終戦 ③
地を揺らす軍靴の音、そして馬の嘶き。
帝都の大通りを囲む大群衆の歓声と拍手は万雷の響きであり、その最中を、軍服で着飾った将兵がゆっくりと行進していく。
平時の訓練のときも、戦時の死線であっても、その一糸乱れぬ足取りは変わらない。
またその行進を助ける笛と太鼓の音色は、見物する群衆の心を一層躍らせた。
都の商店や飲食店も、今日は早々に店じまいをするか、全品無料という一世一代のサービスで商っていた。
見上げれば空は青々とした快晴で、ここのところ続いていた長雨が嘘のように雲一つない。
ルーネは特設の閲覧席にて、大臣たちや大貴族たちに囲まれてパレードを見下ろしていた。
兵士たちに向けて手を振り、解説係の陸軍大臣から装備品などの説明を小耳にはさむ。
「あれがエスペシア島を攻略した、第一軍団で御座います。指揮官はランヌ元帥でありましたが、総司令就任に伴い、ベルリオーズ中将に移譲されました」
ルーネは説明に対しては適当に頷くばかりで、特に返事や質問をすることはしなかった。
むしろ邪魔にさえ思った。
そんなことより、命がけで戦って帰ってきた兵士たちの顔を目に焼き付けておきたかった。
出来ることならば一人一人の名を聞き、その手を握って、ご苦労様、と労ってやりたいところだった。
「頭ぁ、右!」
閲覧席の前に差し掛かると、一斉に兵士たちがルーネに顔を向け、敬礼を送る。
彼女はひと際大きく手を振って応えた。
アーデルベルト公などは、はしたない、と言いたげな顔をしていたが、そんなことを気にするようなルーネではない。
すると帝都上空に祝砲が炸裂した。
白煙を噴きながら軽快な音を鳴らすのは、帝都防衛隊の軽砲連隊の働きだ。
第一軍団が通りすぎると、続いて第二軍団がヴェルジュを先頭に現れた。
アンダルス会戦で激戦を繰り広げた彼らに、ルーネは惜しみない賞賛を与えた。
彼らが右翼を支えていなければ、帝国軍の勝利は難しかったに違いない。
精鋭の槍騎兵隊も自慢の槍を掲げて武功を示した。
第三軍団もまた然り。
軍団長のベレッタはこういう派手な式典が大嫌いであるのだが、さすがに女帝の御前ともなれば不承不承でも顔を上げて敬礼をせざるを得なかった。
彼自身、後日になってその日のことを散々からかわれることは想像に難くないことだったという。
さて次に登場するは元奴隷兵士たちで編成された第四軍団である。
ルーネは特に手すりに身を寄せた。
あれほど騒いでいた群衆たちも、解放された奴隷たちの軍団を見て、一瞬口を閉じた。
彼らは未だ戦地にあり、といった風に目をぎらつかせて行進していたからだ。
ところが女帝の目下に至ると、誰ともなく彼女を讃える歌を口ずさみ始め、それは瞬く間に他の兵たちに伝搬して、一躍大合唱となった。
予定外のことで陸軍大臣もどうしたものか迷っていたが、ルーネはジッと少年のように純真な彼らの瞳を真っ直ぐ見つめ、彼らが唄う歌に耳を傾けた。
そして歌い終わった彼らは軍帽を手に取り、高々と掲げて、女帝陛下万歳と叫んだ。
「ありがとう!」
これには思わずルーネも大きな声を出していた。
彼らにとって神の如き存在である女帝に直接礼を言われたことは、その頬を歓喜の涙で濡らすに余りある快挙だった。
「コホン……陛下、まもなくランヌ元帥の登場で御座います」
先日に言葉を交わしたのでランヌの顔は記憶に新しく、カールハインツとのやりとりは驚いたが、老練な中に未だ少年のような愛嬌があるところを彼女は気に入っていた。
兵士たちに人気なのも頷ける。
やがて壮麗な元帥用の大礼装を纏ったランヌが、右手に元帥杖を、左手に騎乗した白馬の手綱を握って、最精鋭部隊である白薔薇擲弾兵連隊を率いて現れた。
その中にはジョニーの姿もあった。
他の戦友と同じく、彼もまた主君たる少女に敬礼を送る。
そのとき二人の視線が偶然にも重なった。
ルーネはジョニーのことを覚えていたのか、明らかに彼へ向けて手を振り、ほほ笑む目を細めて生還を祝福していた。
対するジョニーは胸の高鳴りと顔の熱さでとても彼女を凝視していられず、たまらず目を伏せてしまった。
彼女はあまりにも綺麗すぎる。
輝かしい化粧や衣装のせいもあるだろう。
だが、血と泥にまみれた死地を目の当たりにした彼にとって、今の彼女は、一点の穢れもない宝石そのものだった。
どれだけ手を洗い流しても、夜な夜な敵兵を殺めた瞬間を夢に見る。
軍人の務めとはいえ手を血で染めてしまったことで、元々雲の上の存在だった彼女が、さらに遠くの世界にいるような気がしてしまった。
無論というべきか、ルーネ自身は彼の苦悩など全く知る由もない。
言わせてみれば、そこに見知った顔があったので意識が向いた程度のこと。
同時に、その知り合いが無事に戻ってきたことに対して、彼女は純粋に喜ばしく思った。
陸軍の行進が終わると、今度は海の勇士たちの出番である。
解説も海軍大臣に代わり、民衆たちは港から広がる海原へ視線を移す。
すると、単縦陣を組む帝国海軍の軍艦がその白い帆を広げ、港の目前で悠然と回頭していく。
目玉はなんといってもローズ率いる白色艦隊とその旗艦たるインペリアル・グローリアス号だろう。
艦長や士官、水兵らが右舷に整列して大きく帽子を振り、祝砲とばかりに砲列の一部から白煙が噴出した。
帝国が誇る七つの艦隊による観艦式は大盛況で、こと海に思い入れが深いルーネは、閲覧席になど居られるかと段を下り、船が間近に見える岸壁にまで進み出た。
潮風に髪を揺らして見つめる視線の先に現れたのは、神が封じた魔物の名を冠する船。
彼らは軍人のようにお行儀よく敬礼などはしない。
口々に勇ましく無遠慮に、仲間であり友であり家族でもある見習いの名を呼ぶ。
ルーネにとって第二の帰るべき場所。
苦楽を共にし、命をかけて荒波を乗り越えてきた思い出。
言葉では言い尽くせない思いが心拍数を上げていく。
戦いの傷跡が生々しく残っているが、海の狼にとってそれこそが誇らしい勲章なのだと船が訴えていた。
他に生き残った私掠船団もお披露目の機会を得て、少しでもヘンリーのおこぼれにあやかろうと女帝に対して派手なアピールを繰り広げた。
大小五十の船団も、戦いが終わってみれば半数にまで減ってしまった。
それでも正規の軍艦に比べれば補充は容易だ。
希望する船に私掠免状を与えれば、その日から船団の一員に組み込まれる。
今後もヘンリー率いる私掠船団には世話になるだろう。
「それにしても、貴族院なんて、えらい名前をつけてくれたものね」
苦笑するルーネを他所に、観艦式を終えた艦隊や船団はそれぞれが指定された位置に錨を落とした。
民衆はパレードが終わると急ぎ足で宴の準備に取り掛かり、陸軍の将官と海軍の提督たちは宮殿へ赴き、盛大な祝賀会に備えた。




