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講和 ③

 アンダルス会戦に敗北し、自身も心身を患いながら、スペルディアは生き残った兵士らに伴われて王都に帰還した。

 民衆からの刺さるような視線と、罵声と共に投げつけられる石礫に黙して堪えた。

 いずれにせよ、自身に未来など残されていない。これ以上上塗りされる汚名もない。

 彼は自身に残された最期の務めを果たすべく、責め苦に満ちた街路を抜けて王宮に至った。

 貴族たちは我先に逃げ出して城内はガランと静まり、絵画や工芸品を盗む使用人を咎める者さえいなかった。

 彼の上司たる参謀総長も、陸軍大臣も、既に毒を呷って事切れていた。

 せめて国王だけは無事であってくれ、と願いながら玉座の間のドアを押し開けると、甲高い音と共にワイングラスが床に叩きつけられ、砕け散る様が見えた。


 玉座の周囲に集まる王族や未だ生きている大臣らは、悪鬼の形相を浮かべる主君に恐れおののいた。

 目は血走り、顔は青ざめ、やつれはてて精気がなく、玉座の肘掛けに置かれた手が落ち着き無く震えていた。

 やはり王は正気を失っている。

 果たして今の王に、敗戦という不愉快で残酷な現実を受け入れる器量が残されているのだろうか。

 スペルディアが大いなる憂いを胸に跪き、戦いの結果を正直に報告した。


「なにぃ! 敗れたと申すかぁ! この、無能者の役立たずめ!」


 敗北と聞くや王の青い顔がみるみる赤らみ、今にも烈火が噴き出すばかりの怒声を吐き散らした。

 スペルディアはただただ頭を下げて恐縮し、しかしやがて顔を上げて言葉を紡ぐ。


「陛下の御期待に沿えず、多くの兵を失いましたること万死に値します。りながら、陛下。もはや我が軍に万策尽き果て、都は敵に包囲されております。この上は速やかに帝国と和議を結び、民の犠牲を抑えることが肝要と心得ます。どうか陛下の御見識と御慈悲により、この争いを収めるべく御聖断を。敵将ランヌ元帥も、寛容な処置を女帝に取り計らうと申し出ております。どうか、伏して御願い致します」


 言っても無駄だろう。

 誰もが今の王を見て、心の中で呟いた。

 カスティエル王は杖に支えられて立ち上がると、つかつかとスペルディアの側に歩み寄るや、大きく腕を振り上げて彼の背を杖で何度も打ち付けた。

 それどころか止めに入った使用人や衛兵、さらに大臣までも杖で打ちはじめた。


「どいつもこいつも、講和だの降れだのと! 貴様も無様に敗れたばかりか、敵の甘言に惑わされよって! あの冷血な魔女が寛大な処置などするものか! きっと殺される……余も、一族も、この国も! 貴様らはそんな単純なことも分からんのか! それとも余と祖国を見限るというのか! この国に真の忠臣はおらんのか!」


 喚き、暴れる国王は足元を滑らせて転倒し、騒ぎを聞いて駆け付けた王太子アルタミラが父の肩を支えた。

 掘りの深い顔と滑らかな黒髪は亡き母譲りで、王国の後継者にしてカタルニアの兄たる彼は、長男としてよく父を支え、幼い頃から特に勉学で優秀な成績を収めていた。

 王たる兄は文で、将軍たる弟は武で、将来の王国を繁栄に導くに違いない。

 カスティエル王の多大な期待を注がれて育ったアルタミラは、統治者の重責を背負う父の苦労をよく理解し、同時に変わり果てた父に失望していた。


「父上、御無事ですか? お気を確かに」


「おお、息子よ。愛しいアルタミラ。見るがいい、この不忠の輩どもを。大臣どもは腑抜けて仕事もせず、将軍どもは敗北主義に塗れておる。そなたはどうするべきだと思う? そなたは次期国王である。余が頼れるのは、もうそなたしかおらんのだ」


「父上……」


「そなたが望むならば、今ここで王位を譲っても良い」


 と、カスティエル王は自身の王冠を息子へ差し出した。

 だがアルタミラは首を横に振り、引き下がる。


「父上、誠に申し上げにくいことながら、スペルディアの申す通り、この戦いは王国の負けであることを認めねばなりません。そして王たる父上には、民を守るために責任を取っていただかねばなりません。それが、王座にあるものの義務ではありませんか?」


 冷たく言い放った我が子の言葉に王は愕然とした。


「そ、そなたまで……そなたまで余を見限るというのか! 父を見殺しにすると!」


「たとえここでアルタミラが王位を継いだとしても、父の名は後世、敗戦の責任から逃げた臆病者の汚名で満ちることでしょう。アルタミラは、父とこのアラゴン家を想えばこそ――」


「ええい、もうよいわ! 聞きたくもない! こうなれば何処かへ脱出し、再起の機会を図らねば……何をしておる! 支度をせい! ありたけの金銀を運び出すのだ! まだ海は囲まれてはおらんはずだ! 夜の闇に紛れればあるいは……」


 ただ一人だけ王のみが慌ただしく部屋の中を歩き回っていた。

 醜い。なんと醜い姿だろうか。

 これがかつては南方の雄としてその手にあふれんばかりの黄金を握っていた王の末路だというのか。

 威光に満ちた姿は全て虚像であり、今ここにいる小心な臆病者が真の姿であったのか。

 そう思うとアルタミラの目から自然と涙が落ち、もうこれ以上、父を苦しませたくない気持ちが押さえきれず、静かに口を開いた。


「……わかりました。父上の御意に従い、このアルタミラが王位を継ぎましょう。父上は決して女帝の手が届かぬ地へ御案内致します」


「おお! そうか! ようやくわかってくれたか!」


 と、王が彼の肩に両手を掛けたとき、アルタミラは腰のベルトに差し込まれていたナイフを抜くや、父の胸に突き立てた。

 煌びやかな黄金の衣はみるみる鮮血によって紅く染まり、一体何が起きたのか理解出来ないカスティエルと周囲の臣下たちが沈黙する中、アルタミラの嗚咽が響く。


「お許しください、父上……アルタミラも、すぐに、参ります……」


 カスティエルは最期に何かを言おうと口を動かすも、喉を逆流する血によって言葉を紡ぐことも出来ず、床に倒れ伏す。

 控えていたスペルディアがすぐさま駆け寄って首筋から脈を取るも、弱り切っていた王の心臓は間もなく停止した。


「……崩御なさいました。王太子殿下、いえ、国王陛下」


「うむ。先王の御遺体を丁重に運び出せ。民には、王は責任を取って自決なされたと伝えよ。ただちに帝国軍へ使者を送れ。王国は貴国との速やかな講和を望む、と」


「かしこまりました!」


 半ば謀反に近い形で新王となったアルタミラのもと、生き残った者たちはすぐさま彼の意に沿うべく行動に移った。

 帝国軍との交渉はスペルディアに託し、終戦と講和を求める親書はアルタミラが直筆でしたためた。

 ただしアルタミラは新王を名乗らず、あくまで王太子とした。

 親不孝なことではあるが、この戦いの責任は亡き父に背負って貰わねばならない。

 アルタミラは武官と文官に細かな命令を下し、血塗られた夜を過ごしたのである。


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