誓約 ②
軍人であり士官でもあったジョニーは宮殿やそれに準じた壮麗な建物に馴染みがある。
だが今まで地下に追いやられ、山野を逃げ回ってきたレオンは、あまりにも綺羅びやかな内装に息を呑んだ。
謁見室に進む間、重臣たちの肝は凍てつく氷水に漬けられているようだった。
一応は身体検査はしたものの、相手は帝国の転覆を図る連中だ。
どんな手を使って女帝の命を脅かすかわからない。
だというのに、なぜ彼女は自ら率先して彼らと対話などをしようとするのか。
アーデルベルト公をはじめとした面々は理解に苦しむ。
謁見室に着くとルーネは部屋を守る衛兵さえも下がらせた。
何という大胆不敵か、とレオンも面食らう。
「言葉を交わすのに銃などいらない」
と、ルーネは驚く彼らにさらりと言ってのけた。
謁見室ではルーネが玉座に座り、レオンとジョニーは下座に椅子が用意された。
温かい紅茶も菓子も出た。
「さてと、夜までまだ時間はたっぷりとあるわ。それと、久しぶりね、ジョニー? 先の戦役では本当にご苦労さま。ヴィルシュタットを告発してくれたことも感謝している」
「はっ……」
いきなり褒められたものだからジョニーはいつもの癖で恐縮した。
「今はそちらのお仲間と一緒なのでしょう? 中尉さんのままなの?」
「いえ、こちらでは、少将であります」
「そう。おめでとう。あなたがあの事件の後、こちら側として戻って来てくれたときは大尉への昇進を用意していたのだけど、残念ね」
ジョニーは言葉に詰まった。
てっきり軍法に従って罰せられるものと思い込んでいただけに、昇進という褒美があったことに打ちひしがれた。
ルーネは次にレオンに視線を移す。
「さっきはいろいろあって挨拶出来なかったけど、改めて自己紹介しておくわ。はじめまして、レオンさん。ルーネフェルト・キャロライン・ブレトワルダです。職業は水夫見習い兼、皇帝をしています。以後よろしく。あなたのことも教えて頂戴」
「あ、あぁ……ええと、名前はレオン。実家は樽屋……でした」
「無理に敬語なんて使わなくても良い。堅苦しいの嫌いだから。それで、貴族が嫌いなんですって?」
「ああ」
「実は私も貴族が嫌いなの」
ルーネは眉間にシワを寄せてキッパリと言った。
「私も含めてだけどね、特に大貴族たちはその家に生まれたという一点だけで自分が偉いと思い込む。麦がどうやって収穫され、パンがどうやって食卓に並ぶのかも知らない。だから私は、彼らの家を継ぐ者をあなた達のもとで働かせようと思った。これはあくまで私の勘なんだけどね……あなた達、貴族の助けも借りているでしょう? 答えづらいなら答えなくても良い。でも教会以外であなた達を助けるとなるとそれくらいしか思いつかないから。きっと仕事が嫌になった貴族の長男たちね」
「そこまで知っているのなら、話が早い。陛下、貴族はすでに腐り果てた。これからは我々民衆の手によってこの国を動かすべきだ。世襲の領主などいらない。民衆の投票と選挙によって、能力のある者が政治の舞台に立つ。全ては議会で決定する。それが我々の理想だ」
それを聞いたルーネは肘掛けに頬杖をつき、暫く考え込んだ後に、一笑に付した。
「代々の貴族を廃して制度を改めることは賛同出来るけど、見識も学識もない農夫さえ国の長にする投票制は認められない。それは貴族以上に金と賄賂と利権の底なし沼に溺れ、堕落し、しかも今まで虐げられてきた自分たちの手で新たな貴族を生み出すことになるからよ」
少し冷めた紅茶を一気に飲み干したルーネは、押し黙る二人に厳しい目を向けた。
「そんな者にこの国を託すわけにはいかない! たとえこの国から貴族がいなくなったとしても私が皆を導いていく! そしてあなた達が語る夢には、この帝国全ての民を食べさせていく気概が感じられないのよ!」
獅子の咆哮にも匹敵する怒号に二人は恐れおののく。
「あなた達は性急過ぎる。物事には順序があるでしょう? 貴族は何代にも渡ってそれぞれの領地を治めてきた。それを突然潰してしまっては、どれほどの混乱をもたらすか。私を信じて、今しばらく辛抱してちょうだい」
今度は一転して、ゆっくりと諭すように言葉を紡いだ。
彼女は真心から言葉を尽くした。
実際、彼女もいずれは旧来の貴族たちの権限を弱め、悪行を法の下で裁き、その土地の有能な士を取り立てるつもりであった。
しかしレオンたちも、今更引き下がることなど出来ない。
全土の貧民たちの期待を背負っている。
更には法王の目も光っているのだ。
レオンは席を立ち、改めて彼女の見識に敬服し、そして最終的な望みを告げた。
「もはや、一刻の猶予も無い。陛下、我々はこの地に集った全ての民の一致した願いを申し上げる。どうか……御退位を」




