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賓客 ②

 ルーネが掲げた信号旗に従う形でグレイ・フェンリル号を寄せたヘンリーは、彼女が乗る船を綱で曳航し、縄梯子を下ろしてルーネを甲板まで登らせた。

 遠目に見た時はまさかと思ったが、近づくに連れて呆れを通り越して妙な乾いた笑いがこみ上げる。

 見習いの時から度々思っていたことではあるが、改めてこの小娘が全く大した肝っ玉の持ち主だと思い知らされた。

 そして軽やかに梯子を登ってきたルーネは、ズボンについた汚れを手で払い落し、エヘンと胸を張る。


「全く本当に驚いたわ。まさか貴方達とこんなところで出くわすなんて思わなかった」


「そりゃこっちの台詞だ。このお転婆め」


 水夫たちを押しのけながら彼女の前に進み出たヘンリーが、ルーネの頭を拳でコツンと打つ。


「おい、おい、こんな海原で一体何をしていやがった? まさか漁師に転職したとか言うんじゃあるまいな? それともあれか? 女帝が嫌になって逃げだしたか?」


 ルーネは鈍く痛む脳天を指で摩り、軽く唸る。


「うーん、当たらずといえども遠からずね」


 そこでルーネは全員が耳を傾ける中で、重臣たちから休暇を押し付けられたこと、居てもたってもいられずに船出したこと、そしてかの無人島での生活模様などなどを身振り手振りを交えて饒舌に語ってみせた。

 周辺の海図が頭に刻み込まれているヘンリーやウィンドラスはすぐさま、あの島か、と察する。


「おうおう、いい御身分だな? 俺たちが命がけで戦っている間にのんびりバカンスか?」


「あら、前線に出るはずが中立国ノイトラールで遊び惚けていたのはどこのどちらさま?」


 これには一本取られたとヘンリーもばつが悪そうに口元を歪め、話題を切り替えることにした。


「ところで俺が送った軍資金は届いたか? 積み荷満載のアルフレッド号が都に入ったはずだ」


「ええ。確かに頂戴したわ。おかげで兵たちを飢えさせなくて済むし、現地の臣民保護のために艦隊も送ったから」


 ノイトラール政府首脳の多くが抗争の最中にこの世から退場してしまったため、現在は政治空白が起きている。

 そこへ帝国軍が押し寄せ、保護の名目で上陸すれば、容易に帝国の旗を掲げることが出来るだろう。

 帝国としては労せずして支配領域を広げられたが、その過程は見過ごせるものではない。


「言っておくけどね、今回のようなことは二度とやらないでよね? よりにもよって、女帝の親書を偽造するなんて!」


「紙っ切れ一枚で国を動かせるってんだ。安いもんだろう?」


「もう、ウィンドラスさんも何か言ってやってよ。というか、あの偽親書を実際に書いたのは貴方なんですってね? 駄目よ、貴方はこの船で一番の良心なんだから、しっかり手綱を握ってもらわないと」


