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生母 ②

 恩賞として与えられた屋敷の一件目が帝都の一角で完成した。

 三階建て、中庭付き、屋敷内には浴場や台所はもとより、地下には酒蔵や書庫、武器庫、射撃場に加えて、寝室の数も百室はある巨大なものだった。

 明らかに個人の屋敷というよりは、彼の船の乗組員の寝泊まりも計算に入れられた造りであり、普段の掃除などを請け負う使用人から内部を案内されたヘンリーたちは圧巻された。


 水夫用の個室はベッドと棚に机といった簡素なものではあったが、それでも極上の羽根布団に飛び込めばまさに夢の心地を味わえた。

 また幹部用の寝室にはそれらに加えて部屋も広く、ソファや書棚、簡素な赤レンガの暖炉なども設けられていた。

 当然のことながら、屋敷の持ち主であるヘンリーの部屋が最も広く、かつ豪勢だった。

 鏡のように磨かれた大理石の床に、来客を応接するために大きなソファが向かい合って二つ部屋の中央に置かれ、さらに部屋の大窓に面した執務机と椅子も厳選された調度品だった。

 隣接した別室の寝室には天蓋つきの広いベッドに暖炉、そして個人用の浴槽まで用意されていた。名だたる大貴族の私室にも負けず劣らない。

 しかも、これと同じ造りの屋敷が、今後は帝国の港という港に設けられるというのだから、驚きを通り過ぎて呆れかえるしかなかった。


 ともあれ、貰えるものは貰っておくのがヘンリーの流儀。

 当分海に出る予定がないので、しばらくはこの屋敷で過ごすことになるだろう。

 そこでヘンリーは、まずハリヤードに食料の買い出しを指示し、黒豹には武器庫に収める剣や銃、弾薬の調達を命じた。

 ウィンドラスには屋敷の権利書や他の細々とした書類を整理させ、それぞれに手伝いとして水夫を五人ばかりつけた。

 残りの連中には船に置いてある私物をそっくり屋敷へ運ぶように言いつけた。

 水夫の多くは陸地に帰るべき家を持たない。事情は様々だが、温かい家庭から見捨てられ、あるいは捨てた連中の集まりである。

 そんな彼らにやっと帰る家が出来たというのは喜ばしいことであり、作業は重労働ではあったが、誰も文句はいわなかった。


 当のヘンリーはといえば、早速にも自分の椅子の座り心地などを確かめていた。

 窓の外を伺うと、ちょうど港や岸壁に係留された船が見渡せる位置であり、試しに大窓を開ければ涼しい海風が吹き込んできた。

 眺めといい、潮の香りといい、申し分ない。

 ベッドの寝心地は夜の楽しみに取っておくとして、次にヘンリーは地下室に足を運び、酒蔵の様子を窺った。

 そこには既にワインやエールの大樽が運び込まれており、また並べられた棚にはワインやラム、ブランデーの瓶がずらりと並べられていた。


「おおっ、五十年もの! こいつは戴いておくとするか」


 目ぼしい酒をそそくさと懐に仕舞い込み、一階へ上ると、市場で仕入れてきた食料が次々に食料貯蔵庫へ運び込まれているのが見えた。

 大量の小麦や小麦粉、新鮮な野菜や保存のきく豆類、トウモロコシ、果物。

 さらには肉屋で解体された羊や豚、牛などの各部位の肉塊、あるいは魚の燻製と塩漬けが詰められた樽などなど。

 食料調達の指揮を執るハリヤードも気合が入っていた。

 というのも、宮殿の料理人たちが作った至高の料理を味わったことで料理人魂に火がついたらしく、暫く出航が無いならばさらに料理の腕を高めたいと内心の願いがあったそうだ。

