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海戦 ②



 件のレイディン一家はリンジー島に六日間滞在した。


 灰色狼の修理も粗方片付き、補給も十分。水夫たちもそろそろ休暇に飽きて狩りを恋しがっていた。いつまでも此処で燻っているわけにもいかない。船乗りにとって陸は帰るべき場所であると同時に、逃げ場のない袋小路でもある。だが海に出れば違う。あの蒼き草原こそが狼の狩場、ヘンリー・レイディンの縄張りに入った者は須らく彼の血肉となる。


 彼には一種の鼻が効いていた。

 獲物や敵の匂いを嗅ぎつける、第六感といわれる鋭い鼻が。


 海に出ると言い出したとき、ウィンドラスや黒豹など、彼をよく知る者以外は彼の単なる気まぐれだとか思いつきだと笑っていた。が、当のヘンリーは朝から望遠鏡で水平線の彼方を睨んだままで、まるで地震や嵐の前に動き出す鳥や小動物のようだった。


「ヘンリー、今度は何を嗅ぎつけたんだい?」


 出港準備を進める中、黒豹が舵輪に凭れ掛かって尋ねた。

 彼は相変わらず海の向こうを睨んだまま応える。


「わからん。わからんが……嫌な匂いがした。羊や驢馬の匂いじゃねえな。どちらかといえば犬の匂いだ。まあ、キングポートを出てから俺たちの匂いを嗅ぎながら追いかけてきた連中だ。ご苦労なことだよ」


「そろそろ追いつくって感じ?」


「奴らも間抜けじゃねえ。主人のためなら地獄の釜の中にまで飛び込んでくる忠犬どもだ。その主人をやられたとあっちゃぁ、尚更よ。こっちの首を食いちぎるまで追いかける」


「……あの子を乗せていていいのかい?」


「待っていろと言って聞くタマかよ。一人置いていくわけにもいかん。大体、この島はもう食い尽くした。いつまでも骨をかじり続ける趣味はねぇ」


「じゃあ、次の獲物は?」


「いつも通りだ。目についた獲物を味わうだけさ」


「奴らが追いついたら?」


「そんときゃそんときだ」


 係留索が巻き取られ、狼は海原へ出航していく。


 後に残ったのは食いつくされた残骸だけ。もはやリンジー島に生きる人間はおらず、あの墓標があるかぎり、ここに住み着く者もいないだろう。ルーネはタックと一緒に出航作業を手伝っていた。帆を張るために綱を引き、各部の報告を船長と航海士に伝えていく。


 進路は東。諸島の間を縫うように通過し、航路を目指す。


 ここいらはサンゴ礁が多い。グレイウルフ号ならば何とか通過できるが、大型の軍艦ではとてもではないが立ち入ることは出来ない。そして同等の相手ならば決して負けない自信があった。作業が一段落したルーネはサンゴ礁の美しさに息を呑んだ。色とりどりの魚たちが沢山泳いでいた。狭い海域なので速度も遅く、暇な水夫が釣り糸を垂らした。


 誰もがいつも通りの仕事をこなしていた。


 指揮をウィンドラスに任せたヘンリーは船長室から厨房へコーヒーを所望し、タックは掃除で忙しかった為、代わりにルーネが持っていった。


「船長、コーヒーですよ」


「ルーネか? 入んな」


 キャビンに入ると、彼は珍しいことに書物に目を通していた。


「珍しいのね。船長が本だなんて」


「俺だって勉強はするさ。ああ、丁度いい。お前さんにも聞きたいことがあるんだ」


「何? 胸なら見せないわよ?」


 コーヒーをテーブルに置く彼女が疑いの目を向けると、彼は鼻で笑う。


「ハッ、お前のぺったんこな胸なんぞ誰が見たいかよ。タックじゃねえんだ。聞きたいってのは、お前さんの身の上のことだよ。暗殺ってのは大抵下克上か、もしくは地位を狙う同格の奴が仕組むものが相場だ。で、心当たりはあるか?」


「船長にしては政治的なお言葉ね?」


「ウィンドラスの奴がな、皮肉のつもりか『世界の悪党全集』なんて本を昔に寄越しやがってなぁ。今しがた読んでみたわけだ。えげつないねぇ、玉座を狙う輩ってのは」


「船長もそのうちページを飾りそうね。思い当たる人は……沢山いすぎて見当もつかないわ」


「その中でも一番地位が高いのは?」


 ルーネは胸に手を当てて思い当たる人物の顔を並べ立てる。


「多分……叔父の、ジョルジュ大公。父の弟よ。私が消えれば彼が次の皇帝でしょうね。私に船旅を提案したのも叔父よ」


 彼はコーヒーを啜りながらさも可笑しげに笑う。


「くっくっく。本の通りだな。お家騒動ってわけだ。地位や財産がある家ってのは面倒だね」


「そうね。本当に、しみじみそう思うわ。ねえ船長、人生を楽しく送るコツって何?」


「そりゃお前……もう解ってるだろ? いい子を辞めてコーヒーを飲むことさ。お前さんの場合はミルクティってところか」


「何よ、子供っぽいって言いたいの?」


「ぽいじゃなくてガキだろ。いっそのこと叔父に任せちまったらどうだ? 皇帝なんざ単なる飾りだろうよ。ルーネ、世界で一番力のある強盗団は誰だか知ってるか? 答えは国だよ。俺達は生きている間の一代限り。だが国は頭が変わるだけで続く。実際碌でもない人間が王様になるものさ。だからいつか潰れるんだ。俺たちみたいなのが出てくるからな」


