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異変 ③

「して中尉殿。当家に何の御用かな? 帝都からの使者かね?」


 尊大に椅子へ腰掛けた伯爵の言葉で我に返ったジョニーは、帝都ではなく村の使者として来た旨を告げた。

 戦時の強行的な徴用によって村人は困窮し、越冬の不安に満ちている。

 領主として彼らの生活を保障して欲しいと要請した。

 するとヴィルシュタット伯は、心外だ、とでも言いたげに目を丸めた。


「これは異なことを。戦時において領地から国家のために物資を送るのは爵位ある者の義務ではないか。領民もまた国家の勝利のために貢献するのは当然のこと。第一、戦費にせよ食料にせよ、君たち軍人が万全に戦えるためではないか。それをけしからんと言われるのは、いやはや驚き入った。余はてっきり感謝されるものかと思っていたぞ」


 そう言われては軍人として返す言葉もなく、ジョニーはなんとか交渉出来る手段は無いものかと激しく思考を巡らせた。


「た、民を困窮に追い込むことは、陛下の御意に沿わぬものと思われますが?」


 苦し紛れに言うや否や伯は椅子の肘掛けを強く叩き、ジョニーを驚かせた。


「言葉を慎み給え! そなたは余を理不尽に弾劾するために、こともあろうに、臣下の分際でありながら陛下の御意を私用するというのかね! 自らの不見識を棚に上げてよくもぬけぬけと。なんたる不敬か! 余は不愉快である! 疾く立ち去るがよい!」


 腹立たしく退室した伯の足音がいつまでも残響し、館を追い出されたジョニーは半ば放心状態だった。

 目に浮かんだ悔し涙を指で拭い、士官として毅然な態度を保とうとする。

 しかし平静になろうとすればするほどに心は乱れ、貴族に対する不満を誰でもいいからぶちまけたくなった。

 悩んだ挙句にあるき出したジョニーは、町の酒場に行くことにした。

 そんな生意気な士官を館の窓から見下ろすヴィルシュタット伯は、してやったりとほくそ笑む。

 背後に控える執事が恭しく一歩近寄った。


「旦那様、宜しかったのですか? もしあの若造が帝都に戻って軍上層部から陛下の御耳に達するようなことになれば、些か厄介なことになるかと……」


「心配するでない。宮中貴族にも軍上層部にも友人は多くいる。あのような世間知らずに何が出来るものか。戦場で僅かな手柄を立てたからといい気になりおって」


 伯は手にしていた白のグラスワインを飲み干し、その表面に映った己の顔をうっとりと眺める。


「平民は大人しく従っておればよいのだ。世は支配するものと支配されるものによって成り立っておる。そして支配者とは、その身に流れる一族の血の貴さと、金の力を握った者でなくてはならんのだよ」


