私掠船 ②
処刑場と化した劇場の貴賓席には法王カテドラも出席していた。
神に、いや、己に背いた小癪な娘の惨めな最期を是非とも見届けたい。
教会を弾圧し、巨大な利権を奪おうとした罪はその血で贖わなければならない。
そのときこそ教会がこの強大な国を支配することが出来る。
老獪なカテドラは心に秘めた野心を顔に出さない術を身に着けていた。
公開処刑を見ようと客席に集まった群衆たちの前に姿を表したとき、彼はあくまで法王として振る舞った。
敬虔な神の使徒であり、戦争や革命で散華した犠牲者たちの魂に祈りを捧げるなど、見た目には非常に清らかな聖人に映った。
貴賓席には他にレオンなどの評議会の首脳や、ジョニーの姿もあった。
近衛軍団長のサンテールもそこでふんぞり返っているが、彼を見る皆の目は冷ややかだった。
宮殿を守っていた第一軍団は女帝の退位と共に強制的に解散させられ、近衛軍団もサンテールに従う者以外は、解散させられた第一軍団の兵士たちと共に軍職を辞してしまった。
兵士たちは口々に、もうやっていられるか、と叫んだ。
サンテールには女帝の威光無しに彼らを纏めるだけの人望も器量も無かった。
拘束している第一軍団長のベルリオーズ大将のほうが余程有能といえる。
故に、レオンたちからしても彼は単なる邪魔者に成り下がっていたのだ。
第一、帝国軍そのものが崩壊し、彼らの地位を約束していた女帝も退位したからには、サンテールも無位無官に過ぎない。
それが未だに帝国軍大将の地位にあると考えている時点で話にならなかった。
名実ともに今の軍の指導者はジョニーにほかならない。
ジョニーは処刑場に入ってから一度も断頭台を見ようとしなかった。
レオンも彼の気持ちを察して軽口を控える。
というより、レオンもルーネの処刑には賛同してはいなかった。
この場にいる誰よりも悪質な野望を抱く法王が何よりも気に食わない。
それが聖人を演じているというのだから鼻で笑う気にもならなかった。
だが決まってしまったものは仕方がない。
彼女の処刑によって帝政の終わりを迎え、同時に『共和国』の建国を宣言する。
今はそういう筋書きで事が動いていた。
法王の説法混じりの演説にうんざりしたレオンが密かにジョニーの肩を叩く。
「やっこさん、ああして平然としているが内心はかなり焦っているはずだ。例の第四軍団が教会本部に向けて進軍しているんだろう? 主教さま達がさっきから、何とかしろ、ってうるさくてね。対処はどうする?」
「第四軍団を率いているのは、サンテールの話によると、あのランヌ元帥らしい。数は少なくても一筋縄ではいかない相手だ……帝都の守備隊も出す必要がある」
「なるほど。戦いは数、か。で、指揮官は?」
ジョニーは威圧的な態度を保つサンテールに歩み寄る。
「閣下に革命軍五万を預けますので、第四軍団を撃破していただきたい」
「なに? なぜ私が行かねばならんのだ? 君が行けばいいではないか」
「いえ、小官はまだまだ未熟ですのでランヌ元帥を抑える自信がありません。しかし、閣下は経験も豊富。それにかのランヌ元帥を撃破すれば、全軍の総指揮官としての名声も絶大になることでしょう」
「ふむ、なるほどなるほど。ふむふむ、君の言葉にも一理あるな。よろしい、吉報を待っていたまえ!」
まんまと口車に乗せられたことにも気づかず、サンテールは革命軍の主力と帝都の守備隊の一部を引き連れて第四軍団討伐に向かった。
「帝都に何か変わった動きは?」
レオンは懐中時計を見つつ近くにいた者に尋ねる。
「一時間ほど前に、修道院の方々が帝都に入られたくらいです」
「修道院? 山奥の尼たちが何の用だ?」
「確認したところ、子供たちのためにパンを届けに来たそうです。革命の混乱で食事もままならなかっただろうから、と」
「そうか……まあ、教会関係者なら問題はないか」
レオンは納得したがジョニーはその報せに引っかかるところを感じた。
確信はないが、漠然と、このタイミングでなぜパンなどを運ぶ必要があったのか、と。
運ばれてきたのは本当にパンなのだろうか。
