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休日 ④

 朝食を終えたルーネは一旦部屋に戻って肩掛けカバンを取り出し、財布や護身用の銃とナイフを入れ、宮殿の外に出ることにした。

 快晴だというのに部屋の中に籠っているのは誠に勿体なく、久々に都の市場でも散策してやろうと思い立ったのである。

 鼻歌交じりに部屋を出てメインエントランスに向かう途中で、これから午前の茶会をやろうと中庭に向かう貴婦人の一団に出くわした。


 一瞬、ルーネの顔が引き攣る。


 皇女でありし頃からそうだったが、こと宮殿において婦人会ほど手ごわい相手もいない。

 一人一人ならばお淑やかにしていても、集団になるや途端に強気になるのだ。

 百戦錬磨、常勝無敗の将軍でも妻にだけは頭が上がらないというのは古今からよく聞く話である。

 ゆえに同じ女性ではあるが、ルーネも出来ることなら婦人会の連中と関わり合いたくなかった。

 だが廊下でばったりと鉢合わせたからにはそうもいかない。


「まあ、陛下。ご機嫌麗しゅう。夫から聞きましたわ。なんでも一週間、御公務がお休みですとか。わたくしども、これからお茶を致しますの。陛下にも、是非ご臨席賜りたいものですわ」


 冗談ではないと内心で恐々としつつ、何とか笑顔を取り繕う。


「あはは……せっかくの御招待は有難いのだけど、これから少し野暮用があるの。また今度にさせてもらうわ」


「野暮用、でございますか? あらあら、陛下も隅に置けませんこと。殿方と逢引ですか?」


「そんなんじゃないわ。あと、お茶会もいいけど程々にね? まだ戦いは続いているのだから」


「心得ておりますわ。恐れながら、婦人会として一つ陛下にお願いがありますの」


「言ってごらんなさい」


「戦勝の暁には、宮中で盛大な舞踏会を催して戴けません事?」


 以前に彼女たちは宮中舞踏会や派手な宴を禁止したことに抗議してきたこともあり、心の中では鬱屈とした思いが残っていたのだろう。

 ルーネは少し考える素振りをしつつ、どのみち盛大な戦勝の祝宴をやるつもりでいたので、すぐに舞踏会の開催を承諾した。

 貴婦人たちは満足したようにルーネに礼を述べると、そそくさと中庭へ立ち去った。


「舞踏会ですって? 男漁りの乱痴気騒ぎじゃない」


 彼女たちが舞踏会の度に夜な夜な不謹慎な楽しみをしているという噂は、それとなく女帝の耳に入っていた。

 ただ、これは今に始まったことではなく、いわば舞踏会の暗黙の了解、あるいは一つの伝統ともいえるほどに浸透していたので、違法にすべきかどうかと論じられたときに否決された。

 なぜなら貴族の大部分が、この舞踏会の姦通によって父を得、また母を得たのだから。


 もちろん皇帝の一粒種であるルーネは別だ。

 母は帝室に血を連ねる大貴族の中から選りすぐられた純潔であったし、病弱であった為に舞踏会に出ても夫たる皇帝以外の男とは決して踊ることはなかった。

 また父も生涯妻だけを愛し、側室や妾の類は一切置かなかった。

 ただこの潔癖が世継ぎの誕生に不都合をもたらし、弟たる大公の反乱の遠因にも繋がったことは、ルーネも否定はしない。

 もしも自分に兄や弟など男子がいれば、決して皇女が玉座に座ることなどありえなかったのだから、運命とは不思議なものだとつくづく実感した。


 宮殿を守る近衛兵の敬礼に返答しながら外に出ると、目の前に広がる海から涼しい風が吹き、ゆったりとした足取りで市場へ向かう。

 例の隠れ家で菓子でも作ろうか。

 それともたまには釣りでもしてみようか。

 そんな風に考えながら市場の雑踏の中へ分け入っていく。

 人々の暮らしぶりに直に触れられるのは良い経験だ。

 ルーネは変装など、自らを隠そうとしない。

 特徴的な蒼い目を忙しく動かし、店頭に並べられた果物などを物色した。


 店の人間も彼女が何者なのかはとうに察している。

 これもまた前例なきことだった。

 通常、皇族が市井に出ることはない。

 宮殿の奥におわす雲の上の人、というのが大体の認識だった。

 だが彼女は堂々と民衆の中へ飛び込む。

 そして果物を手に取りながら、どれがより新鮮で得なのか真剣に悩むのだ。

 見習い時代に身に着けた癖、ならず者や行き詰った者たちが集う船の世界を経験した彼女は、買い物のやり方も学んだ。

 より安く、より良いものを。

 そして時には大胆に金を使う。


 ルーネは購入した果物などをカバンに納め、次に本屋に立ち寄った。

 店内に客の姿はなく、カウンターで中年の店主が半ば眠りかけていた。

 彼女はなるべく足音を立てないように、静かに本棚にジャンル別に並べられた本の表紙を流し見ていく。

 辞典、歴史書、伝奇、専門書などなど、分厚いカバーに覆われた知識の泉。


 その中からおもむろに手に取った一冊の小説。

 それは帝国の歴史に輝く船乗りの物語。

 高祖によって大陸が統一され、帝国が陸の外、海へ進出したとき、未知の世界へ乗り出した勇者たち。

 その多くが嵐と壊血病によって戻ってこなかったが、奇跡的に戻った一隻によってもたらされた記録によって、帝国は周囲の島々、そして風と潮流の動きを手に入れた。

 海の開拓者、海軍の父。

 その偉人の活躍を多少脚色して描いた冒険物語をふと立ち読みしたルーネの心に、海に対する熱い思いがよみがえる。毎朝耳に聞こえるあの波の音、船の軋み。

 自然とルーネはその本と他に幾つかの専門書を抱え、寝ぼける店主を起こし、代金を払った。


 店を出た彼女は市場の薄暗い裏路地に回り、自分の隠れ家に駆け込む。

 かつて引退した海賊から購入した小さな酒場。

 宮殿でもほんの一握りの人間しか知らないこのアンティークな空間が彼女の数少ない憩いの場。

 テーブルに購入したものを一旦置き、ソファに寝転がって、天井を見つめる。

 それから暫く微動だにせず考え続けた彼女は突然起き上がって手を叩いた。


「そんなに休めっていうなら、トコトンやってやろうじゃないの。よし、決めた!」


 彼女の脳裏に閃く休日の姿。

 それを実現するため、ルーネは再び駆け出した。


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