終戦 ②
出征していた帝国軍将兵たちの凱旋によって、帝国中が祝賀ムードに包まれた。
町という町、村という村で宴が催され、同然ながら帝都では続々と帰還する陸軍兵たちに無数の花が手向けられた。
特に総司令たるランヌ元帥と四軍団の将軍たちが戻ったときは、女帝の執務室で謁見して直々に戦果の報告と労いの言葉を交わした。
「元帥以下、皆も大儀であった。負傷などはしていないかしら?」
「お心遣い、恐悦の極みで御座います。しかし、多くの兵を死なせてしまいましたこと、お許し下さいませ」
「許すわ。犠牲となった英霊たちには然るべき名誉を約束する。各々の論功行賞は今後議するけれど、何か望みがあれば何なりと申し出なさい。出来る限り望みを叶えたいから」
するとランヌは、さて、と小さく呟いて口髭を撫でた。
彼からすれば老体にこれ以上の栄典も褒章も必要ない。
今回の出征で支払われる給料や手当なども、部下に分け与えるつもりでいた。
せっかくなのでそれに上乗せしてもらうのも一手ではあるが、主君に金銭をせびるというのは、些か憚られた。
何せ孫ほども年下の、成人目前の娘なのだ。
うんと年上の大の男として、小遣いをお願いをする、というのも少し気が引けた。
ランヌが考えていたとき、不意に執務室の扉が開かれたかと思いきや、彼にとって聞き捨てならない声色が室内に響き渡った。
「失礼致す。参謀総長クラウス・カールハインツ元帥であります! ランヌめらが帰還したと聞き及び、居てもたってもおられず不躾ながら参上仕った!」
途端にランヌの顔が歪んだ。他の将軍たちは女帝に尻を向けぬよう気遣って参謀総長に敬礼するも、ランヌはカールハインツとは同期で階級も今や同格なので、煙たそうに手を振る。
「陛下の御前であるぞ、少しは控えたらどうじゃ」
「おお、相変わらずランヌのクソジジイめは立派な物言いをするではないか! どうやら亡霊の類ではないらしい」
「何を抜かすか、この悪戯小僧めが。それが最前線で戦って帰ってきたものにいう言葉か」
今にも取っ組み合いになりかねない両元帥の悪態にルーネも驚き、控えていたケレルマンが咄嗟に咳ばらいをしたことで二人とも我に返った。
ルーネも特に咎めることはしなかったが、論功行賞の話はまた後日に回すこととし、全員を退出させた。
ローズとヘンリーの関係にも似て見えた。軍人という生き物は血気盛んなのは承知していたが、口が開けばいがみ合うというのは考え物だ。
今回の恩賞に不平不満を抱いて喧嘩などが起こらなければいいが……と危惧せずにはいられなかった。
勿論戦功の一、二を争うのはローズかランヌだろう。
ヘンリーはその次あたりが妥当か。
より多くの敵を倒し、勝利に貢献した者にこそ褒美を与えるべきだ。
家柄だとか階級によって天秤を傾けるのは間違っている。
出征した大貴族の息子たちがまた何か言ってくるかもしれない。
しかも自分の口ではなく、親の口に頼って。
「まあ、言ってきたところで無視しちゃえばいいか。どうせ大した仕事はしていないでしょうし」
彼女にしてみればこれから始まる戦後処理だけでも息が詰まる思いだった。
一々彼らの分不相応な我儘に付き合っている暇はない。
明日は帝都で戦勝記念パレードが催され、その次は宮殿で盛大な祝賀会が催される。
おかげで宮内長官たちは大忙し。
料理人たちも食材の買い出しで右往左往していた。
戦中は戦費のために質素であることを強いていただけに、此度の宴は今までにないくらい贅を尽くしたものにせねばならない。
でなければ宮中婦人会がまた何を言ってくることやら、想像しただけで頭が痛くなる。
「お父様の苦労偲ばれるわ……あぁっ!」
呟いたルーネはそこで肝心なことをすっかり忘れていたことを悟り、すぐさま立ち上がると、メリッサに外出する旨を伝えた。
いつものこととはいえあまりに突然のことにメリッサも驚く。
「へ、陛下、どちらへ?」
「決まってるじゃないの。報告よ」
「ほ、報告でございますか?」
「そうよ! 馬車を大至急用意して」
程なくして白馬の馬車に乗り込んだルーネは、帝都の郊外に設けられた帝室の陵墓へ向かわせた。
初代から先代に至るまで彼女の祖先たちが眠る帝国の聖地。
聖堂教会が管理する広大な敷地に建てられた、宮殿さながらの聖殿の中にそれらはある。
周囲には慰霊のための花園が整備され、また帝室を慕う民衆が花を供えることも多い。
ルーネは馬車から下りて聖殿に入ると、管理を任されている司祭の案内で、まず初代皇帝の墓前に参り、次に亡き父のもとを訪れ、戦勝の報告をした。
他の貴族もそうだが、およそ身分の高い者の墓には生前の姿を象った彫像が墓石として棺を飾っている。
祖先はいざ知らず、父の彫像は生前の姿そのままであった。
残念なのは同じ皇族でありながら、簒奪者、大逆人の咎によって正式な墓さえ与えられなかった叔父のことだ。
密かに帝都を一望できる岬に小さな墓標を作って埋葬はしたが、罪を許すことは出来たとしても、この地に墓を移すことは許されない。
「お父様、せめてお父様だけは叔父上をお許し下さい。国を想う心は誰よりも気高い御方だったのですから……それにしてもここは寒いわね」
冷たく静寂とした空気は冬のように寒く感じた。
幽霊の類を恐れているわけではないが、やはりここには祖先の魂が宿っているのだろうか。
だとすると祖先たちは今、自分のことをどう見ているのか。
帝国史上最大の版図を確立したことを褒めてくれるのか、それとも若さゆえの軽率さを嘲笑っているのか。
教会の連中は、人は死ねば神がおわす天の国か、悪魔が巣食う地獄のどちらかへ逝くことになると宣っている。
だがそれを実際に目撃した人間はいない。
皇帝であっても法王であってもだ。
むしろ人間に魂というものが宿っているとすれば、少なくとも自分ならば、死後は後世を生きる家族の側にいたいと考えるだろう。
天使か悪魔か知らないが、死んだ後も家族から引き離されるというのは中々に酷な話ではないか。
それとも、そう人を脅すことで信仰心とやらを煽っているのだろうか。
神の使途を名乗る法王と、神から選定されたとされる皇帝とでは、果たしてどちらが偉いといえるのか。
元々好きではなかったにせよ、彼女の中で、教会という存在に対する嫌悪感があることを、このときはっきりと自覚し始めたのである。