応対した者は説明を聞いただけで、実際に積荷を見たわけではない。
一時間も前のことなら、仮にパンならとうに配り終わっているだろうし、パンでなかったとしても言い逃れされるかもしれない。
だがこれだけ多くの人間がいる中で怪しい動きをすれば当然誰かが見ているはず。
何よりも、まるで第四軍団の動きと連携しているように思えてならなかった。
「時間だ」
レオンの一言でジョニーの思考がかき消された。
屈強な執行人に鎖を曳かれたルーネが現れると、場のざわめきは厳粛に静まり返る。
時さえ流れることを忘れたかのような静寂の中、ルーネが執行人と共に断頭台へ続く階段の下まで進むと、教会の大司教が丸められた羊皮紙を広げて彼女の罪状を述べていく。
「ルーネフェルト・キャロライン・ブレトワルダ! 汝は神より授けられた帝位を私物化し、傲慢と強欲の大罪を犯した! 更に神の使徒たる聖堂教会を貶め、神の名を穢したことは万死に値する! よって教会は汝を地獄の使徒たる魔女と認め、神罰の代行として汝に救い無き死を与えるものとする! 法王猊下の格別の御慈悲により、汝が最期の言葉を望むならばそれを許す!」
ルーネは今まで閉じていた瞼を開け、その曇りなきサファイアブルーの瞳で場にいる全員を見渡した後、彼女は最期の言葉を紡ぐ。
「今、ここに集った帝国の民たちよ。私は父祖ブレトワルダの血を受けて産まれ、帝位についてから四年という短い時の中であなた達と共に生き、共に国を未来へ進められたことはこの上ない喜びと幸せの日々でした。そして私に力無きが故にあなた達を苦しめてしまったことが悲しくてたまらない。でも、これだけは覚えていて欲しい。私は今でも、あなた達を愛して止まない。心から愛している。だから、たとえ今日、あなた達の意思によってこの生命を失おうと私は少しも恨みはしない」
客席から彼女の言葉を聞き、彼女の微笑みを見た群衆たちは息を呑む。
そしてルーネは貴賓席にいる法王や革命の首謀者たちに厳しい目を向けた。
「法王、そして革命者たちよ! そなたらが私の最期の言葉を聞こうと言うのならば、その耳にしかと刻め! 今日、私はそなたたちの不義と不忠によって死ぬ。しかし、遠くない未来の今日にこの断頭台に立つのはそなたたちである! 力を力で奪い、民を惑わし、百の頭と百の口を持つ魔物の炎によって、そなたらは駄犬の如く死ぬだろう! そして私はそなたら如きに屠殺される犬にはならない! ブレトワルダの血を引く最後の皇帝の死に様を、その汚れた瞼に焼きつけろ!」
その場にいた全員を圧倒したルーネは、真っ直ぐに断頭台を睨みつけると、自らの足で階段を登り始めた。
屈強な執行人でさえ引きずられるほどの勢いで、その姿はまるで飼い主に綱を引かれる子犬のようだった。
法王はもちろんのこと、レオンもジョニーも絶句している。
彼らはおよそ彼女が絶望のあまり涙の一つでも流すものと想っていた。
少なくともこれから処刑される人間は大抵がそうしたものだ。
醜く命乞いはしないだろうが、それでも萎れた花のようになるはずだった。
ところが彼女は彼らの予想を遥かに上回っていた。
階段を登りきった彼女が鎖を引くと執行人が転がるように床に両手をつく。
その間にも、ルーネは眉間に冷や汗を流しながらも十字の断頭台に手足をはめ込む。
両腕と両足が荒縄で絞められればもはや逃げることは出来ず、首は切りやすいように硬い革の首輪で固定され、執行人が大斧を一撃すれば苦しむこともなく命が絶たれる。
だというのに、ルーネは躊躇うこともなく、誰の手も借りずにそこに立った。
執行人によって手足が縛り付けられ、首輪が絞められる。
冷たく重たい大斧の鋼の刃が目の前に晒されて尚、ルーネは動じなかった。
観衆の中には見ていられないと目を伏せる者も少なくなかった。
「刑を執行せよ!」
罪状を読み上げた大司教が叫ぶ。
執行人が大きく斧を振りかぶり、ルーネも瞼を強く閉じる。
そのとき彼女は心に浮かんだ男の名を口ずさむ。
「ヘンリー……っ」
直後、処刑場に一発の銃声が響き渡った。