「仰せごもっとも……」


 町を行き交う平民や貧民を見る彼らの瞳は、生涯飢える心配は無い安全という名の快楽に酔いしれていた。

 さて自棄酒に溺れてしまおうと酒場の戸を押し開け、カウンター席に座ったジョニーは琥珀色のラムを喉と胃に流し込んでいく。

 とにかく酔っぱらいたかった。

 はじめから分かっていたこととはいえ、一介の中尉ごときで太刀打ち出来る相手ではない。

 嗚呼、村に戻って皆になんと説明したものか。


 やっぱり駄目でした、と正直に言ってしまおうか。

 だが両親をはじめとした皆に失望されるのは嫌だ。

 いっそのこと帝都に戻って上司に報告すべきか。

 否々、たとえ報告したとしても軍人の領域を越権したとして叱責を受けるだけだろう。

 貴族にも伝手はなく、考えれば考えるほど酒量も増える。


「お客さん、もうその辺にしておいた方が……」


 ボトル一本を飲み干した彼を気遣って店主が声をかけるも、ジョニーは真っ赤に茹で上がった顔でグラスを差し出し、おかわりを求めた。


「いいからもう一杯! たく……戦場にも行かなかった臆病者が、なぁにが偉そうに。一度でいいから、銃剣で敵を串刺しにしてみろっていうんだぁ」


 カウンターに突っ伏して泥酔独特の吐き気を催すジョニーの隣席に、一人の男が座った。


「オヤジ、ジンを一杯……いや二杯だ」


「へぇ」


 グラスに注がれた二杯のジンが男の手元に渡ると、そのうちの一杯をジョニーの側へ滑らせた。


「やっ、お若い軍人さん。一杯奢るよ」


 突っ伏していた顔を上げて男の方を見ると、鍔の広い帽子を被り、擦り切れた黒い旅衣を纏った中年の男性が愉快そうにジョニーを見ていた。

 一見すると薄汚い旅人といったところだが、その割には金色の瞳には知的な色がある。

 その視線を受けていると、あれほど酔っていた気分が段々と醒めてくるようだった。


「あんたは?」


「俺か? 俺はレオン。自由の戦士さ」


 思わず乾いた笑いが漏れた。

 自由の戦士とは一体何の冗談だ。

 単なる酔っぱらいか、それとも自惚れ屋か、はたまた詩人の類か。

 ただ、狂人とは違うらしい。

 丁度いいので愚痴の捌け口にでもなって貰おう。

 ジョニーはそんな軽い気持ちでジンのグラスを取った。


「見たところ自棄酒のようだが、上司と喧嘩でもしたいのかい?」


 気さくなレオンの言葉に促され、ジョニーは酒の勢いで今までの経緯を語った。

 領主の悪口を言っても誰も気にしなかったのは、言葉にこそ出さないが、誰もが心に同じ思いを抱いていたからだ。

 貴族なんてそんなものなのだ、と。


「そうともさ! 貴族なんて碌でもない連中ばかりさ!」


 突然立ち上がったレオンが、驚く客らに向けて声をあげる。


「貴族がなんだっていうんだ! 平民でも貴族でも、俺達は人間じゃないか。人間は全員が分け隔てなく自由であるべきなんだ! 貴族のような特権階級なんて必要ない! 誰もが裕福に暮らし、好きな人生を過ごし、そして俺たち自由の民衆が国を動かすべきじゃないか! 全ての民に平等を! 自由を! 権利を!」


 驚愕のあまり呆然と聞き入っていたジョニーは、彼が己のことを自由の戦士と名乗る所以を理解した。

 それにしても何と大それたことを堂々と言い放つのか。

 軍人としてはとても聞き捨てならないことだ。

 国家に対する反逆としてすぐさま通報するか、自ら抜剣して拘束すべきだったろう。


 だがジョニーは聞き入ってしまった。

 こんな斬新な考えを持つ男に興味を抱いてしまった。

 自由の戦士は自称するとおりに自由に言いたいことを言い尽くし、残っていたジンを飲んで喉を潤すや、ジョニーの肩に腕を回して顔を寄せた。


「へへっ。兵隊さん、あんた伯爵のとこに乗り込んだってんだろう? 普通じゃとても出来ることじゃあない。まして国家の歯車である兵隊なら尚更。俺たちも弱き者を救いたいんだ。どうだい? 興味があるなら、今夜にでも――」


 そのときけたたましい警笛が鳴り響いた。

 店外にいた誰かがレオンの演説を聞いて通報したのだろう。


「っと、いけねえ! またな、兵隊さん!」


 駆け出す直前、レオンは小さく丸めた紙をジョニーの上着のポケットに押し込んだ。

 表の道路では拳銃と思しき銃声と兵士たちの足音が響いている。


「逃がすな! 共和主義者だ! 必ず生け捕りにしろ!」


 喧騒の中から聞き取れた【共和主義者】という言葉。

 そしてポケットから取り出した紙を広げてみると、深夜0時に町の郊外にある大岩の側で待つ、と書かれていた……。

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