異変 ①
澄み渡る快晴の空の下、街道を馬で行くジョニーは鼻歌を口ずさんでいた。
他の兵士と同様に戦後の休暇を与えられ、久々に故郷へ錦を飾るべく、ゆらりゆらりと馬上で蹄の足音を聞く。
あたりには風に揺れる草花が広がり、彼方には故郷の山々が手に取るようにそびえている。
街道を往来する行商人や旅人は、この若い軍人に対して気さくに挨拶を送ってくれた。ご苦労様とか、戦勝おめでとうとか言われると悪い気はしない。
それでこそ戦った甲斐があるというものであるし、幼い頃から憧れた騎士になれたようで自尊心も満たされる。
ただ一方で、実際に戦場を体験したことが無い彼らの言葉は、どうにも薄っぺらくも思えた。
同期生などは都の酒場で偉そうに戦術を語る素人と喧嘩になったとも聞く。
国や人種は違っても、銃で撃つ殺し、剣で突き殺す感触は、戦場で戦った者だけにしかわからない。
「と、いけないいけない。里帰りなんだから元気を出さないと」
頭を切り替えて、母の手料理を思い描く。
貧乏な農家だがそれだけに工夫された素朴な料理は美味かった。
大麦ライ麦の雑穀パンに粥、ジャガイモのチーズ焼きやカブのスープ。
ベーコンと大豆の煮込みなぞは最高だ。
瓜のピクルスもいい感じに漬かっているだろう。
父とエールやワインで酌み交わす夜が楽しみだ。
土産話もたっぷりとあるので、村に残った幼馴染たちに披露してやろう。
「それっ! いざ走れ! エクウス!」
馬の脇腹を軽く蹴り、手綱をしっかりと握って街道を駆けた。
村を出ていった農家の息子が突然馬に乗って戻ってきたら、皆もさぞ驚くことだろう。
しかも今では陸軍中尉様だ。
休暇が終われば中隊副官を拝命し、やがては大尉となって自分の部隊を率いることも出来る。
ようやく士官として騎乗出来る身分になれたのだ。
この馬も士官用の官給品ではあるが、馬体は逞しく、気性も大人しいので、馬術の基礎訓練しか学んでいないジョニーの指示にも素直に従ってくれる。
騎兵隊の連中から言わせれば素人同然なのだろうが、愛馬エクウスに寄せる信頼は誰にも負けないつもりだ。
野を越え、森を抜け、丘を下り、段々と懐かしい風景が広がる山の麓の農村バオアードルフが遠目に見えてきた。
山から下る小川に石橋が掛けられて村の入口となっており、橋の前でエクウスから下りて橋をわたる。人口は百人ほどで農家は三十戸の小さい村だが、川の恩恵でそれなりに作物が取れる豊かな土地が自慢だ。
ところがジョニー目に映った光景は、以前とは明らかに違っていた。
「こ、これは……」
畑は荒れ、人々は家の中に隠れて怯えた視線を窓の隙間からジョニーに向け、村全体が非常に陰気な空気に満ちていた。
村を出たときの活気など、何処かへ吹き飛んでしまったかのようだ。
まさか山賊の襲撃でも受けたというのか。
ジョニーはエクウスを伴って急ぎ足で村へ立ち入ると、彼の様子を伺っていた村人たちはすぐさま窓を閉じた。
気にはなったが、まずは自分が生まれた家へ走る。
石壁の木造二階建ての、家というよりは納屋に近いと言われれば反論出来ない一軒家が彼の生家だ。裏手に畑があり、他に柵の内側で豚や鶏も飼っている。
その柵にエクウスを繋いで表に戻った。
思い切ってドアを押し開けると、初老の父母が互いに抱き合って、小刻みに肩を震わせながら家に押し入ってきた兵隊を見つめていた。
「父さん! 母さん! 僕だよ、ジョニーだよ!」
軍帽を取って顔を晒すと、我が子をまえに両親は目を丸め、やがて母親が駆け寄った。
「ジョニー!? 本当にジョニーなのね!?」
「ああ、そうだよ、母さん。ただいま」
白髪が目立ち始めた細身の母を抱きとめ、視線を父に向ける。
「父さん、一体村に何があったの? みんな怯えきって、村も荒れてるし」
「うむ……詳しい話は、また明日にでもゆっくりと話そう。ジョニー、疲れたろう? まずは着替えてきなさい。母さん、何か作ってやれ。少し早いが夕飯にしよう」
「はい……」
母が台所に立ち、父が席に戻ったので、ジョニーも階段を上がって幼少期の思い出が詰まった自室に入った。
すっかり綺麗に整理整頓されて、あるものといえばベッドや本棚、そして勉強机とクローゼットくらいのもの。
だが本棚に並べられたお気に入りの本も、クローゼットの私服も、何も変わってはいなかった。
麻のシャツとズボンに手早く着替えて再び居間に戻ると、テーブルの上に夕飯が並べられていた。
硬い黒パンに粗末なチーズ、スープには大豆と僅かな豚の塩漬け肉が入っていた。
記憶に残る食卓とくらべてみてもかなり簡素になっている。
席に着くと、父がグラスにワインを注いでくれた。
「せっかくの帰省だというのに、こんなものしか無くてすまんなぁ」
「いいよ。二人が元気そうで安心した」
食前のお祈りをした後にそれぞれが木のスプーンを取ってスープを啜る。
味付けは塩と庭で育てたハーブで、豆の甘さと豚の脂が溶け込んでいた。
「ジョニーも、戦争に行ったのかい?」
食事も佳境に入った頃合いに、母が尋ねた。
「うん……行ったよ」
「敵を殺したのか?」
今度は父が身を乗り出してきた。
「軍人だもの。自分が生きるだけで精一杯だった。でも、おかげで少し出世したんだ。まだ陸軍中尉だけど、いつか将軍になってみせるから。そのときは二人にも楽な暮らしを……」
答えるうちにジョニーは言葉を失っていった。
軍人の務めとはいえ、他国の人間を殺した我が子を見つめる両親の悲しげな目に耐えきれなかった。




