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生母 ①

 南方王国新王カタルニア・アラゴンの戴冠式も無事に終わり、条文通りにエスペシア島などの割譲や賠償金の支払いも滞り無かった。

 王族の子女も間もなく帝国へ到着することだろう。

 軍人たちが休暇を取っていても、女帝も含めた政治家たちはそうもいかない。

 国も情勢も常に動き続けている。

 割譲地だけでなく、併合した旧中立国ノイトラールへの対処も急務だった。

 同時に帝国軍の再生と再編も大きな課題として残っている。


 帝国は歴史上で最大の領土と領海を得た。

 それだけにやらねばならないことが山積みとなったが、戦いに勝利した高揚感からか、各大臣の指揮下で働く文官たちの顔もどことなく明るかった。

 ルーネも何時にもまして書類への目通しや署名、御璽を求められただけに疲労も重なったが、戦時に比べれば安定的な休日を取ることも出来た。

 ただ、肉体的には睡眠や入浴によって癒されるが、精神的な疲労は如何ともしがたい。

 その主な原因は、時折訪ねてくる客人である。


「陛下、アーデルベルトめに御座います。聖堂教会の御使者が御越しになられました」


「……はあ。またなの?」


 女帝の執務室に、聖堂教会の長である法王からの使者が頻繁に訪れるようになった。

 今までは新年の儀式か歴代皇帝の法事、あるいは戴冠式など重要な公務のときだけであったのだが、ここのところはほぼ週に一度は宮殿に訪れるようになっていた。

 一体全体何の用事かと思って話を聴いてみれば、新領土に新たな教会を設立すべく議会に協力を求めたい、というのだ。

 そんなことは宰相か国務長官あたりに言えばいいことだというのに、彼らあろうことか女帝による勅許を希望していた。

 そのたびに、今は戦後の後処理で多忙なので手が回せないと理由をつけて追い返していた。

 ところがその日は少し違った。


「で、今日はどなたが御越しになられたの? 司祭? 司教? それとも主教かしら?」


「いえ、それが……修道院長、でございます」


「なんですって?」


 修道院といえば聖堂教会の一部で、遠く北の山地で俗世を離れ、男子の出入りを一切禁じた女性のための聖地。

 とはいえ一生籠っているわけでもなく、一年に一度か二度ほど、修道女たちが手製のパンや菓子を都の子供たちに配りにくることはある。

 あるにはあるが、こうして宮殿に足を運び、しかも彼女たちの長である院長がわざわざ訪ねてくるとは何事か。

 訝しんだルーネは部屋に通すように命じた。

 間もなくすると白と黒の衣装に身を包んだ老女が恭しく入ってきた。


 髪は頭巾ウィンプルによって隠れているが、その灰色の目には清らかな星が宿っており、さりとて哀しげで寂しい冷たさも色濃く浮かんでいた。

 顔色もどことなく青白い。

 余程の迷いを胸に秘めて参内したのだと見て取れた。

 まさか教会だけでなく修道院まで建てて欲しい、などというつもりではあるまいな。

 と警戒しつつ、ルーネは一応歓迎する素振りを見せた。


「ルーネフェルトよ。ようこそ、よくいらっしゃったわね」


「修道院長を務めております。名をパナギアと申します。突然の御無礼をお許しくださいませ。陛下に拝謁の機会を賜り、恐悦に存じ上げます」


 彼女は胸に手を当てて跪き、深く頭を垂れた。

 ルーネはすぐさま席を立って院長に駆け寄り、そのか弱い肩を抱いて立ち上がらせ、着席を促す。


「さて、パナギアさんは私に何の願いがあって来たのかしら? 遠慮なく言ってごらんなさい」


「畏れながら陛下。わたくしは本日、お願いではなく、御礼とお詫びを申し上げに参ったのでございます」


 パナギアは真顔で言うが、言われたルーネはキョトンと目を丸めた。


「御礼とお詫びですって? 身に覚えが無いのだけど……もしかして、戦没した兵のお母さま?」


「いいえ。息子は今も生きております。それも、陛下の過分な御恩情によって、高い地位と名声までも得ております。私は、息子を気にかけて頂いた御礼と、また私の過ちによって息子が陛下の御心を悩ませているのではないかと思い、御詫びに罷り越したのでございます」


 ルーネの脳裏に電流に似た衝撃が駆け抜けた。

 全身に鳥肌が立つほどの驚きであったものの、直後に彼女の中で、なぜ今になって出てきたのか、という疑問が生まれた。

 山奥の修道院に籠っていたのでそもそも知らなかったのか、それとも知っていて会うことをためらったのか。

 色々と彼女の心中を詮索するうちに、かつて彼自身の口から聞いた経緯を思い出し、あの話が真実であったならば躊躇うのも無理はないと溜息が漏れた。


「パナギアさん、私が今こうして生きていることが出来るのも、貴女の息子さんのおかげ。だから御礼を言いたいのはむしろこちらだと思っているの。ただ御詫びを言われる筋合いは少し違うと思うけど? 貴女が御詫びをしないといけないのは、彼に対してではなくて?」


 核心を突かれたパナギアは顔を伏せた。

 自らの手で捨てた子に今更会う迷いが滲み出ていた。

 ルーネはパナギアの手を取り、温かく握りしめる。


「母が子に会うことに、何を迷うことがあるというの? 彼は貴女のことを忘れてはいないわ」


「陛下……」


「私が、間に立つから」


 パナギアは口元を押さえてルーネの手に縋った。

 

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