ、ここに聖堂教会は帝国と共に壊滅の運命を辿る。
「これで僕も地獄行きか……でもその前に、決着だけはつけさせて貰う!」