 わかっていたとはいえ、自分の方にも火の粉が飛んできたことにウィンドラスも苦笑する。


「面目次第も御座いません」


「あと、私の国璽とシーリングスタンプを偽造したのは一体だれ? ここに出てきなさい!」


 ぎろりと一同を見回すと、水夫たちはこぞってエドワードの背中を押して前に出させた。

 船に乗って日が浅く、ルーネとも数えるほどしか接していない新入りの彼は、今更ながら何と畏れ多いことをしてしまったのだろうと内心震え上がっていた。

 まさか縛り首になどはされないと思うが、と動悸をグッと堪えて背筋を伸ばす。


「じ、自分でありまス! ど、ど、ど、どうかお許し――」


「見事な出来栄えだったわ! 流石はキールさんのお弟子さんね!」


 どんなキツイ言葉を浴びせられるのかと身構えていたエドワードは拍子抜けしてしまい、口を魚のようにパクパクと動かして瞬きを繰り返す。

 ルーネとしても叱るべきかどうか悩んだのだが、あれだけ精巧な偽物はむしろ芸術の域だと感服したことを忘れてはおらず、ここはいっそ褒めてやることにしたのだ。


「そうそう、私の騎士様はどこ?」


「ここだよ!」


 このときタックは整備作業のため黒豹と共に船中央のメインマストに登っていた。

 上から嬉しそうに手を振る彼らにルーネも大きく腕を振って応える。

 まるで実家に帰ってきたかのような居心地の良さだ。


「それで、帝都に向かっていたようだけど、何かの任務? 補給ならキングポートでも出来るだろうし」


「ああ、そうだそうだ。すっかり忘れていた。お前に会わせたいやつがいる。ローズからの土産……というよりは戦利品だな。ついてこい。お前ならまともな会話が出来るはずだ。俺は無理だった」


 人心を巧みに操るヘンリーが匙を投げるとは一体どんな人物なのか、一気に好奇心の火が点ったルーネは彼に続いて船長室に足を運ぶ。

 本来ならば帝都できちんとした形式でもって謁見させるべきなのだろうが、偶然にも同じ船に乗り合わせているのだからさっさと会わせて面倒な役割から逃れたい、というのがヘンリーの本音だった。


 そして扉を開けて中に入ると、甲板で何事か起きたというのに、虚無感すら漂わせてソファに座ったままのカタルニアがいた。

 彼としては、己を処刑台に登らせるための迎えが来たのではないか、とでも考えていたのだろうか。

 人知れず海に葬るよりも、大衆の面前で死罪に処せば、民の士気が上がる。

 それは古来から用いられてきた典型的な為政者のやり方だっただけに、彼も容易に自分の末路を予測できた。

 死が定まっているのなら、今更何を考えたところでどうしようもない。

 ゆえに彼はこの船に乗ったときから虚ろなままであった。


 だが部屋にヘンリーと共に現れた少女を見た時、カタルニアの瞳に光が一瞬宿った。

 こんな船に、かように華がある少女が乗り込んでいたのか、とルーネを凝視する彼の眼が心情を物語っている。


「船長、こちらのお嬢さんは一体?」


「信じらんねえだろ? この小娘が何と俺たちの首領様だ」


 ぐしゃぐしゃと髪を乱暴にかき撫でてくるヘンリーの腕を払う。


「ちょっとぉ、もう少し言い方ってものがあるでしょう? まあいいか。はじめまして、帝国の長をしております、ルーネフェルト・ブレトワルダです。どうぞよろしく」


「女帝陛下……っ!?」


 カタルニアはあまりに気さくな彼女の態度に面食らいつつ、すぐさま席を立ち、彼女の前に進み出て深く頭を垂れた。


「南方王国第二王子、カタルニア・アラゴンと申します。このような場所でお目にかかれるとは、恐悦の極みに存じます」


「おい、このような場所とは何――」


 横やりを入れようとしたヘンリーの脇を肘で小突いて黙らせ、ルーネはカタルニアの面を上げさせた。


「こちらこそお会いできて幸栄ですわ。けれど今は故あって公務はお休み中なの。ここには帝冠も無ければ玉座も無いわ。だからそう畏まらなくてもいい。それに殿下とその艦隊の勇戦ぶりは海軍大臣から聞いています。帝国は勇者に対する尊敬を決して忘れない。今は帝国に生を受けた一人の人間として貴方を歓迎します。ようこそ私たちの帝国へ」


 握手を求めて差し出された彼女の白い手を目の当たりにして、カタルニアは本国で耳にしていた彼女の姿がすべて偽りであったと知った。

 血も涙も無い冷血の魔女、人間の生き血を啜り王冠を喰らう怪物、少女の姿を被った悪魔。

 だが実際に彼女の手を握ってみれば、しかと人間の温もりが手のひらに伝わってくる。

 屈託の無い微笑の何と優美なことか。

 そして、海の荒くれものでさえ分け隔てなく受け入れ、敵将もまた勇者と称える器量にカタルニアは深く感服し、床に膝をつけた。


 間もなくグレイ・フェンリル号は、帝都へ入港した。

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