 もし酒を勝手に持ち出したことが知れたら何を言われるかわからない。


 足早に一旦自室に戻り、酒を机の上に並べていると、今度は大量の武器弾薬を調達してきた黒豹やタックたちが戻ってくる姿が見えた。

 備えあれば患いなし。

 都の連中は武器屋の主人も含めて、突然に多数の武器を買い漁る一団がいることに不安を覚えたことだろう。

 だが万が一のために自衛のための武装と貯蔵はしていて損はない。

 荷車に積み重ねられたカットラスやサーベル、斧、更にマスケット銃やピストルなどが武器庫に運び込まれていった。

 壁という壁、棚という棚にずらりと物騒な凶器が置かれ、樽や木箱に火薬類がぎっしりと詰められた。

 更にすべての部屋に各種の武器が一つずつ備え付けられ、屋敷に配属されたばかりの使用人たちは、あまりの光景に目眩を覚えた。


「このくらいで驚いていたら、うちの船長の世話は出来ないよ?」


 と、ウィンドラスが使用人たちの肩を叩いて回ったが、彼自身、これではまるで要塞だと閉口せずにいられなかった。

 まさか全ての屋敷を武器庫にでもするつもりなのか。

 だとすると一体幾ら金がかかるのだろう。

 と、船の会計を担当するウィンドラスの頭痛の種がまた一つ増えたのである。


 屋敷での作業が一段落した後、ヘンリーたちも一旦船に戻って陸揚げする私物を選ぶことにした。

 水夫たちの部屋は殆ど空っぽで、ただ使い古されたハンモックだけが寂しくぶら下がっているだけだった。

 もっとも、彼の荷物といえば最低限の着替えだとか仕事道具くらいなので、カバン一つに余裕で収まる。

 しかし長く船に乗っている幹部たちは自然と私物も増えて、部屋から甲板に運び出すのも一苦労だった。


「あーあ、いっそのこと使わんものは捨てちまうかなあ」


 桟橋まで運び出したチェストに腰掛けて一休みしていると、視界の端に、法衣に身を包んだ修道女が近づいてくるのが見えた。

 しかも、その後ろに私服姿のルーネまで見えるではないか。

 今度は一体どんな面倒を持ってきたのか、自然とヘンリーの口元が歪む。


「ヘンリー、話があるのだけど」


 いつになく真面目な顔をするルーネの態度に半ば辟易し、断るように手を横に振る。


「ああ……悪いがな、ルーネ。見ての通りの取り込み中だ。それに俺は――」


「ヘンリー、私が、貴方の母です!」


 ルーネを除いて、その言葉に皆が目を丸めた。

 やがて乾いた笑いが彼の喉奥からこみ上げる。


「ククク……何を言い出すかと思えば……尼さん、あんたの冗談の上手さは認めるが、言う相手は選んだ方が身のため――」


「貴方を海へ流した日のこと、忘れたことはないわ!」


 瞬間、周囲の空気が凍り付いた。

 パナギアを睨むヘンリーの眼光に、ルーネも恐れおののく。

 そしてヘンリーが立ち上がると、腰のホルスターに手を遣り、撃鉄を起こし、その銃口を実の母の眉間に向けて指を引き金にかけたその時。


「船長! いけない!」


 ウィンドラスがヘンリーの腕に飛びつき、両手で彼の狙いを外した直後、銃声と共に撃ちだされた弾丸が桟橋のランプを砕いた。


「放せこの野郎! あいつがぁ! あの女がぁ!」


「みんな! 手を貸せ!」


 銃を投げ捨て、今度はカットラスを抜きはらったヘンリーを羽交い絞めにしたウィンドラスの叫びによって、他の黒豹やハリヤードらも止めに入った。

 さすがのヘンリーも四人がかりで押さえつけられると為すすべが無かったが、それでもカットラスを手放すことはなく、歯を剥き出しにしてパナギアに吼え続けた。

 狂乱するヘンリーの背に乗ったウィンドラスが更に叫ぶ。


「お母さま! どうか今日はお引き取りを! 貴女はあまりにも急すぎた! 船長の気持ちをどうかお察しください! 今の彼は陛下であっても止められません!」


「誰でもいいから縄を寄越せ! 手足を縛るんだよ!」


 パナギアは猛獣のように怒り狂い、縄で縛り上げられていく我が子をただ見つめることしかできなかった。

 そんな彼女の衣をルーネが強く引き、彼の側から遠ざける。

 ヘンリーは仲間の手によって船内に連行されたが、見えなくなる瞬間まで、母の姿をその眼光に捉えていたのである。


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