休日 ①
執務室にてローズが海戦に勝利した報告を受けた女帝ルーネフェルトは、当然だ、とばかりに無言で頷き、海軍大臣を退室させた。
そして一人きりになったことを確認するとホッと安堵の溜息を吐き、にやけそうになった顔を指先で軽く叩いて抑え込む。
この戦争の最大目的であるエスペシア島の攻略も順調で、しかも王国の主力艦隊を撃破したともなれば、そろそろ戦後処理のことを考え始めても良い頃合いだろう。
既に宰相アーデルベルト公率いる帝国議会が幾つかの案をまとめて上奏していた。
机の上に置かれた赤表紙の書類。
【南方王国占領政策案】
と銘打たれた刺激的な上奏書類を、ルーネは右目に片眼鏡をかけて今一度パラパラと捲って目を通していく。
未だどの案にも承認の御名御璽をしてはいない。
すべては王国の本島を攻め、アラゴン王家が帝国にひれ伏したときに決する。
だがその前に片づけておかねばならない問題がある。
国内に蔓延る害虫退治だ。
ほどなくして国務長官の遣いが訪れた。
「恐れながら申し上げます。陛下、準備が整いましたので御同行願います」
「ご苦労様。すぐに行くわ」
席を立ち、執務室を離れたルーネは数人の護衛に守られながら、帝都の娯楽の中心である大劇場。
普段は旅のサーカス団やら宮殿お抱えの歌劇団が演劇や演奏で人々を楽しませ、時には腕に覚えのあるものたちが剣闘を披露する、帝国の民ならば誰もが自由に出入りできる富と繁栄の象徴でもある。
その劇場が、今日に限っては少し剣呑な空気に包まれ、群がる大衆の顔にも少々の不安と多大な期待が表れていた。
そして女帝を乗せた馬車が到着すると、群衆は口々に女帝陛下万歳と叫んで彼女を迎え、各々が劇場に入って席についた。
ルーネは大貴族専用の特別席に腰を落ち着かせ、煌びやかな舞台に目を向ける。
そこには五人ばかりの男が立っていた。
されど彼らは役者でもなければ歌手でもない。
彼らは大商人であり、はたまた離島を治める小貴族であり、あるいは地下に潜む闇市の元締めであった。
その後ろ手には荒縄が絞められ、口にも白い布が猿轡として巻き付けられて言葉を語ることも許されず、足元には麻袋からあふれ出す大量の金貨がばらまかれていた。
そして群衆が静まり返った頃合いに、舞台の袖から一枚の羊皮紙を携えた男が出てくるや、高らかな声を発する。
「恐れ多くもルーネフェルト女帝陛下、並びに帝都臣民諸君へ申し上げる! この五名の者ども、帝国への忠誠を忘れ、密かに南方王国に武器食料の商いを行い、暴利を貪り、帝国の法を犯し、税を逃れんとした不義不忠の数々、言語に絶するものあり! よって国家反逆の大罪により、全私財を没収の上、女帝陛下より死を賜る!」
彼らの罪状が読み上げられたのち、本来は演劇に使う舞台装置から絞縄がゆっくりと彼らの目の前に降ろされた。
彼らは額から脂汗を溢れ出し、目の前に吊るされた縄に怯えている。
だが彼らの背後には、逃走したときに備えて銃口を構える兵士たちが潜んでいた。
しかも彼らにそれを悟らせるため、あえて火打式ではなく、煙の匂いが立つ火縄式銃を用いていた。
群衆は固唾を飲んでその瞬間を見守り、貴賓席から罪人を見下ろすルーネの眼は、まさしく道端の汚物を蔑むように冷たかった。
すると密売によって私腹を肥やしていた小貴族の男が、女帝を睨みながら言葉にならぬ叫びを布の猿轡越しに語りはじめた。会場を警備する者たちが黙らせようと舞台に上がろうとしたが、ルーネは待ったをかけ、彼の口を自由にしてやるように命じた。
口を封じていた布が取り払われると、彼は深く呼吸をした後に女帝に向けて怒声を発する。
「理不尽極まるではないか! なるほど我々は確かに罪を犯しただろう! だが、真に罰を受けるべき大罪人が何故裁かれぬのか! あの玉座に座る小娘は、今まさに他国を犯し、奪わんと、多くの血を流し、無数の金銭を貪っているのではないのか! 国家を犯し、略奪しているというのに、たかが己の懐を満たさんとしただけの我々が、なぜ死を下賜されねばならぬのか! 私は告発する! かの娘こそ罪人なり! かの娘の陰にある大海賊こそが帝国の汚物なり! 冷たき暴君に災いあれ! 血塗られた玉座に呪いあれ! 侵略者は地獄の業火で焼き尽くされるがいい!」
ありったけの怨嗟を込めた罵声の数々に随行した大臣や貴族たちは赤面したが、当のルーネは冷たい表情を崩さず、眉一つ動かさずに席を立つと、周囲が止める声も聴かずに貴賓席から下りた。
群衆が左右に割って道を譲る中を歩いた彼女は、罪人たちの眼前に立ち、静かに、されど聞く者の背筋を凍り付かせるような声色で語り掛ける。
「そなたの言は正しい。だが、私も正しい。私は私の正しさに従い、そなたらを殺す。二つの正しさのうち、より大きな正しさが小さな正しさを殺す。そなたらのちっぽけな正しさは犬畜生にも劣る。そなたらが向かう先は天国でも地獄でもない。野鳥の腹の中よ。鳥の餌として死ね」
そして彼女が罪人たちに背を向けた刹那、五発の銃声が場内に響き、前のめりになった彼らの首に縄がかかると舞台装置によって巻き上げられ、宙に吊るされた。
ルーネは二度と彼らを顧みることはせず、目の前で青い顔をする愛すべき民衆に慈悲深いほほ笑みを向け、全員を抱擁するように両手を広げた。
「私はそなたたちを許します」
処刑の緊張感が一気に解け、群衆は静粛に会場を後にした。
だがルーネ自身も日頃の激務に加えて、両肩に精神的疲労が重く圧し掛かる。
暴君、侵略者、改めて面と向かって言われると、自覚があるだけに応えた。
「陛下、大事御座いませんか?」
付き添いの医師が容態を尋ねるも、彼女は手で制止する。
「大丈夫よ。お気遣いありがとう」
「お休みになられたほうがよろしゅう御座います。宮殿へお戻り下さい」
「そうね。そうするわ」
続いて国務長官が遠慮がちに一歩前に出た。
「陛下、罪人どもは如何なさいますか? 埋葬が妥当と思われますが」
「言ったはずよ? 鳥にくれてやりなさい。ただ埋めるより役に立てるわ」
長官は息をのみながら一礼し、下がった。
宮殿に戻ったルーネは部屋の扉に入室禁止の札を掛け、柔らかいベッドに横たわる。
罪さえ犯さなければ、私利私欲に染まらなければ、他の者と同じように笑いかけられたものを。
そんな風に考えたルーネは短時間の昼寝で体を休めた。




