思慕 ⑤
宮殿の一室に苛立った足音が響く。
ジョニーはここ数時間もの間、ぐるぐると部屋の中を歩き回っていた。
机越しにそれを眺めるレオンも流石に呆れ果てている。
「なあ、ジョニーよ……気持ちは分かるがな、いい加減に落ち着け」
「落ち着けだって? 落ち着いてなんていられない! 約束が違うじゃないか! 彼女は退位して一人の庶民として生きるはずだった! 彼女を僕にくれると約束してくれたはずだ!」
両手で机を叩くジョニーに、レオンが飛びかかって床に組み伏せる。
「仕方ないだろう! 法王が彼女の処刑を決めた以上、俺たちにはどうすることも出来ないんだよ! いいか、俺たちの革命は、教会の後ろ盾があってのことだ! 帝政が終わった後、民衆の混乱を鎮めるためにも教会の力は必須なんだ! 彼女のことは諦めろ!」
「ぐっ……い、嫌だ! 僕は! 彼女を救いたい! 死なせてたまるもんか!」
レオンの腕を振り払ったジョニーは、そのまま部屋から出ていった。
「もう手遅れなんだよ、何もかも」
聞こえるはずのない言葉を投げかけたレオンは、彼女のもとへ駆けるジョニーの姿に思いを馳せる。
教会が突きつけた宗教裁判とは名ばかりのもので、実際に裁判が行われたわけではなく、記録上で裁判があったというだけだった。
帝位を失ったルーネは一先ず宮殿の地下にある懲罰用の部屋に監禁されていた。
そこは四方を石壁で囲まれ、室内には簡素なベッドと机があるだけで、扉には監視のために小さな小窓が設けられた。
ジョニーは見張りを下がらせ、周囲に人がいないことを確認した上で、小窓から彼女の様子を見た。
ルーネはベッドに腰掛けて虚空を見つめていた。
神が作り給うた芸術品のように端正な美しさを持つだけに、今の彼女は、まさに魂の無い人形のようだった。
ジョニーは息が詰まる。
自分が見たかったのは、こんな無機質な彼女の顔ではない。
太陽のように輝き、人々を温かく照らす笑顔であったはずだ。
「……」
彼は声をかけようとして迷いに駆られた。
彼女のことをなんと呼べばいいのか。
今までなら陛下と呼んでいたものの、既に彼女は一人の少女に過ぎない。
しかし、癖なのだろうか。
彼女を呼び捨てる気にもなれなかった。
何やら無意識に恐れ多いものと躊躇してしまう。
すると、彼の視線に気づいたのか、ルーネの蒼い瞳が扉の方に向く。
「何か用?」
短く、そして冷たい声がジョニーの胸に刺さる。
いざ彼女を前にしてみると、一体自分が何をしたいのかさえ見失ってしまった。
「黙っていないで、何か言ってよ。それとも、私を笑いにでも来たわけ?」
「ち、違う……僕は……君を、助けたくて……」
「助ける? フッ、何を言い出すかと思ったら、冗談も大概にしてよ。私から何もかもを取り上げた張本人のくせに……」
「こんなことになるなんて思わなかったんだ。僕は君に生きていて欲しい。今なら、君をここから出してあげることもできる。二人で逃げよう。どこか遠くへ、教会も主義者たちもいないところへ」
ジョニーの精一杯の言葉に対して、ルーネは哀れみにも似た冷笑を浮かべてみせた。
「あなたが考えていることが理解出来ない。何がしたいのかも。私の夢を壊して、帝国を壊して、法王の手先になって……私を、どうするつもりだというの?」
「っ……僕は、ただ……君を、愛していただけなんだ」
気づけば、ジョニーは扉に縋るように泣き崩れていた。
どうしてこんなにも悲しいのだろう。
どうしてこんなにも近いのに遠いのだろう。
もっと別の、違う方法で、愛を告げることも出来たのではないか。
ジョニーは扉の鍵を開けて室内に入り、彼女へ歩み寄る。
「こんなことを言う資格が無いことは分かってる。でも、あのとき、陸軍の演習場で君と会ったときから、僕は君が好きだった。戦地にいるときも君のことを想っていた。心から、君を愛している。だから君を助けたい。どうか、僕と一緒に来てほしい。君に死んでほしくない」
涙で濡れた手を彼女へ伸ばすが、ルーネは一度俯いたかと思った刹那、彼から身を引いて拒絶する。
「あなたの愛なんていらない」
「え……?」
「あなたが語る愛は自分の想いばかり。あなたの心にいるのは、私の姿をした幻。あなたは私のことを何も知らない。私が好きなことも、私が大切にしていることも、私の夢も。ねえ、ジョニー。あなたは一度でも、私の気持ちを考えたことがある?」
それを聞くや、ジョニーは糸が切れたように床に両膝をつく。
もうルーネの目は彼を見ていなかった。
「私はあなたの愛も、救いもいらない。今はただ、帝国の長としての責任を果たす。それがたとえ死ぬことでも、私は私の責任から逃げない。ジョニー、もうこれ以上、私を苦しめないで」
失恋、後悔、絶望……様々な感情が一気に頭を駆け巡り、彼の許容量から溢れたとき、ジョニーは彼女の前から逃げ出していた。




