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終戦 ④

 宮殿の大ホールには無数の円卓が並べられ、白いテーブルクロスの上に溢れんばかりの料理、各地方から取り寄せた銘酒がずらりと揃っていた。

 また隅の方では宮廷楽士たちを集め、指揮者の下で高貴な音色を奏でている。

 名のある貴族と婦人たちは互いに相手を選び、手を取り合ってホールの中央にて舞踏の腕前を存分に披露した。

 踊らない面々も、グラスを片手に雑談の花を咲かせる。


 こういう場に於いて特に軍人はその作法や品格を求められる。

 武勇伝を聞きたがる貴族の相手をせねばならず、また婦人からの誘いを受ける器量と、やんわりと断る話術も重要な技能だった。

 ことに武勲の誉れ高いランヌ元帥は史上最大規模の会戦の指揮官だけあって、後学の為にと若い連中に取り囲まれ身動きもままならない状態だった。

 おかげでせっかくの礼装のマントも皺だらけ。


「はぁ、やれやれ。せめて服ぐらいは若々しくありたかったもんじゃのぅ」


 受け答えですっかり乾いた喉にワインを注いでいると、視界の端に銀色の髪がちらりと映った。


「失礼。元帥閣下、お隣よろしいでしょうか」


 凛とした彼女の声色は老いた頭でも鮮明に覚えていた。


「おお。どなたかと思えば、ドゥムノニア提督ではないか。その節は世話になったのう」


 丁寧に会釈をするランヌに対し、真紅の軍服を着たローズは両手を振って恐縮した。


「いえ、私と致しましても、任務を果たせて安堵しております。此度は多大な武功を立てられたこと、お慶び申し上げます」


「なんの。わしは馬上で眺めておっただけでの。そちらも敵艦隊の撃滅、誠に天晴れな働きであったと聞いておる」


「危うく一番美味いところを奪われそうになりました。誰とは申し上げませんが」


 誰と言わなくとも全員が理解できるだろう。

 酒もそこそこに、テーブルに積み重ねられた取り皿に肴を盛り付けていく。

 質素倹約に関する勅令が解除されたとはいえ、山海の珍味が溢れんばかりにテーブルを飾っているのは圧巻される。

 料理だけでなくスイーツも豊富だった。


 ランヌにせよローズにせよ、軍人として戦場で味わう料理に舌が慣れていると、貴族の味覚がどうにも肌に合わないことがある。

 ここまで派手に飾る必要があるのか、本当にこれは食べ物なのか、そんな疑問さえ浮かぶほどに、食卓そのものが一個の芸術作品だった。

 とはいえ料理は料理。味わわねば料理人に申し訳ないということで、鴨のローストやエビの香草焼きなどを酒と共に楽しんだ。

 他の将軍たちも己の功や今後の出世について語り合い、政治家もまた帝国の将来や獲得地の運営についてそれぞれの意見を交わす。


 一方で、そんな堅苦しい話題がお嫌いな貴婦人たちは、今宵の相手となる殿方を物色していた。

 全身を派手なドレスで着飾り、大小の宝石が散りばめられた指輪やネックレスで自分の裕福さを誇示している。

 ダンスを存分に楽しんだ彼女たちは手にした扇で火照った体を冷ましつつ、次に狙う男の顔を眺め、仲間内で点数をつけあっていた。


「まあ、アーデルベルト公の御曹司がいらっしゃるわ! ご無事に戦地から戻られたのね」


「今は勅任艦長だけど、ゆくゆくは艦隊提督かしらね。嗚呼、それにしてもドゥムノニア伯爵は素敵な御方だわ。もし男性であれば、すぐにでも屋敷に招待しますのに」


「それより、ご覧になって? 今日は陛下の御気に入りがいらしているわ。わたくしとしては、あのような野性味ある殿方も悪くないと思うのだけれど」


「変わった趣味をお持ちですのね? いくら陛下の御気に入りといっても、海賊でしょうに」


 貴婦人たちの視線の先に、高貴な空気の中であからさまに異質な空間を成している一団があった。

 着慣れない正装に袖を通し、見た目には立派な恰好をしているものの、その素行はお世辞にも上品とはいえなかった。

 浴びるように酒を飲み、綺麗に盛り付けられた料理にフォークを突き刺しては口に運んで貪り食う。

 酒は飲み放題、料理は食べ放題と聞かされたグレイ・フェンリル号の面々は、周囲の冷ややかな視線などモノともしていなかった。

 黒豹に至っては曲がりなりにも女性なので、なんと黒のドレスを半ば強制的に着せられていた。

 むろん、提案をしたのはルーネである。


 当のルーネ自身は、宴の様子を高座の上から見下ろしていた。

 貴族の男性から羨望のまなざしを受けている自覚はあるが、君主が臣下とダンスをすることは出来ない。

 だが彼女のこと。

 大人しく着座して楽団の演奏に耳を傾けたり、臣下の挨拶とキスを手の甲に受けるだけで満足するわけがなかった。

