攻勢 ①
エスペシア島攻略部隊たる帝国陸軍第一軍団の司令部に、参謀本部から一通の命令書が補給物資と共に届けられた。
陥落せしめたバルトロメウ要塞の修繕も粗方終わり、其処を軍団司令部として島の完全支配のために王国軍を捜索及び追撃していたのだが、結果は期待していたものと少し異なっていた。
何故なら王国軍の姿が何処にも無かったからだ。
拠点や小規模な砦は発見されたものの、抵抗もなく侵入してみれば、中はもぬけの殻。
機密書類などは全て処分された後で、武器や弾薬、食料に至るまで全て消えていた。
それどころか、近隣の村民たちが帝国軍の姿を見るや、食料を恵んでほしいとすがりついてくる始末。
そこで詳しく話を聞いてみれば、なんと王国軍の兵士たちは砦も陣地も捨ててしまい、挙句の果てに村という村から食料や物資を略奪に近い形で徴収していったのだという。
偵察隊から報告を受けた軍団長のヴィクトール・ランヌ陸軍大将は、すぐに王国軍の動きの意図を読み取った。
「やれやれ、本国から撤退命令でも出たかの。しかもわが軍の消耗のために焦土戦術ときたか。自国民を略奪とはようやるわい。世も末じゃな」
要塞司令官の公室で呆れ返る老将のもとへ命令書が届けられたのはそれからすぐのことだった。
伝令兵が扉をノックし、機敏な動作で入室する。
「失礼致します! 閣下、参謀本部より新たな命令書がもたらされました!」
「うむ、御苦労じゃった。ついでにこちらの報告を本国に届けてはくれんか? 敵の焦土戦術に伴い島民支援の必要あり。可及的速やかに支援物資の輸送を求む。とな」
「了解いたしました!」
伝令兵が退室した後、ペーパーナイフで命令書の封を切って文面を黙読していく。
そこには南方王国本島の攻略作戦の発動と、それに伴う攻略部隊の派遣、また各島の制圧部隊もこれと合流し本島に向けて進軍する旨が書かれていた。
そして攻略軍の総司令をランヌとし、それに伴って彼を陸軍元帥に昇進させること、攻略に関するあらゆる指揮権も明記されていた。
要するに全て彼の手腕に任せる、というのが参謀本部の意思だった。
参謀総長と同じ階級に至り、ランヌは複雑な気分だった。
軍人としては喜ぶべき快挙に違いない。
だが彼は今回の戦役を最後に退役するつもりでいただけに、何やら戦死昇進の前渡しのようにも思われたのである。
「性悪のカールハインツめ。あやつの考えそうなことだわい。いつもワシに面倒を押し付ける」
陸軍大学校時代の思い出が脳裏によみがえった。
同期で入学したランヌとカールハインツは親友でありながら校内でも有名な好敵手で、演習中に作戦立案にあたって殴り合いの大喧嘩を繰り広げたことも一度や二度ではない。
二人の争いは学力にもおよび、互いに優秀な成績を収めたが、あと一歩のところで主席の座を譲ることになったのはランヌにとって一生の不覚になった。
一方で、卒業後に騎兵士官となったカールハインツが軍人らしからぬ放蕩に明け暮れた際、誰よりも彼を庇ったのもランヌだった。
浪費家であった彼が背負いこんだ借金の面倒も、愛人たちとの諍いも、見るにみかねたランヌがいつも助け舟を出した。
また当時の上官が左遷すべきかと意見を求めてきたときなどは強硬に反対した。
アレはいざ戦時ともなれば他を圧倒する男だと弁護し、もし彼を左遷や懲戒するならば自分も辞表を出すと半ば脅迫さえするほどだった。
ランヌ自身、砲兵士官として陸軍でも随一の成績を積み上げており、先帝の覚えもめでたく、軍としても無視できない存在感を放っていた。
その分、カールハインツのおかげで昇進レースも次席卒でありながら同期生から一歩出遅れ、ようやく大将になったときには退役目前。
それが今になってやっと追いついたが、それもカールハインツの思惑によるものと考えれば複雑な思いにもなる。
あるいは過去の恩返しとでも考えたのかもしれないが、それはそれでランヌとしては不満であり、堂々と面前に出て謝辞なり酒の一杯でも奢ってくれればそれで良かった。
ともあれ命令が下ったからには迅速に動かねばならない。
すぐさま彼は幕僚を招集し、要塞の会議室にて軍議を開いた。
「昇進おめでとうございます。元帥閣下」
率先して祝いの言葉を述べたケレルマンに、ランヌも苦笑する。
「なあに、最後の御勤めのおまけのようなものじゃて。だが、いよいよ敵本拠地に乗り込むことになった。ワシが全軍の指揮を任されたからには、諸君らにも一層の奮励努力を期するものである。ついてはケレルマン君には、参謀長としてワシを補佐してもらいたい」
「了解しました。しかし私の師団は如何しましょう」
「ふむ、君の師団は自他ともに認める最精鋭部隊じゃ。むろん、他の島から合流する第二、第三軍団も実戦を経験した猛者揃いじゃろうが、あの白薔薇連隊は陸軍の誇りじゃ。よってワシ直属の予備兵力とする。より細かい編成は合流してからじゃが」
「すでに海軍が敵主力艦隊を撃破し、制海権を確保しつつあるようです。心おきなく攻め込めるでしょうな」
「おお、有難いことじゃな。ワシらも海の勇士たちに負けてはおれんぞ」
ランヌは第一軍団に下令し、要塞には最低限の防衛隊と民衆救済の支援部隊を残し、残りは全員を島の港に移動させる。
そこで輸送船に乗り込み、いよいよ敵の本拠地というわけである。
実際に銃を向け合って戦う兵士たちの反応は様々で、要塞での休暇に近い日々を惜しむ者もいれば、士気旺盛に腕を撫す者もいた。中には密かに現地の娘と恋仲になった兵もいた。
その中で一層目立つ白薔薇擲弾兵連隊のジョニー・ウェリントン少尉は、浮かれている部下を適度に叱りつつ、次なる戦場も血みどろの地獄になることを予感していた。




