私掠船 ①
その日は風が強く吹いていた。
しかし、地下室に幽閉される彼女に風の音は聞こえない。
本人の強い志願によってメリッサがルーネの世話を続けていたが、メリッサ自身にもあからさまな監視の目が光っている。
厨房で作られた朝食は全て彼女が密かに毒味をしていた。
微かに量が減っていたり、パンの端のほうが欠けているのを見たルーネは苦笑する。
「メリッサ、もう私にそんな気遣いは要らないの。あなたも自分の好きにしていいから」
「これもわたしが好きでしていることですから。あの、陛下?」
「ルーネと呼んで。もう、そんな風に呼ばれるのは沢山だから。それに、もうすぐお迎えが来るはずよ? 私の最期の仕事……それを果たすために」
ルーネが扉の方へ目をやると、評議会幹部と教会の司教が立っていた。
「お迎えにあがりました。どうか、ご同行を」
「ご苦労さま」
最後に紅茶を一口飲み、彼女は席を立つ。
「メリッサ、今までありがとう。元気でね?」
何か言わなくては……でなければ一生後悔してしまう。
そう思えば思う程に熱い涙が溢れ、メリッサは床に崩れ落ちる。
主君として仕え、姉と慕う彼女の背に手を伸ばしたとき、扉が無情に閉められた。
ルーネの細い手首には鎖の手錠が締められた。
地上へ続く階段を登っていくと、宮殿の廊下には大勢の人間たちが並んでいた。
その殆どが革命者ではあったが、中には彼女を見限った貴族の長子らの姿もあり、今の有様を嘲笑していた。
しかしルーネは意にも介さなかった。
元より自尊心の高い彼らは無視されたことが余程腹立たしかったのか、勝ち誇った顔がみるみる赤い怒りに変わっていく。
「汚れた魔女め!」
下らぬ罵声も浴びせられたが、ルーネはあくまで毅然と歩む。
ふと彼女はジョニーの姿を探した。
彼を拒絶した日から一度も部屋を訪れることもなく、どうしているかと少し気になっていたのだが、生憎とその場に彼はいなかった。
他の者たちのように恨みや妬み、怒りからではなく、己の愛ゆえに全てを捨てた彼の顔をもう一度見ておきたかった。
実のところ、ルーネは彼がやったことを嫌悪しているわけではなかった。
まともに考えれば一介の中尉に過ぎない彼が女帝に愛を告げることなど出来るはずもない。
だからこそ、彼は己を奪おうとした。
帝国を滅ぼし、玉座から引きずり下ろしてでも、自分の欲望を叶えようとした。
どれほどの苦悩があり、決断に至ったのか。
そう考えると心から彼のことを憎む気にもなれなかった。
彼は彼なりに自分の夢を叶えようとしたのだから。
そんな彼の願いも、もうすぐ夢として終わる。
宮殿を出ると一台の馬車が待っていた。
壮麗な皇帝用の馬車ではなく、罪人を運ぶための簡素で小汚い荷車だ。
ルーネはその荷台に膝をつく。
手錠は外されたが、荷台の四隅から伸びる新たな鎖が彼女の両手と両足を拘束した。
更に五人の革命軍の兵士が銃剣付きのマスケットを携えて同行する。
ゆっくりと駄馬が歩き出し、彼女が神に逆らった魔女であることを民衆に見せしめ、革命の成就を知らしめるために多くの群衆の中へその身を晒された。
しかし、帝都の民は誰一人として彼女を笑うことも、罵声を浴びせることも無かった。
たとえ小汚い荷車に乗せられようとも、背筋を伸ばして彼らに慈愛に満ちた目を向ける彼女は、彼らがよく知る名君に他ならなかった。
不安そうに見送る少年や少女たちには優しい微笑と共に手を振り、市場で世話になった商人や店の女将には感謝を込めて会釈をした。
自然と、大通りには風の音に嗚咽の声が混じった。
皆がわかっていたのだ。
彼女をごく身近に見て、接してきた帝都の民たちは、決して彼女が暴君でも魔女でもないことを。
心優しい、好奇心に溢れた活発な少女に過ぎないことを。
そのうちの青年の一人が、彼女を助け出そうと荷車に近づいた。
居ても立っても居られなかったのだろう。
だが青年は荷車の周りにいた兵士の銃剣に脅されて歩みを止めた。
ルーネは無言で首を振り、彼に止めるよう促す。
青年は悔しさのあまり地面を拳で叩いた。
間もなく彼女の最期の地が見えてきた。
帝都の娯楽の中心地、剣闘や歌劇に用いられる大劇場。
普段は天井の代わりに大テントが張られているが、今日は外されて客席が空の下にあり、革命の象徴である紅い旗と法王の聖十字旗が無数に翻っていた。
かつては到るところが帝国旗に満たされていたが、もはや都の何処にも見る影もない。
否、帝都だけではない。
この帝国のあらゆる場所から、帝国の旗は消えてなくなる。
帝政の象徴にして貴族主義の印であると評議会が永久放棄を決したからだ。
そして、皇帝ブレトワルダ家の断絶によって革命は完了する。
正面の入り口から入り、彼女の視線の先にある舞台の中央には、かつて教会が魔女と認定した罪なき者たちを葬ってきた十字の断頭台が置かれていた。