 早々に席を立ちあがると、段を下りて渦中へ分け入っていく。

 目指す先は一つ、彼だ。


「思ったよりも似合っているじゃないの。馬子にも衣裳ってやつ?」


「知るかよ。動きにくくてかなわん」


 ヘンリーはいつもの一張羅ではなく、准男爵としての礼装に身を包んでいた。

 アイロンがかけられた清潔な襟付きシャツに紅茶色のベスト、金糸で装飾された紺色のジャケットに白の長ズボン。

 首には貴族特有のネクタイであるジャボが締められ、さらに銀の飾り緒が付属した丈の長い蒼いマントを右肩に纏っていた。

 マントには彼の紋章である、人骨を噛みしめる狼が描かれていた。


「それにしても、あの派手な帽子がないと少し物足りなく感じるわね」


「衣装係に取り上げられちまったよ。後で取り返さんとな。何か飲むか?」


「じゃあ、蜂蜜酒を。あなたも一応は准男爵なんだから、給仕を使ってもいいのよ?」


「手酌でも自分で注いだほうが早いからな。どうせお前も同じ考えなんだろう?」


 さすが、とグラスを受け取ったルーネは無言で肩をすくめてみせた。

 この二人のやりとりは他愛のない雑談に過ぎなかったが、周囲にいる大貴族や将軍、提督たちからすれば、話題の種として十分すぎた。

 席を共にするローズとランヌに、宰相アーデルベルトや参謀総長カールハインツが更に加わっていた。この面子の中において救国の英雄と謳われたローズは肩身が狭かった。

 いくら伯爵家の当主で海軍中将とはいえ、相手は帝国宰相と参謀総長、陸軍元帥だ。

 未だ二十代のローズに比べてうんと年上ときている。

 祖国への貢献度も比較にならない。


 しかも、この三名の老臣は旧知の仲であった。

 ランヌとカールハインツは陸軍大学校の同期生、カールハインツとアーデルベルト公は文武の長として友誼を交わしている。

 そしてアーデルベルト公とランヌもまた、こうした宮中での行事で度々杯を酌み交わしていた。

 皇帝や法王を除けば、帝国においてこの三人に物申す人間は存在しない。

 それだけにローズも優雅に振舞いながらも緊張した固い表情だった。


「またしても、レイディン卿か。陛下も少し控えていただきたいものだ。貴公らはどう思う?」


「やむを得んでしょうなぁ。宮中で生まれ育った陛下にとって、海の生活は刺激が強すぎたのじゃろう」


「何不自由ない生活において、唯一不足していたものが自由とは、何とも皮肉なものよな!」


「しかしながら――」


 三人の意見を一通り聞いたローズが、小さく咳ばらいをしながら桃色の唇を開いた。


「皇女であらせられた頃に比べて、今の陛下は、人として活気に満ちておられます」


 この一言に他の三名は揃って同意し、食事もそこそこにバルコニーへ向かう二人の姿を目で追った。

 会場の大窓を開けると肌寒い夜風が吹き込み、手すりに身を乗り出して下界を伺えば、かがり火が焚かれた都でも大規模な宴が催されていた。

 打ち上げられた花火が黒いキャンパスに七色の花弁を描いている。


「寒いか?」


「ううん。平気。次はいつ海に出るの?」


「しばらくは無理だな。今までは南方の連中から積み荷を頂戴していたが、今後はどの獲物を狙うか吟味せんといかん。お前さんとしてもそのほうが助かるんだろう?」


「それはそうなんだけどね……貴方が海にいないのって、なんだか変な気がして。まあ、休暇自体に反対はしないから、ゆっくり休んで。実はね、貴方達の為に考えていることがあるの」


「またつまらん勲章や爵位じゃあるまいな?」


「そこは安心して頂戴。爵位はこれ以上高めたら周りがうるさいし。ただ、勲章は形だけでも受け取ってね? それと軍内での昇進も。私が考えているのはもっと実質的なものよ?」


「ほーぅ。そいつは楽しみだ」


 夜が深まると海風も冷たくなる。

 ルーネは平気と言いつつも、両腕を抱えて少し猫背になっていた。

 ヘンリーはそれを見て肩にかけていたマントを外し、彼女の背に被せた。


「中に入るか?」


「温まりたい……一曲、お相手してもらえる?」


「ハッ、足踏んでも文句言うなよ?」


 中から聞こえてくる優雅な音曲に合わせ、互いの手を取り、体を寄せてぎこちなく踊る。

 それは貴婦人たちから見れば失笑ものの足取りであり、どう考えても幼少期から修練を積み重ねてきた女帝とは不釣り合いの相手だった。

 加えて女帝を高嶺の花と憧れる貴族の男子たちからすれば、多大なる嫉妬をもたらす光景だった。

 しかし終わってみれば、ヘンリーは一度たりともルーネの小さな足を踏むことは無かったのである。

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