無人島 ①
北西から吹く微風を右舷から受け、ゆらゆらと波間を進むルーネは、心地よい船の揺れを楽しんでいた。
少し波は高いが星空は澄み渡り、マストにランプを吊るして灯りとし、定期的に六分儀で恒星の高度と水平線との角度を観測して海図に現在地を記していく。
見習いの折、ウィンドラスから基礎的な航海術を習っておいて良かったとつくづく感じた。
真珠の算盤で残りの距離と到達予想時間の計算を終えたルーネは、月明りを眺めつつ食料袋から大麦のパンを取り出して齧った。
使用人も大臣も押しかけてこず、広い海原にただ一人というのは何とも言えぬ解放感に満たされる。
明け方には目的地に着くだろう。
ルーネは簡単な食事を終えると、肩に毛布をかけて風と潮に船を託した。
片手に舵を握り、コンパスの針を気にしつつ、物思いに耽る。
今頃宮殿では自分がいないことが知れて大騒ぎになっているのではないか。
それとも例の少将が律義に秘密を守って、いつもの静かな夜を迎えているのか。
この海の向こう、遥か南の海上で戦ったローズやヘンリーはケガなどしていないだろうか。
前線の兵士たちは死傷の恐怖に怯えていないだろうか。
そんな考えが次から次へと脳裏に浮かんでは消えていく。
月明りに照らされた夜の海は存外に明るいもので、流木を警戒して望遠鏡を覗くと、帝都を目指す商船のマストや左右の舷と船尾に燈る灯火が浮かび上がることがあった。
彼らも、まさかこんな海の真ん中に女帝が一人で小船を操っているとは思うまい。
口にこそ出さないが、いっそ重たい冠など脱ぎ捨てて一介の民衆となり、自由気ままに彼の船で旅が出来ればどれだけいいことか。
頭上に浮かぶ星々を見上げる彼女は、なぜ自分が皇帝の家に生まれてしまったのか、なぜ神はこんな星の下に自分を産み落としたのか、幾度となく繰り返し自問してきた悩みを天に向かって呟く。
「ほんと……神様って趣味が悪いなあ」
それから彼女は夜が明けるまで一時間毎に天測を行いながら、頭から毛布を被って静かな夜の海を過ごした。
眠気と戦いながら帆を進めていくうちに徐々に水平線が白み始め、炎のような陽光が空に浮かぶ雲を貫いていく。
ルーネは海水を汲み上げて顔を洗い、夜の闇の中から照らし出された島を目の当たりにして、堪らず飛びあがって拳を固めた。
海図で見れば帝都から然程距離の無い地点ではあるが、それでも自分の技術だけで目的地にたどり着いた達成感は何物にも代えがたい。
ルーネは勇んで櫂を引っ掴むと、島の砂浜に向けて力強く漕ぎ始めた。浅瀬に近づくに連れて群青色だった海面が透明度を増し、真っ白な海底との間に色とりどりの魚が泳ぎまわっている。
すぐにでも釣り糸を垂らしてやりたい衝動を抑え、船を浜へ乗り上げさせた。
「よぉし、到着っと!」
波打ち際に上陸し、早速船に積み込んだ荷物を木陰に運ぶ。
そして船が波に流されないように船首と木の幹とを綱で繋いだ。
此処は商船の航路から外れた無人島エイラント。
半径五キロほどの小さな島で、砂浜と岩場の海岸に囲まれ、あとは森が広がっている。
森には渡り鳥が羽を休め、また獣も多少生息していた。
ルーネは森の入り口付近に簡素な竈を作り、木と木の間にハンモックをかけ、早速身を横たえた。
眠るにも休むにもちょうどいい大きさだった。
夜通しの航海で流石に眠気も限界だったため、彼女は小一時間ほど仮眠を取った。




