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決戦 ④

 時は少々遡り、海戦が始まる直前にカタルニアから自由にせよといわれた黒豹は、自分の船の上で大いに悩んでいた。

 というのも、黒豹はどうにかして敵艦隊を南へ向けさせろと命じられたのはいいものの、その後の行動は状況次第で判断しろと言われていたからだ。

 敵艦隊への工作を続けるもよし、すたこらさっさと逃げるもよし。

 普段は水夫どもを統率する甲板長だが、今はれっきとした船長。

 その責務の重さを実感し、同時に、さっさと気楽な甲板長に戻りたいと心から願っていた。


「で、どうするんですかい? 姐さん」


「うるせえ。今考えてるんだよ。お前もちったぁ考えろ」


「だってよ。お前ら、知恵絞れ」


「オレはお前に考えろって言ってんだよ!」


「俺は皆に考えろって言ってるんですよ!」


 手ごわい部下たちに溜息を吐きたくなりながら、黒豹は進路を南へ向けるように指示した。

 ヘンリーならこの状況でも上手いこと何かをするのであろうが、彼の矛として戦うことしかしてこなかった彼女に、自分の頭で策略を巡らせるというのは無理だった。

 彼女が分かるのは船の性格、風の声、波の気まぐれ、そして倒すべき敵。


 幼少の頃に故郷から帝国へ売り飛ばされ、思い出したくもない奴隷の日々を送ってきた彼女に、同郷の者どもへの遠慮はない。

 肌の色は違えども、立派な帝国人。

 妹分でもある女帝の仲間という自覚があった。

 帰るべき故郷は南ではない。


「みんな、帰ろう。オレたちの船長のところへ」


 全ての帆を広げ、船首に備え付けられた三角帆で風上に切りあがっていく。

 そのとき艦砲射撃が開始された。

 両軍の熾烈な砲撃戦は望遠鏡を覗くまでもなく彼らの目によく見え、多くの水夫たちがマストに登って観戦しようとしていた。


「うっひょー、始まりやがった。さすがに派手だねえ」


 口笛を吹き鳴らす黒豹は、流れ弾に当たってはかなわないと戦場から離脱していった。

 ほどなくして南の海域で待機していた私掠船団と合流した。

 ヘンリーは全ての帆を畳み、ゆらゆらと波に揺られたまま、空に向かって立ち上る黒煙を眺めているばかり。

 ウィンドラスが指示を乞うても、押し黙ったまま動かなかった。

 そこへ黒豹の船が無事に戻り、彼女自身はグレイ・フェンリル号へ移乗し、船は船団に加わった。

 これで大小二十隻の私掠船が揃ったが、それでもヘンリーは黙々と黒豹からの報告を聞きながら戦場を睨み続ける。


 何かの機を狙っていることは誰の目にも明らかだった。

 一番美味いところを食い千切っていくに違いない。

 そして目の前の獲物の中で最も味の良い部分といえば、一つ。

 風はいまだに南から北へ向けて吹いている。

 ひとたび帆を展開すれば船団は全速で艦隊決戦の渦中へ飛び込めるだろう。


 問題はそのタイミング。


 ウィンドラスは脳内で幾つかのパターンを考えていた。

 すなわち決戦の最中か、勝敗が決せられる瞬間か、それとも追撃あるいは増援か。

 皆が固唾を飲んで船長の一挙一動を観察している中、艦隊戦は混迷を極める乱戦に突入していく。

 一体どの艦がどちらの陣営なのか、旗という旗が入り乱れて判別しにくい状況になって、ヘンリーの右腕が掲げられ、艦隊の中心に向けてゆっくりと振り下ろされていく。

 全船突撃の合図だ。

 ウィンドラスたちが息を飲む顔を幾度か見渡したヘンリーが、獲物を狩る野獣のような顔で告げる。


「さて、諸君。狩りに赴くとしようか。敵は南の犬っころ。旨味も無けりゃ喰い甲斐も無いときてる。ただ骨と皮を齧るだけになるだろう。だからこいつは【食事】じゃねえ。敵を喰い殺し、打ち捨てるだけの【屠殺】だ。牙を突き立てろ。爪で引き裂け。不味い犬の肉なんざ吐き捨てろ。一隻たりとも生かして明日の朝日を拝ませるな。奴らの首をマストに吊るせ。さあ旗を空高く掲げろ。敵も、味方も、神も悪魔も俺たちの前で震え上がるように! すべてを食らい尽くせ! 剛胆に笑え! いざ行くぞ、灰色狼どもよ! 奴らの白い帆を血で真っ赤に染め上げろ!」


 私掠船団の全てがありったけの帆を開き、追い風を一杯に受けて、血に飢えた狼の群れが一斉に駆け出した。

 誰がどう考えても無謀だった。

 しかし逆らう船はいなかった。

 彼に歯向かって後々に制裁を受ける恐怖と、巨弾が飛び交う艦隊戦に突入する恐怖を天秤にかければ、どちらがより恐ろしいかは明らかだったからだ。


 彼らにとって陸の如何なる刑罰も怖くはない。

 ただ、彼らの王の怒りを買うことだけは禁忌だった。

 ゆえに彼らは地獄の釜の底へ突き進む。

 ヘンリーならば、たとえ氷の海で怒り狂う魔王でさえ屈服させられる。

 否、彼らにしてみれば、まさにヘンリーこそが、神が質の悪い冗談か何かでこの世に生み出した、海という地獄に君臨する魔王そのものだったのだ。

 人も、船も、国でさえも呑み込んでしまう。

 善良な船乗りを言葉巧みに、黄金の魔力で以て、ともに地獄へ向かって笑って行進しろというのだ。


「イヤッハァ! イカれてるぜ、うちらの親分はよぉー!」


 自然と、皆が笑っていた。

 半分は自棄、もう半分は愉悦だ。

 頭上に翻る狼の紋章の力なのか、一人残らず狂喜に満ちていた。

 彼らは進む。

 闘争の渦潮に向けて……。

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