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賓客 ①

 後部指揮所に立つヘンリーは眉間に深く皺を寄せた顔を浮かべ、曇り空の下に広がる海面を睨んでいた。

 口に咥えたパイプから煙がもくもくと噴き上がり、彼のいら立ちの程を示している。

 部下たちも彼が不機嫌なことを察して、敢えて近づこうとしない。


 理由は誰もが知っている。

 今、彼の船長室キャビンはある人物によって占拠されているからだ。

 何を隠そう、南方王国の第二王子カタルニア・アラゴンその人である。

 扉には厳重にカギがかけられ、出入りは食事と用を足す場合のみ。

 事実上の監禁である。

 本来、捕虜は船倉奥深くにある牢か、良くて水先案内人用の個室に押し込められる。

 だが流石に今度の捕虜は身分が身分だ。

 しかも帝都まで護送せねばならないときている。

 重要な書類や機密文書などはウィンドラスが自室に一括管理しているので、船長室で何かコソコソされたところで不味いものは無い。

 ことの発端は艦隊決戦の後、傷ついた船や鹵獲した敵船の再編成が終わり、ようやく一段落した頃合いになって、ヘンリーはローズに呼び出された。


「祝いのブランデーでも奢ってくれるのか?」


「残念ながら、アフターヌーンティーの時間だ」


 冗談交じりに提督専用の部屋に入ると、彼女は敗軍の将であるカタルニアと紅茶を飲んでいる最中だった。

 別段不思議なことではない。

 敵同士でも貴族社会における礼節は決して疎かにはしない。

 カタルニアも往生際悪く逃げ出すようなことはせず、敗れたとはいえ王族として相応の毅然とした態度を保っていた。

 軍刀サーベルの佩用もローズが許可している。

 王族貴族というのはその身分だけで立場を守れるのだから横着なものだ、と心の中で毒づきながら、ヘンリーは二人の間に席を運んだ。


「よお、王子様。元気かい?」


「おかげ様で」


「そりゃ何よりだ。おおっと、紅茶は結構だ。俺ぁコーヒーのほうがいい。ミルクも砂糖も入れてくれるな。濃いのを一杯頼む」


 気を利かせたローズの従兵の手を止めて注文をし、程なくして白いカップに深煎りされたコーヒーが注がれて彼の前に出された。


「ん~、これこれ。生き返るねえ。で、俺を呼び出したのは一体どういうわけだい?」


「うむ、折り入って貴様に頼みがある。実は――」


 と、そこでカタルニア王子を帝都まで護送してほしいと頼まれたのである。

 当然ヘンリーは渋った。

 あからさまに嫌な顔をするものだから、ローズも何とか応じて貰うように言葉を尽くす。


 王国の海上戦力が失われた今、航路の封鎖は現状の海軍だけで十分事足りる。

 私掠船団は長きに渡る通商破壊任務で疲れも溜まり、船も傷ついているので休息も必要だ。

 また、カタルニアを帝都まで無事に護送すれば、一級の戦功であることは疑いようがないので、他の貴族の鼻を明かすことも出来るはずだ。

 などなどそれらしい理屈を並べ立てて説得を試みたが、中々ヘンリーは首を縦に振ろうとしない。


「俺は別にいいんだがなあ、如何せん身分が身分だし、何より俺たちにとっちゃあまだ敵の人間だ。部下どもにも説明せにゃならん。あいつらが納得するだけの見返りがありゃ話が早いが」


「つまり、相応の報酬が欲しいと? 前払いで?」


 ローズがジトーっとした目でヘンリーを見遣ると、彼はわざとらしく肩をすくめてみせた。

 すると今まで無言で耳を傾けていたカタルニアがおもむろに襟のボタンを外すと、首にかけていたネックレスを外した。

 それは南方王国の象徴たる王冠八旗を象った、黄金と紅玉によって装飾された大変煌びやかな逸品だった。


「王家に伝わる宝物だ。万金の価値はあるだろう」


「おいおい、いいのかい? そんな大層なものをおいそれと差し出して」


 カタルニアは押し黙ったままヘンリーを見つめ、彼も参ったと両手を上げて、首飾りを受け取った。


「一応、預かっておく。言っておくが、乗り心地を期待するなよ? 煌びやかな軍艦とは違うもんでね。ところで、王子様以外の捕虜はどうするんだ?」


「然るべき場所に収容する。貴様も覚えがあるだろう? 例の監獄島だ」


「ああ。派手にぶっ壊したが、まだ機能していたのか」


 そして彼をグレイ・フェンリル号へ移乗させ、一先ず寝所として船長室を宛がった。

 おかげで当の船長が水先案内人用の狭い個室で眠る羽目になり、荒くれの水夫たちも明らかに船内の空気が違ってぎこちない様子だった。

 もとより彼らは船長の決定に逆らうつもりはないが、やはり内心ではカタルニアにあまりいい思いを抱いてはいない。

 王国に莫大な身代金でも請求してやればいい、などと小声で仲間に囁く者も少なくなかった。


 ただ、カタルニア自身は船長室でジッと大人しく過ごしており、食事の際も毒を警戒して皿を返すようなことはしなかった。

 食事を運ぶキャビンボーイのタックも緊張して足が震えたという。

 料理を担当するハリヤードとしては久々に全力で腕を披露できる客が来たと喜んではいたが、大多数の船員は王族の高貴な空気を嫌って近寄ろうともしなかった。

 ヘンリーも形だけは爵位を持っているので、夕食は彼と共にすることにしたのだが、これといった会話で盛り上がることも無かった。


「うちのコックの飯、結構いけるだろう?」


「うむ。美味だと思う」


「家の飯とどっちが美味い?」


「さて……あまり気にしたことがない。それに食事の時はしゃべるなと教育を受けた」


「ああ、そうですかい」


 そんな気まずい状態で航海を続け、ようやく帝都の目前まで迫ったときのことである。

 望遠鏡で周囲を観察していたウィンドラスが、ちょうど隣で不機嫌にパイプをふかしていたヘンリーに向かって呟いた。


「船長……女帝陛下が船旅を満喫されておられます」


 するとヘンリーは不機嫌な顔から一転し、ウィンドラスの肩を手で何度も叩きながら大笑し始めた。


「だぁっはっはっは! 受けたぜ、今の。お前も気の利いたジョークが言えるようになったとはな! な? ジョークだよな? おい! ちょっとそれ貸せ!」


 ウィンドラスから望遠鏡を引っ手繰ったヘンリーがレンズを覗くと、そこには信号旗を掲げ、大きく腕を振るルーネの姿が見えた。

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