休日 ⑤
女帝だからといって、宮殿にある財産を自由に使えるわけではない。
なぜならそれらの金はもともとは民衆が汗水流して働き、稼ぎ、そして納めてきた税なのだから。
それらを自由気ままに使うことは許されない。
ただ、彼女には見習い時代に自らの手で稼いだ金がまだ残されている。
隠れ家の購入でかなり消費はされたが、それでも、この休日の計画を実行するだけの額はまだあった。
見習いでさえ、農園に屋敷と召使を雇って安穏と暮らせるだけの金が入っていたのだ。
ヘンリーの言葉の受け売りだが、陸で一生かけて小銭を稼ぐ生真面目な人生、というものが確かに馬鹿らしく思えてくる。
ただの見習いが、たった数回の航海だけで、農園に大きな屋敷と召使に囲まれる生活を送れるに十分な金を手に入れられるのだから。
もっとも、大抵の者たちは港に隣接した悪徳の町で王侯貴族も真っ青な散財をし、素寒貧となって再び船に戻ってくるのだが。
「私もたまにはお小遣い稼ぎに連れて行って貰いたいなあ」
なんて栓無き事を呟き、重たい財布を携えてまた市場の喧騒へ。
そこで新たに購入したものを隠れ家に運び込み、また次なる目当ての物を求めて店へ。
往復を繰り返すごとに財布は軽くなり、逆に隠れ家が様々な物品が積み上げられていく。
例えば革製の水袋、折り畳み式のハンモック、携帯火おこし器具など。
だが最大の問題が残されていた。
これだけはさすがに手持ちの金ではどうにもならない。
さてどうしたものかと隠れ家のソファで更に考えを巡らせたルーネは、ダメで元々と思い、今度は港の方へ歩く。
港には主に商船が停泊しているが、同時に海軍が港の一角を占めている。
大型の軍艦は戦時中なので出払っており、残っているのは港湾や沿岸警備のための小型船だけ。
ちらほらとお誂え向きの小船が桟橋に係留されており、彼女は岸壁近くに設けられた海軍の港湾司令部に足を運んだ。
さあ驚いたのは中にいた軍人たちである。
突然女帝が直接赴いてきたものだから何の準備もしておらず、司令室にいた海軍少将が慌てて正装し、入り口まで部下を連れて下りてきた。
「これはこれは女帝陛下、突然の御越しとは、一体如何なされましたか?」
「ごめんなさいね。でも今日は公務というわけではないの。だからそう固くならなくてもいいわ。少し港を歩いていて寄っただけだから。迷惑だったかしら?」
「いえいえいえ、とんでもございません。どうぞ、応接室へ。なんのおもてなしも出来ませんが」
そうは言いつつも迷惑なのだろうな、とルーネは内心苦笑しつつ応接室で紅茶を馳走になった。
プライベートとはいえ立場が立場なので、外征に出ている主力部隊の代わりに港や沿岸の警備にあたっている彼らの任務を労い、より一層の精勤を願った。
さて、社交辞令も程々に言い合ったのち、ルーネは機会を見計らって一つの質問を投げかけた。
「ところで、この国の軍艦は、一体誰のものなのかしらね?」
少将は暫しキョトンとしたが、咳ばらいをしつつ応える。
「むろん、艦という艦、武器という武器は全て陛下の物で御座います」
「そう。つまり私の物だから、私の意思の通りに出来る、ということよね?」
「御意。陛下が西とおっしゃれば西へ、東とおっしゃれば東へ、何処へでも御意のままに」
「ありがたいお話だわ。じゃあ、表に係留されている小型船を少し借りるわね」
「……は?」
「大体三日くらい使うけれど、軍の船は私の物ということだし、問題ないわよね?」
少将は目の前の娘が一体何を言っているのか理解できず、目をパチクリさせて、まるでエラ呼吸のように口を動かしていた。
その隙に、早速船を見に行くと言って応接室から出たルーネは、桟橋を守っていた水兵に案内を乞う。
慌てて後を追いかけてきた少将たちが止めようとするも、すでにルーネは気に入った小船に早速乗り込んでいた。
全長およそ五メートル、縦帆が一枚ついたマストが中央に一本の帆走短艇。
帆を操る各種綱の位置、舵の効き具合、櫂の長さや錨の重さ、また組み立て式の船尾に腰かけたときの座り心地などなどを確認していく。
「うん、これなら良さそうね。荷物もそれなりに積めそうだし」
「陛下、船旅を御所望ならば海軍がそれなりの船を手配致しますが?」
「だめよ。どうせ安全のためだとか何とか言って、貴重な大型軍艦を持ってくることになるんだから。このくらいの船でちょうどいいの」
「はぁ……では、操帆に熟練した者を用意いたします」
「いらないわ。これくらいなら私一人でも操船できるから」
「へぇ!?」
驚愕のあまり少将の口から素っ頓狂な声が飛び出す。
「へ、陛下! 海は大変危険で御座います! 海峡の外に出ればたちまち波と風が吹き荒れ――」
「知ってるわよ。これでも船上勤務経験者なんだから。見習いだけどね? 心配しなくても、そんなに遠くへは行かないわ。ちょっとそこまで、よ。じゃあ、ともかくもこれは借りていくから。それとアーデルベルトの爺やには言わないで頂戴ね。知ったら動転して捜索隊を出しかねないから」
呆気にとられる軍人たちを後目に、ルーネは係留策を解いて船を岸壁から離すと、櫂を漕いで隠れ家に近い桟橋へ移動した。
本来なら四人以上が一斉に櫂を漕いで動かすものだが、この程度の大きさならば一人でも手際よく動けば操縦出来なくはない。
舵をピンで水平に固定すれば漕ぐにも操帆にも集中できる。
桟橋の綱とり老人に索を渡して繋いで貰い、あとは隠れ家に積み上げた荷物を運び込めば準備完了。
非常時も含めた一週間分の水と食料、火おこしセット、サーベルとナイフ、弾薬、方位磁石、天測用の六分儀、沿岸から近海までを描いた海図、最低限の医薬品、ハンモック、書物、釣り竿などなどを酒樽用の荷車で隠れ家から運び出す。
そして近くにいた商船の水夫に手伝って貰いながら船に積み込み、自身も飛び乗った。
「一度言ってみたかったのよねえ。いざ、出航!」
綱を引き、主帆とマストから船首の間に備えられた補助帆が開く。
そして風を得られるまで櫂で船を進め、ルーネは帝都を外敵から守る狭い海峡を抜け、青い海原へ乗り出した。
帝室の歴史にこれまた前例なき休日の開始である。




