賓客 ③
女帝陛下がお戻りになられた。
その話題は港からすぐさま宮殿に伝わり、重臣たちは転がるような勢いで彼女を出迎えるべく正門の前へ飛び出してきた。
ことに宰相アーデルベルト公は、使用人から陛下の御姿を全く見なくなったと聞いた宮内長官から報告を受け、密かに兵士たちを動かして都内もくまなく探させたが一向に行方が分からない。
一日、二日と宮殿にも戻らず、気が気でなくなっていた。
まさか敵国の間者に拉致でもされたのではないか。
否。間者でなくとも、礼節を知らぬ暴漢に襲われでもしていたら……。
胃痛に頭痛が加わり、おまけに心痛まで抱えたアーデルベルト公は、女帝帰還の報を受けたとき、自室で一人言葉にならぬ叫びをあげたという。
そして重臣たちを連れて正門で整列していると、ルーネは見知らぬ青年を伴い、その後ろに例の狼を従えて宮殿へ戻った。
「留守居、大儀でした。今帰ったわ」
「……おかえりなさいませ。陛下、宰相としてお耳を痛めるお話が多々御座いますが、それはそれとして、そちらの御仁はどなた様で御座いましょう?」
「紹介しておくわね。こちらは南方王国第二王子カタルニア・アラゴン公爵殿下よ」
「なんと!」
重臣たちの間に動揺が走る。
彼女が海から戻ってきたことも大変な驚きであったが、そこにきて敵国の王族を連れて帰るとはだれが予想出来たであろう。
歓迎の準備も晩餐会の用意も、まるで整っていない。
予めわかっていれば港から宮殿まで正式に馬車で送迎したのだが、何もかもが突然のことで、まさに青天の霹靂だった。
ルーネにとって幸いだったのは、カタルニアのおかげで無断外出への怒りや不満が一気に吹き飛んだことだった。
「大切なお客様よ。国賓として相応の歓待をなさい。宮内長官、よしなに」
「はっ、直ちに。殿下、ご案内致しますゆえ、何卒御同行願います」
頷いたカタルニアはルーネにも一礼する。
「陛下、暫しの間、お世話になります」
「お疲れでしょう? どうぞごゆるりと」
先んじて宮内長官の案内で宮殿へ入ったカタルニアの背を見届けた後、ルーネはヘンリーに自由行動を許し、さらに宰相を一時間後に執務室へ来るよう指示した。
身軽な私服から真紅のドレスに着替えていく。
そのとき女帝専属の使用人メリッサは、ルーネの土産話を聞いている間、いたく臍を曲げている様子だった。
理由はルーネも大体察しはついている。
いやそれ以外にあり得ないと確信できた。
「ごめんね、メリッサ。心配をかけて」
「……ずるいですよ。せめてわたしには一言欲しかったです。陛下と御一緒したかったですし」
心なしかコルセットがいつもよりもきつく感じるのは、メリッサのささやかな怒りの表現だったのだろう。
これは当分の間息苦しい思いをしなくてはならないと反省したルーネは、密かに婦長に命じて使用人たちのおやつを増量させた。
封印されていた執務室が開錠され、ルーネとアーデルベルト公が机を挟んで対峙している。
そこで彼女は重臣たちに心配をかけたことを先ずは詫びつつ、休暇中で体験したことを語って聞かせ、かの難破船の航海日誌を取り出した。
「この日誌と内容を保存し、広く国民に知らせたいの。彼らの不幸を風化させてはいけないわ。国が落ち着いた頃に、彼らも含めた海の犠牲者たちの為に碑も建てたい」
「畏まりました。国務長官と検討致します。しかし陛下、畏れながら臣として申し上げますが、外出なさる際は必ず宮内長官なりに御意をお伝えくださいますよう。爺めはもう、心身が痛んで若死にするところで御座いました」
若死にという点が彼なりのユーモアだったのだろう。
ルーネは再度謝り、ついでに帝都港湾警備の司令官とその部下が事の顛末を知っていたことを告白し、約束を破らなかった彼らを決して罰しないように強く言いつけた。
「ところで陛下、例の第二王子殿下のことで御座いますが、今後の処置について御考えは御座いますか?」
神妙な面持ちで訊ねてきた彼に、ルーネも頬杖をついて喉を鳴らす。
「実を言えばまだ決めかねているの。人質としてカスティエル王を脅すのも一計だけど、それでは真の勝利とはいえないし……過去に似たような事例はあったかしら?」
「高祖が帝国統一の折、北方の小国の後継者を捕虜となされたことが御座います。そのとき高祖は格別の思し召しにより、その者に第四皇女と娶せた上で公爵位を与え、北方の領地を治めさせました。現在のピクトン地方でございます。その後、公爵は高祖の下、帝国統一に貢献致しました」
「流石は帝国史の大家ね。でもよくそんなにすらすらと語れるものね?」
「はっ……臣めの祖先で御座いますゆえ」
ルーネは一瞬目を丸め、驚きと同時にアーデルベルト家の高祖から続く帝室への忠誠を改めて感じ入った。
互いの先祖も、現在のように机を挟んで国の将来について語り合っていたのだろうか。
歴史は文字と口伝によって後世の人間の想像力をくすぐるもの。
伝わる逸話のすべてが真実ではないが、これから迎える未来よりも、二度と目にすることが出来ない過去にこそ人は神秘性とロマンを覚えるのかもしれない。
ともあれ、アーデルベルト公の先例は参考として胸に留めておくこととした。
またアーデルベルト公にはカタルニアの処置も含めた王国占領政策案の修正を議会にかけるよう命じ、晩餐会に備えさせるべく退室させた。
「気の毒なことね……王国に人なし、か」
王国が国運をかけた大艦隊の指揮官が、よりにもよって王の次男というのは、もはや王国軍に人望と能力ある提督がいないことを示している。
どれだけ広い領土を持ち、高い地位にあり、煌びやかな軍服を纏っていようとも、結局は人間の大小によりけりなのだから。
ヘンリーの言を借りれば、実績と実力なき誇りなど害悪以外の何物でもない。
カスティエル王が彼を艦隊司令に選んだのも、周囲の軍人を見渡してみても、我が子カタルニアが能力的にマシだった、というのが実際の理由なのではないか。
少なくともルーネはそう感じた。
そして今は従者の一人もなく、敵国の手中にあり、生殺与奪を握られ、祖国が攻め滅ぼされる様を傍観するしかないときている。
誰が考えても気の毒としかいいようがない。
ゆえに今後彼を如何にすべきか、彼女の心を悩ませた。
しかし時は待ってくれず、いつしか日も暮れて、メリッサが晩餐会の用意が整ったことを報せにきた。 ルーネは女帝として威儀を正し、会場たる大広間へ向かった。




