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賓客 ④

 宮中で厳粛な晩餐会が催されている間、ヘンリーらグレイ・フェンリル号の面々は都で評判の食堂に集まっていた。

 キングポートでもそうするように、ヘンリーは金銭を惜しまず、店主に最高の料理と酒を出せるだけ出せと注文をつけた。

 程なくして机から溢れんばかりの皿と器が運ばれ、船の幹部たちが杯を取って戦いで乾いた喉を潤していく。

 保存食にもいい加減うんざりしていた舌や胃も、新鮮な食材を使った温かな料理で今にも踊りだしそうだった。


「しかし、本当に宜しかったのですか?」


 瑞々しいサラダを口に運びながらウィンドラスが苦言めいた言葉を、好物のブルーレアに焼かれた羊肉ラムステーキを貪るヘンリーに投げかける。


「何が?」


「晩餐会ですよ。出席の要請があったと聞いていますよ、准男爵バロネット殿」


 他の皆も同じことを考えていたのか、騒ぐ口を閉じてヘンリーに視線を注ぐ。

 すると、彼は口元をナプキンで乱暴に拭き、ふてぶてしく大きく仰け反って鼻を鳴らした。


「冗談じゃねえよ。あんな息苦しいところじゃ、いくら豪勢な飯も酒も、砂を噛んで泥水を飲むようなもんだ。それに俺は、こういう市井の料理の方が余程美味いと思うね」


 それを伝え聞いた店主は感激し、彼のために更にステーキを無料で追加した。

 店内はひと稼ぎしようと腕を披露する音楽家たちによって大変賑やかで、客たちも戦時であるにも関わらず新聞が伝える戦勝の報せに酔いしれていた。

 口々に常勝無敗の帝国軍を称え、そして主君たる女帝を尊崇する。

 もっとも、民衆の中にはへそ曲がりのひねくれ者もつきものなので、店の隅で女帝の悪口を囁く者もちらほらと見えた。

 そんな連中を一々睨むようなことはしないが、ヘンリーが少しでも動くだけで彼らを黙らせるには十分だった。


 彼は琥珀色のラムが注がれたグラスを片手に、今まさに行われている晩餐会を、否、ルーネのことを考えていた。

 こと宮殿の中で最も宮中行事を嫌っているのが他ならぬ女帝というのだから、否応なしに出席し、言いたくもないセリフを喋り、聞きたくもない世辞に耳を傾け、面白くもなんともない会話をせねばならない。

 しかも今回の賓客ゲストは敵国の王族。

 こんな食堂の隅の連中でさえ不満を口にするのだ。

 帝国の威信と誇りとやらを重んじる大貴族は言わずもがな、といったところか。

 表向きは笑みを保つルーネの鬱屈した心中が手に取るように解る。

 後日になって、ここで騒がしい食事をしたことをずるいずるいと文句を垂れるに決まっている。


「船長、何を御考えで? 黒豹たちは、少々過激な踊りをしに行ってしまいましたよ?」


 ウィンドラスに言われて店内の中央に目を向けると、軽快な音楽に合わせて踊る客たちの中で、酔った勢いに任せて下品な冗談を大声で叫んだり、ステージのうら若き歌姫のスカートに水をかけてからかったりする黒豹たちの姿があった。

 ヘンリーは仲間たちの狼藉を面白げに眺め、ウィンドラスの空いたグラスに辛口の白ワインを注ぐ。


「俺が考えていることなんざ、お前にはお見通しだろう?」


「まさか。船長の深い思慮は私の狭い常識ではとても推し量れませんよ」


「そりゃ謙遜か? それとも嫌味か?」


「さてどちらでしょう。で、何を御考えで?」


 友とワインを傾けるヘンリーは、親指で宮殿の方を指す。


「今頃誰彼構わず微笑を振りまいて不味い飯を食わされている、哀れな小娘のことさ」


「あまり大きな声で言いますと、不敬罪で捕まりますよ?」


「敬っているともさ。だから哀れに思える。本当に敬っていない連中は、あいつの苦労をむしろ喜ぶだろうよ」


「なるほど。一理あります。陛下は第二王子をどうなさるおつもりでしょう?」


「さてな。だがこれだけは言える。殺しはせん」


「では人質外交でしょうか。国王に降伏を求めるとか」


「それもないな。あいつは自分から勝ちを譲って貰うことは好まん。向こうから土下座してくるまで止まりはせんよ。だがただの捕虜にしておくことも無いだろう。俺の予想では—―」


 考えを口にしかけたとき、夜空に雷鳴がとどろいた。

 直後に激しい雨が降り注ぎ、表の大通りを歩いていた人々が驚きの声を上げて右往左往し始めた。

 話に水を差されたヘンリーは肩をすくめ、口の端を釣り上げた。


「まあ、あいつのことだ。上手くやるだろう。この戦ももうすぐ終わる」


「ええ。南方王国が帝国に降れば、我が国は勃興以来最大の版図を実現します。陛下の威信はさらに高まり、輝きに満ちたものとなるでしょう」


「だろうな。しかし……」


 グラスのワインを飲み干し、テーブルの中央に置かれた蝋燭の灯りを見つめるヘンリーは憂いを秘めた表情かおで呟いた。


「光が強まれば、影がつきまとうのが道理だ。自分の影ならまだしも、今は遠くにある小さな影が、今度は大きく伸びて自分の影を飲みこむときもある」


「確かに、より大きな他国が存在すれば、いずれ帝国が侵攻される恐れも……」


「それならまだマシだ。問題は、体の中に潜む寄生虫の方だ。もしそいつらが頭を内側から食い破ったら?」


 ウィンドラスはハッとしたように目口を開き、ヘンリーと同じように宮殿の方を向いて、玉座に君臨する少女の将来を憂わずにはいられなかった。

 盤石のように映る帝国も、実際のところはその統治と根幹は玉座にある皇帝一人の権威に依るところが大きい。

 議会も、法も、帝国の秩序を保つあらゆるものは偏に皇帝の承認あってのこと。

 逆を言えば、皇帝が倒れ、その血統が絶たれれば、帝国は柱を失ったように崩壊する。

 とはいえウィンドラスの知識の棚には、それほど大それたことをやり遂げる組織は思い当たらず、また貴族たちも身分を皇帝の承認によって保障されている以上、反乱は考えにくい。

 唯一の例外が、先の大公による玉座の簒奪だろう。

 皇帝の弟という立場は玉座を得るに十分な大義が立つ。

 が、帝室に血を連ねない者に、一体だれが付き従うだろうか。


「その寄生虫を退治するのも、私たちの仕事ではありませんか?」


「フッ、違いない。もう一杯どうだ?」


「いただきます」


 結局その日は散々に飲み明かし、翌日の朝、二日酔いの頭痛に苦しむことを彼らはまだ知らなかった。

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