子狼 ⑤
ペールの懸念は杞憂に終わった。
なぜなら獲物と定めた港から手痛い反撃をくらい、村の青年が放った散弾を喉に受けて命を落としたからだ。
船長を失ったことはバスタード号にとってこの上ない損失だった。
早急に次の指導者を決めねばならないが、航海士は負傷して寝たきりになってしまい、航海術に長けた者が他にいるだろうか。
水夫たちの視線がヘンリーに注がれた。
二十歳にも満たぬ二等航海士が圧倒的な支持によって新船長になったことは、ヘンリーにとっては幸運であり日頃の努力の結実でもあった。
ヘンリーが船長として初めて手をつけた仕事は、前船長ペールの仇討ちであった。
前回は真っ向から港に押し入ったために村民に包囲される形となったため、今度は少し離れた場所に上陸し、軽装備のまま森を迂回して村に入る作戦を立てた。
艦砲が使えない不安を口にする者もいたが、ペールの仇討ちともなれば従わざるを得ない。
上陸自体は容易に済み、各人が持てるだけの武器を携えて、鬱蒼と生い茂る木々や沼の間を抜けていった。
一度撃退に成功したことから、村は油断しきっていた。
まさかまた襲ってくるとは思っていなかったのだろう。
おかげで奇襲は成功した。
手始めに村民を皆殺しにし、家々を略奪して水や酒と食料を手に入れると、そこで新船長のもとで祝宴が開かれた。
存分に飲み食いを楽しみ、また奪った村の財産を船に積み込むと、あとは家屋を燃やして帆を進めた。
「今度の船長は中々やってくれるぞ」
水夫たちにとって飢えた腹を満たしてくれるのならば、たとえ年下の後輩であっても大歓迎だった。
その後も帝国や南方王国の航路に出没しては狩りを繰り返した。
ときに商船になりすまし、ときに漂流にみせかけて救助を要請し、ときに真っ向から襲いかかった。
夢にまで見るほどに焦がれていた船長の座は、海賊という生業も含めて彼の天職であったのかもしれない。
航海を続けるうちに新たな出会いもあった。
奴隷運搬船を襲撃したときのことである。
非合法な奴隷貿易が罷り通る帝国では、奴隷も立派な商品となっていた。
故に香辛料などと同等の略奪品の一つであり、見込みがある者は水夫として人員の補充にも使えた。降伏した奴隷商人に命じて船倉に押し込められていた褐色肌の南方人たちをずらりと並べさせ、活きが良さそうな者を探していると、一人の少女がヘンリーに向かって飛びかかった。両腕と両足を縛られているにも関わらず、少女はヘンリーに体当たりを食らわせ、喉元に食らいつこうとした。
それをヘンリーはガッチリと彼女の喉を掴み上げ、逆に組み伏せる。
彼女の目は、かつての自分とよく似ていた。
ヘンリーはナイフを抜いて彼女の拘束を解く。
「お前、俺の船に乗れ。奴隷人生なんざ終わりだ」
彼女はキョトンと目を丸めた。
しかしヘンリーは彼女の驚きを無視してバスタード号へ手を引いた。
「お前名前は?」
「……知らないね」
「そうか。じゃあ俺がつけてやる。お前のさっきの動きは見事だった。まるで豹だ。だから今から黒豹と呼ぶことにする」
これを見た奴隷たちは我も我もと乗船を希望し、それ以来、黒豹はヘンリーのもとで働くようになった。
彼女もまた生まれて初めて味わう自由という果実に酔いしれ、そして己に名をくれたヘンリーの器量と戦いぶりに魅了された。
略奪が成功する毎に同業者の間でもヘンリーの名は売れ始め、そのときには度重なる戦いで元々バスタード号にいた面々も随分と顔ぶれが変わっていた。
ただ、問題も抱えていた。
航海術を習得した者が、そのときはヘンリーしかいなかったのだ。
