大会戦 ③
どれほど勇気を持っていようと、死の恐怖を忘れ去ることは容易なことではない。
動物的な生存本能は知性や理性よりも優先されることが多いからだ。
互いに殺し、殺される戦場でその恐怖に打ち勝つには、余程の覚悟が要る。
あるいは戦後の恩賞のため、あるいは名誉のため、はたまた家族のため。
誰もが何かしらの理由を胸に自分を支え、引き金を指にかける。
建前では国のため、君主のためといいながらも、結局のところは自分のために戦うのが人間というもの。
何よりも逃げ出そうものなら後方で見張っている士官から銃弾が飛んでくる。
ところが彼らは違った。
全員が無機質な顔を保ち、まるで自分自身が一個の銃となったかのように、冷たくラッパの音色に従って行軍を開始した。
口が開けば放つ言葉は一つだけ。
その異様な空気は、今まさに戦いの熱気の中にいる王国軍の将兵らの背筋を冷やすには十分すぎた。
正面に第二軍団の分厚い戦列、そして今、脆くなった側面を突かれようとしている。
自然と、二正面に戦列の壁を作らざるを得なくなった。
そこで王国軍が驚愕したのは、帝国の軍服を着ているのが、同じ褐色の肌をした南方人であったことだ。
彼らは帝国が奴隷を解放したことを知らされていなかった。
国が違えど同胞を撃つことに彼らは躊躇いを見せる。
だが帝国の元奴隷兵たちは一切そんな素振りはせず、機械的な動きで銃を構え、同じ肌をした相手を無慈悲に仕留めた。
たとえ相手が神であれ、魔物であれ、自分たちが崇める女帝の敵ならば、容赦などしない。
船乗りにとってヘンリーが魔王であるならば、彼らにとって女帝はまさしく女神だった。
ランヌが狂信と評した所以である。
その狂信者たちは王国軍を突き崩すため、銃弾の嵐の中を歩き続ける。
撃っては進み、撃っては進み、仲間が死のうと振り向きもせず、常識であれば士気が崩壊して退却してもいい被害が出ても歩みを止めない。
文字通り最後の一兵になろうとも前進を続ける姿は、否応なしに王国軍を恐怖させた。
「よし、突撃!」
クルトが腕を振り下ろすと、第四軍団の歩兵たちは射撃をやめ、銃剣を差し込んだマスケットを強く握って、敵の只中へ向けて一斉に駆け出した。
旗手はそれぞれ軍旗、連隊旗、軍団旗を高らかに掲げて歩兵に続き、ラッパ手も走りながら吹き鳴らし、砲兵が彼らの突撃を援護する。
両軍の銃剣同士が槍衾となって交差され、士官は軍刀を抜きはらい、陽光に白刃が煌く白兵戦が繰り広げられる。
銃床で殴りつけてとどめを刺す者、銃身で組み伏せて首をへし折る者、銃剣で相手を突き刺した上に発砲する者。
銃剣が折れればナイフで、ナイフが折れればその辺の石で、とにかくあらゆる手段で眼前の敵を殺していた。
接近戦においては個々の技術も然ることながら、最終的には士気の高さがモノを言う。
元奴隷兵士らの戦いぶりは目を見張るばかりであった。
血しぶきと阿鼻叫喚が戦場を赤く彩っていく。
第四軍団の攻撃によって第二軍団の負担も減り、ヴェルジュは一旦戦列を整理させていると、王国軍の後方に黒い影が動く様を見た。
「チッ、騎兵で迂回するつもりか!」
王国軍の左翼に配置されていた騎兵部隊が大きく弧を描きながら最左翼を迂回しはじめた。
第二軍団の戦列も今は整理のために後退を始めており、第四軍団は白兵戦の真っ最中。
だが司令部にお伺いをする暇もない。
「見たところ胸甲を装備した剣騎兵のようです。如何なさいますか?」
「こちらも騎兵を差し向けろ! 敵が剣ならばこちらは槍だ!」
待ってましたとばかりに第二軍団とっておきの槍騎兵たちが雄たけびをあげる。
はじめはゆっくりと横隊を保ったまま馬を進めるも、やがて無数の馬蹄が大地に響き、一頭の巨獣の如く密集して王国の剣騎兵に向けて猛然と嘶く。
ランヌも司令部から騎兵隊の動きを見ていた。
参謀の一人の肩に望遠鏡を乗せて騎兵がぶつかり合う瞬間をしかとレンズに捉えた。
王国軍が採用している騎兵剣は通常のサーベルに比べて刀身が長く、刺突のために直剣である。
対して帝国槍騎兵が持つ槍は長さが三メートルもあり、槍穂に小旗が括り付けられていた。
軍馬の走力に槍の威力が加わり、すれ違い様に突き出された槍が王国騎兵の胸甲を貫通して串刺しにしていく。
だが初撃で絶大な威力を発揮する槍も、乱戦になれば文字通り無用の長物となり果てる。
ゆえにランスチャージを終えると、すぐさま槍を捨てて腰の軍刀に持ち替えた。
ところが先述した通り相手の剣は帝国の軍刀よりもリーチが長いため、斬り合いをしている間に隙を見つけては刺突を繰り出されて落馬する者が相次いだ。
それでも敵騎兵の迂回は防ぐことが出来、ランヌは次なる手を打つ。
「ベレッタ君! 敵の右翼を突き崩せ!」




