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教会 ②

 数日後の早朝。

 突然の召し出しにアーデルベルト公は大いなる不安に苛まれた。

 ヘンリーとパナギアの件は彼も聞き及んでいる。

 確信があるわけではないが、少なくとも今までの事例から省みて、彼が絡むと国内外とも碌なことにならない。

 その最たる例が先の戦役であった。もちろん女帝の意向があってのことではあるが、それだけに臣下の身としてどこまで諌められるか……。

 執務室の扉をノックして入室したとき、ルーネは不機嫌そうに頬杖をついていた。

 手元には開かれたままの聖典があり、視線の先には歴代皇帝の軌跡を記した帝国の史書が書棚に収まっていた。


「陛下、お召に従い参上致しました」


「……ご苦労様」


 それから暫く室内は静寂に支配された。

 いつもならば手早く用件を口走るはず。

 アーデルベルト公は黙して直立不動を保ち、彼女の言葉を待つ。

 するとルーネは指先で何度か机を叩いた後に漸く口を開いた。


「ねえ、爺や……質問があるのだけど」


「はっ……臣の知識の及ぶところであれば何なりと」


 このとき彼は背筋に悪寒を覚えた。

 出来ることなら聞きたく無いとさえ思った。

 しかしルーネは彼の気持ちを知ってか知らずか、間髪をいれずに疑問を問う。


「皇帝と法王とでは……どちらの立場が上だと思う?」


 瞬間、彼の老体に電流が駆け抜けた。

 落雷に打たれたかのような衝撃に全身から汗が滲み出す。

 帝国史の大家である彼は、かつて幾度も同じ問題を提起した者たちを知っている。

 そして彼らがどういう末路を辿ってきたのかも。

 今回が異例なのは、先例では臣下たる学者や皇帝の側近たる大臣などが言い始めたのだが、帝位にある者が教会の権威に口出すのは初めてのことだった。

 アーデルベルト公は言葉に詰まるも、直々の御下問をなあなあに済ますことは許されない。


「畏れながら陛下、皇帝とは権力の頂点にして、法王は権威の頂点と心得まする」


「では権力と権威とはどちらが上なのか。権威があるから権力を得るのか、権力があるから権威を得るのか」


「それは……」


「皇帝の冠は神授によって位を得る、とでも爺やは言いたいのでしょう? 皇帝も法王も神から与えられたものだから上下なんて無いと」


「ご賢察に御座います。少なくとも過去の先例と研究により、かくの如く結論付けられております」


「そう。では、神から冠を授けられた皇帝の方が上ではなくて?」


「は? 仰る意味が臣にはわかりませぬが」


「簡単な話よ。皇帝の冠は神から授けられたものであり、法王は神の使徒にすぎない。帝冠を法王が授けるのもあくまで神の代理人であって、皇帝に帝冠を与えると決めたのは神自身。なんで神に選ばれた者が、神の使いっ走りと同格なものですか」


 老宰相は激しい目眩と動悸に襲われた。

 なんと罰当たりなことを口走るのか。

 もし教会本部の耳にでも入ったら、いかに皇帝といえども神罰は免れぬものと詰め寄ってくるに違いない。

 身分が身分ゆえ、法王が直々に説法をすることにでもなれば、宮中は大騒ぎになるだろう。

 下手をすれば大貴族がまた分裂する恐れもある。

 それだけは絶対に避けなければならない、と老宰相は決死の覚悟で諌めた。


「陛下! 臣めはこの生命を賭して申し上げます。決して、教会を敵に回してはなりませぬ。神の声を聞き、神の口となり、神の教えを説く教会をことさらに敵視なさいますな。教会が帝室に歯向かったわけでも御座いますまい。また、教会に帝国の法は特例として適用外であり――」


「アーデルベルト公爵?」


 諫言の途中、彼女は敢えて遮った。


「私はね、決して神の御意志に逆らうつもりなんて無いの。ただね、私は今の教会の在り方が気に食わないだけ。あなたは私に対する忠誠心から諌めてくれている。ありがたいことだわ」


「はっ……」


「でも気に食わないものは気に食わない。考えても御覧なさい。いくら神の使徒を名乗っていても、だからといって、神の教えたる聖典を勝手な都合で書き換えていいと思う?」


「そ、それは……」


「法王といえどただの人間でしょう? だというのに、まるで自分こそが神であるかのように振る舞うのはそれこそ傲慢の大罪よ。そして、その傲慢によって私の民が不幸になることだけは断じて許すことは出来ない。それって罰当たりなこと? 神がお怒りになると?」


 公は遂に黙した。

 攻め時と見たルーネは決然と立ち上がり、彼を部屋に呼ぶまでの間に作り上げた法案の羊皮紙を差し出す。


「直ちに議会にかけなさい。そして必ず可決なさい」


「拝見致します」


 受け取った公が恐る恐る羊皮紙を開き、そこに書かれた聖堂教会本部に突きつける五箇条を読むなり、公は青ざめた。


一つ、聖典の修正等、法王の意思決定は事前に皇帝の勅許を要すること。

一つ、法王の選定は皇帝及び帝国議会の承認を要すること。

一つ、教会は帝国の一機関とし、他の組織結社同様に納税の義務を負う。

一つ、教会内で不法を犯した者は法王から神父に至るまで帝国の刑法によって裁かれる。

一つ、教会の経費予算は帝国議会によって決定する。


 これは明らかに教会を皇帝の下につける意思の表れだった。

 法王の選定も教会の存続も、全ては時の皇帝の意のままとなるだろう。

 もしこれを教会に知らせたとき、一体どれだけの反発が巻き起こるか。


「なれど陛下、現在の法において、教会は帝国の法の適用外でございます。たとえ議会で可決したとしても、法として教会を縛ることは叶いません」


「では勅命として叩きつけなさい! この帝国の大地に生きる以上、私の法と勅に例外など一切認めない!」


「もし教会が拒否したときは如何なさるおつもりで!」


 たまらず女帝に詰め寄った公に、彼女はひどく冷たい視線で答えた。


「そのときは宰相ではなく参謀総長を部屋に呼ぶでしょうね」

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