分裂 ⑤
宮殿に戻ったルーネは臣下からの報告を聞くや、休む間も無くローズが治療を受けている軍病院へ飛んでいった。
恐縮して起立しようとするローズを半ば命令する形で楽にさせ、爆破事件の経緯を熱心に聞いていく。
「店員を含め、帝都の民に死者が出なかったことは不幸中の幸いで御座いました」
「ええ。それに貴女と彼が死ななくて本当に良かった。それにしてもヘンリーったら、自分だけさっさとキングポートへ行ってしまうなんて。何か深い考えがあってのことだとは思うけど」
「奴のことです。きっと、また碌でもない企みを思いついたのでしょう。それはそれとして、陛下もくれぐれも御身の身辺をお気をつけ下さい。今後は外出をお控えになったほうが良いと思われます」
「……そうね。自分でも分かってはいるの。居ても立ってもいられない悪癖を。臣たちを信用していないわけじゃないし、とても頼りにしている。でも彼らは保身が強すぎるのよ。だから行動も決断も鈍いときがある。私が彼や貴女を気に入っているのは、そのあたりが迅速だからなのかな」
「……私も彼奴も、船乗りでありますから」
納得したルーネはくれぐれも養生するようにローズに言いつけ、実行犯の調査が終わるまでの間、宮殿で政務に専念することにした。
それにしても何やら国内がきな臭くなってきた。
やはり背後には教会が動いていると見るべきだろう。
さてこれからどう動けばいいのか……と、メリッサに淹れさせたミルクティをスプーンで混ぜながら彼女は思案に暮れる。
だがそのことばかりを考えてはいられない。
新領土のこと、貿易のこと、軍の再編とその予算、自分が承認せねばならぬ書類は日に日に標高を高めていく。
国の全てを皇帝ただ一人で回すことなどは不可能。
故に有能な臣下の存在が有り難い。
その臣下たちに綻びが生じている。
ヴィルシュタットの反乱はルーネにとっても大きな衝撃だった。
報告書の一部に、今回の事件を受けて貴族たちが領民に対して積極的な支援を始めたことも喜ばしい反面で、あまりに露骨な態度の変化に彼女は不信感を覚えた。
「疲れたわ…………メリッサ」
「はい、陛下」
「浴場に湯を」
「かしこまりました」
宮殿の浴場に少し熱めの湯が張られ、衣服を脱いだルーネがそのしなやかな四肢を温める。
船と隠れ家以外で彼女が一人の少女に戻ることが出来る貴重な場所。
凝り固まって痛む肩や首を手で解し、髪の毛をメリッサに洗わせる。
「お疲れのご様子でございますね?」
「うん、疲れた。正直ね、やってらんないよ。どいつもこいつも不真面目者ばかり。いっそのことメリッサを大臣にしちゃおうかな」
「えぇ!? 滅相もございません! わたしなんかが大臣様なんてとても……」
「そう? 私はアリだと思うけど? なにせヘンリーから貰ったお小遣いを全部婦長に預けちゃうくらいだもの。黙って貰っちゃえばいいのに」
「お小遣いというには金額が大きすぎます」
「彼の稼ぎからすれば可愛い額よ? 何を考えてるのか知らないけど、そのうち呼び戻さなくちゃ。それにしてもジョニーって中尉さんは大したものだわ。どうやって報いてあげればいいと思う?」
「軍人さんなら、やはり、昇進ではないでしょうか?」
「そうね。お給料も上がるでしょうし。今度陸相に相談してみるわ」
ルーネも、まさかそのジョニーが共和主義者たちの会合に顔を出しているとは夢にも思わなかった。
しかし、やがて彼女も知ることになる。
風呂上がりに新鮮な牛乳を飲み、櫛で髪を整える彼女のもとへ、急使が飛んできた。
次から次へと厄介事ばかり……とでも言いたげな顔であったが、急いで着替えを済ませて部屋へ入れた。
「一体何事?」
「畏れながら陛下、暴動で御座います」
「暴動? どこで? 誰が?」
「は……各地の農村や町の平民、農民で御座います。現地の領主の方々が、急ぎ陛下の御裁断を仰ぎたいと申しておりまして」
「暴動を起こすならそれなりの理由があるはずよ? 彼らは何と主張しているの?」
「……仔細は存じ上げませんが、領主の館を取り囲む暴挙に及んでいるとか」
これもヴィルシュタット事件が起因してのことに違いない。
ルーネはそう直感した。
自分たちの領主に対する不満と恨みを彼女は間近で見た。
それが今回で一気に起爆したのであろう。
傲慢な貴族たちの自業自得ではないか。
とは思いつつも、放置しておくわけにもいかない。
やがて彼らが無関係な領民にまで手を出せば一大事だ。
「仕方ないわね。参謀総長をこれへ」
帝国軍の偉丈夫カールハインツ元帥に対し、ルーネは暴動の鎮圧を命じた勅書を授けた。
「ただし、くれぐれも穏便に済ませなさい。彼らの主張をよく聞き、決して血を流すことが無いように。現地の領主らにもこれを厳命しなさい。いざとなれば私の名を出せばいいから」
「はっ! お任せあれ!」
カールハインツは広範囲の鎮圧に対応するべく、ドニス・ヴェルジュ大将麾下の第二軍団より軽騎兵部隊を幾つか派遣するよう指示を飛ばした。
ただちに騎兵銃で武装した騎兵中隊が各地に馳せる。
そこで彼らが見たものは、領主の館や町を取り囲む群衆だった。
聞き耳を立てても口々に発する主張は多種多様。
食料の要求、借金の帳消し、戦没者遺族への保障、などなど枚挙に暇がない。
しかしその中で特に声高に叫んでいる一部の者たちは、平民による政治の参加を訴えていた。
中隊長が彼らに近づくと、怯えと敵意の視線を浴びせかけられた。
一体何をしているのかと声高に問うと、彼らは生活の困窮と救済を領主に直訴しているのだという。
中隊長は一先ず領主に話を通すべきだと思って館の中へ入ったものの、そこは既にもぬけの殻で、領主の姿はどこにも無かった。
既に逃げ出していたのだ。
領主が領民を捨てて逃げ出した話はすぐさま群衆の中に広まり、館の内部へ雪崩込んで借用書などを焼き捨てていく。
領主がいないなら女帝に直訴すべきだ、と誰かが叫んだ。
行き先を館から帝都へ向けようとする彼らの前に、騎兵隊が立ちふさがる。
「止まれ! 村へ戻れ! 帝都へ行かせるわけにはいかん! 戻れ! さもなくば発砲する!」
騎銃を構える兵たちに群衆は抗議の声をあげる。
「無抵抗の民に銃を向けるのか!」
尚も進もうとする群衆の胸には、女帝に対する絶対的な信頼が強く宿っていた。
悪いのは彼女の周囲に蔓延る佞臣たちであり、自分たちの姿と声を直に届ければきっと救ってくださる。
それを阻もうとする軍もまた貴族の味方に過ぎないと彼らは思った。
しかし、歯車は狂って回る……。
「やむを得ぬ! 女帝陛下の御命令により暴徒を鎮圧する!」
「え……?」
「射撃開始!」
群衆に向けて騎銃が火を吹いた。
威嚇射撃のつもりだった殺意なき弾丸も、逃げ惑う彼らに偶然命中することもあり、人々は四方へ逃散っていく。
後に残されたのは負傷して地面を這う者と、当たりどころが悪く息絶えた者の骸。
負傷者はすぐさま最寄りの医師のもとへ搬送されたが、もはや取り返しがつかない結果となってしまったことに兵らは戦慄した。




