講和 ①
灰色の空から連日連夜雨が降り続ける真昼間。
宮殿の執務室では、甘い紅茶の香りを味わうルーネとヘンリーが雑談に興じていた。
実質的な捕虜なったカタルニアへの晩餐会ではヘンリーが欠席したため、ルーネは真っ先に言おうと心に決めていた彼への文句から口火を開いた。
せっかく招待したというのに無断で欠席とはどういう了見なのか。
しかも仲間たちと共に晩餐会よりもはるかに楽しい夕食をし、せめて真夜中には眠りに戻ってくるかと思いきや、適当な安宿を取って一晩を過ごしてしまったこともルーネにとって大いなる不満だった。
他にも半ば愚痴のように普段の政務の苦労話まで延々と聞かされて、さすがのヘンリーもいつしか窓の外を眺めたまま、ああ、そうだな、といった生返事ばかりを繰り返していた。
「ちょっと、ちゃんと聞いてるの?」
「ああ……」
「もう、さっきからそればっかりじゃないの。じゃあ選手交代。船長は、何か面白いお土産話はないの? ジョークとかじゃなくて、航海の話がいいわ。南の海の話を聞かせて頂戴」
「そうさなあ……」
ヘンリーは腕を組んで何か無かったかと頭の引き出しをを漁り、そういえば、と前置きして南方王国の小さな港を襲撃したときの話を持ち出した。
「あれはいつだったか、ちっぽけな港に乗り込んだときだ。いつもみたく狩りをしていたんだが、そこに小さな教会があってな? 奥の部屋に尼が何人か隠れていたもんで、ちょいと可愛がってやることになったんだが――」
話の途中まで聞き入っていたルーネが少しムッとした顔を浮かべる。
「へえ、船長も美味しく食べたのかしら?」
「冗談じゃねえよ。尼なんぞ食ったら腹壊すね。だが僚船の連中は飛びついた。まああとは言わずもがな、なんだが、そいつらから聞いた感想で思わず笑っちまったね」
「どうして?」
「尼とか聖職者ってのは純潔が必須だろう? ところがその尼どもは、全員が不純だったそうだ。どうやら神父と夜な夜な神の目を盗んで背徳の儀式をやらかしていたらしい。くくく、神父も穴があったら入りたかったんだろうよ」
あまりに下らない話にルーネも呆れて何も言えず、むしろ、いざという時の彼の弁舌の冴えに比べてこういう場での話の寒さは一体どういうことなのかと訝しんだ。
いっそのこと紅茶ではなくブランデーやラムでも出した方が饒舌になったのではないか、とさえ思った。
ともあれ、過去の思い出話も交えると多少場の空気も朗らかになり、今夜は是非とも例の隠れ家で船の仲間たちと夕食をしたいというルーネの要望にヘンリーも頷いた。
久々に料理の腕が振るえそうだ、とルーネもすぐに今夜の献立を考えはじめたときのこと。
追加の焼き菓子をトレイに載せたメリッサが、ノックの後に恭しく部屋に入ってきた。
「失礼致します。陛下、お菓子をお持ち致しました」
「ご苦労様。ここに置いてちょうだい。貴女も一緒にどう? 焼き立てで美味しそうじゃない」
「いえ、まだ仕事が御座いますので」
それは遠慮というよりは、ヘンリーと同じ空間にいたくない気持ちが言葉の端に滲み出ていた。
彼にも少なからず心当たりはある。
以前に何かと失礼な物言いをしたことを鮮明に思い出したが、かといって悪びれる様子は全くなく、メリッサの見下すような冷たい視線を不敵な顔で受け流していた。
「では失礼致します!」
プイっとそっぽを向いたメリッサは足早に部屋から出て行ってしまい、それはそれで、二人の笑いを誘うに十分だった。
「ところであの坊ちゃんは元気にしているか?」
「ずっと部屋に閉じこもったままよ。まあ、気持ちは分からないではないけどね。二人で話したとき、自決したいからロープをくれ、なんて言われたもの。もちろん即座に却下したけど」
「見張りはつけているのか?」
「彼の部屋に飾ってある絵に小さな穴が開いているわ。隣の部屋から見張らせているけど」
「ほう、古臭い手だが、まあいいだろう。俺なら奴の手足を縛って口を塞ぐね。人間、舌を噛み切れば案外死ねるもんだ。死ななくとも余計なことを喋ることも無くなる」
「なら、どうして船の中でそうしなかったの?」
「俺にとっちゃ生きようが死のうがどっちでも構わんからな。まあ、まだ死に方に拘ってるうちは大丈夫だろう。本当に死ぬ気なら、とうに海に身を投げているだろうからな」
「そうね。私としても、彼には死んで貰いたくない。今後のためにも」
ヘンリーは彼女の言葉から何か感づいたように眉を動かしたが、特に追及することもなく、窓の外で降りしきる雨に視線を移した。
雨季でもないのにこの長雨は近年でも珍しいことで、ときおり雷鳴も轟いていた。
都の大通りにはまるで花園のように色とりどりの傘が開かれ、港に屯している船乗り共も雨宿りがてらに酒場へ集まっているようだ。
陸地の雨はジメジメとして好きではなかった。
海に出れば文字通り恵みの雨。
貴重な真水が天から降り注ぐというのだから船乗りは喜び勇むものだが、こう毎日雨が続くと街の空気も陰鬱になるというもの。
少しだが風も出てきた。
嵐の前触れだと船乗りの直感が脳裏に告げる。
「大時化になるだろうな……船が気になる。念のために沖で投錨したほうがいいかもしれんな。ちょいと港に行ってくる。また夜にな」
「行ってらっしゃい。気を付けてね?」
ルーネは窓から岸壁に係留された大型船が次々に港から離れ、それぞれが錨を海底に落として荒波と暴風に備える様子を見た。
ヘンリーの直感通り、間もなく激しい風雨と稲妻が帝都の上空に吹き荒れた。