 ヘンリーの言葉には一理あり、ルーネも反論しようとは思わなかった。


 叔父の仕業と決まったわけでもない。他の貴族の線も十分考えられる上に、今は帝国に戻る気は無かった。どのみちこのまま戻らなければ帝位は叔父に決まる。本国では既に死んでいることになっているのだから、戻ったところで、余計な混乱をもたらすだけかもしれない。


 元々帝位など継ぎたく無かったのだから。


 昼食を作るために厨房へ戻ろうとする彼女の足を、ヘンリーの神妙な声が止める。


「今回はちょっと覚悟しておけ。恐らく、お前さんの仇討ちをしようって奴らと出会うかもしれん。いざとなりゃお前さんを本当に人質にするかもしれんし、撃ち合いになれば……な?」


「……わかっているわ。だって、貴方の見習いだもの。私だって狼になってみせる」


「そうかい。黒豹が二人になるのは、勘弁してほしいがな。もういいぞ。仕事に戻りな」


 退室した後、ヘンリーは再び本を開いた。悪王や陸のギャング、そして大昔に暴れた海の先人たちの名が解説つきで綴られている。その中には彼が見習いとして乗り込んだ船の名もあった。


 彼女の言うように、いずれはこの中に名を刻むかもしれない。望むところだ。


 男として産まれたからには歴史に名を刻むのも悪くない。

 世の中を騒がせた悪党としてなら、もっと痛快だ。


 だが彼女はどうだ。このまま見習いやって独り立ちでもして、一端の女海賊やってこの本に名を刻むような人間なのか。ヘンリーは本を閉じ、天井を見上げる。


「そういつまでも見習いさせてやれねぇよ……うちは」


 彼の視線の先に掲げられた世界地図。大小様々な国が海の上に浮かんでいるが、其の中でも群を抜いて巨大な国土を誇るのが帝国だ。様々な人種が生き、様々な幸福と不幸が渦巻いている。


 皇帝の玉座はそれらを全て背負わねばならない。力で制した国は力によってひっくり返されるのが世の常だ。はじめは小さな力でも合わされば国を丸ごとひっくり返す。


 国も船も同じ。いくら力で封じても部下は不満を募らせ、やがて爆発する。


 問題はどうやって舐められずに尊敬を集めるか。

 ともなれば船長についていけば自分が儲かる。

 この一点だけだ。あとは適当に掟を作って船の秩序を維持し、仕事に専念する。


 手が回らないところは優秀な部下に丸投げだ。

 平穏無事な内は偉そうに座っていればいい。

 国も凡そ同じところだろうとヘンリーは世界地図にピストルの銃口を向けた。


 そういう意味では彼もならず者の帝王だった。


 本人はまだ知らないが、未曾有の懸賞金1000帝国金貨ゲルト、皇女殺害、リンジー島襲撃、噂は尾ひれがついて全世界に飛び火する。元よりマーメリア海きっての海賊だった彼にそれだけの悪名が加われば、彼を蹴落として成り上がろうとする玄人と、彼に憧れて我も我もと陣列に加わりたがる素人が出来上がる。逆もまた然り。


 良きにしろ悪しきにしろ、名声は求心力を産み、人が集まれば国となる。だがヘンリーは王の器はあっても、王になる意思は毛筋も無かった。


 船長室から出たヘンリーは甲板へ上がり、指揮所にいるウィンドラスからサンゴ礁を抜けるまで一時間ほどだと報告を受けた。操舵手も難所を無事に乗り切ってみせるとやる気満々で、黒豹率いる甲板員も今は暇そうに見張りに徹している。


 周囲に何もない洋上を航海する際は、太陽や星を観測して自分たちの位置を割り出す。


 が、陸地や島が多い海域は、羅針盤などのコンパスを用いて島の両端や灯台など二つ以上の角度を取り、海図に線を引いて交わった一点に自分がいる具合だ。


「平穏だな。静か過ぎるほどに」


「嵐の前のなんとやら、でなければいいんですが。船長の勘は何と?」


「相変わらず匂いがする。飼い主に尻尾を振るだけの、人間くせぇ犬の匂いが」


「見張り員! 何か見えるか!」


「今のところは何も!」


 船体前部のフォアマストの見張り台に立つ水夫が、望遠鏡で辺りを見渡す。


 見えるのは木々が生い茂る島と白い海鳥。小さな漁船一隻見当たらない。


「杞憂のようでしたね」


 サンゴ礁の出口、眼前に航路が広がり、ウィンドラスが安堵したその時――。


「船だ! でかいぞ! ありゃぁ……軍艦だ! フリゲート!」


 刹那、両舷の海面に水柱が立った……。



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