早急に航海士を雇わねばならない。
そんなとき、バスタード号は嵐に見舞われた。
激しく打ち付ける高波と暴風に晒され、左右に激しく船体が揺れてけが人も出た。
なんとか嵐を乗り越えてゆらゆらと海を漂っていたとき、別の海域で同じ嵐に見舞われて、自分の船から投げ出された男が海に浮かんでいた。
必死に掴んだ流木にしがみついたまま気を失っており、どうせ死んでいるだろうと誰もが見捨てようとしていたが、ヘンリーは引き上げさせた。
奇跡的に意識を取り戻したその男は、ウィンドラスと名乗った。
船乗りらしからぬ清潔さを持つウィンドラスは海賊船に拾われたことに失望し、煮るなり焼くなり好きにして構わない、と自らの結末を覚悟した。
「お前航海術わかるか?」
「人並みには……それが何か?」
「採用。今日から航海士になってもらう」
黒豹のときと同じように、彼の人選は問答無用だった。
「私は神に仕える身です。人を殺め、奪う所業に加担することは出来ません」
「ほう。では聞くがな、お前らが崇める神とやらが生み出した獣を見ろ。手前が生きるために他の生命を食らってるし同族だって平気で殺す。人間も所詮は神が作った獣だ。他ならぬ神が作り給うた自然の掟だぞ。つまり俺こそが神の教えに従順なのさ」
ぽかんとするウィンドラスの肩にヘンリーが手を添える。
「俺がお前さんを拾い上げたのも何かの縁だ。一つ、よろしくということで」
詭弁を弄する彼に絆された感もあったが、命を救われたことに変わりはなく、以後ウィンドラスは彼の片腕となって常に側で支えていくことになった。
その後も軍の目を盗んでは密かに港に入る度に航海に欠かせない人材を集めた。
岸壁の隅で船乗り相手に屋台を出していた料理人、海に憧れながら万引きを繰り返していた悪戯小僧、船に怪しげな薬を売りにきた医者、飲み屋で一杯奢って意気投合した船大工。
頼もしい幹部を揃えて仕事に勤しんでいたヘンリーの耳に、風の噂で当時の皇帝、すなわちルーネの父が私掠船制度をはじめたのだと聞いた。
国の許しを得て合法的に略奪をできる。
ただしそのうちの何割かを税として納めるのだとか。
三日三晩部屋に篭って考え込んだヘンリーは、ウィンドラスの勧めもあって、私掠免状を申請することにした。
しかし下手に港に近づけば軍に捕まる恐れもある。
制度の知らせそのものが罠にも思えた。
選んだ港は本土から離れた小島のキングポート。
念のために他国の商船になりすまし、まんまと港に入ったヘンリーは、ウィンドラスを伴って領主フォルトリウ伯の屋敷へ赴いた。
港に入れたバスタード号の甲板では、カノン砲の砲口が屋敷を狙っていた。
押し入り同様に屋敷を訪れたヘンリーは、ウィンドラスに受付を済まさせて伯爵の執務室へ案内され、入室するや両手に抱える大きさの箱一杯に詰められた宝石の山を見せつけた。
「何の真似かね? これは」
「つらつらと惟んみたんですがね、これから帝国のために働こうと思い至りまして、こいつは伯爵さまへのご挨拶ってところです」
「それは殊勝なことだねぇ。ウフフ」
これにフォルトリウ伯は飛びつき、すぐさま私掠免状を与えた。
後に屋敷を大砲で狙われていたと知ったフォルトリウ伯は震え上がったという。
かくして帝国公認の私掠船となったヘンリーは、バスタード号を元手に新たなグレイウルフ号を手に入れ、キングポートを母港とし、更に悪名を高めていくこととなる。
幾度かの略奪を終えて海猫亭で寛いでいたヘンリーのもとに黒尽くめの男が訪ねてくるのは、それから暫くのことだった――。




