決戦 ②
両国の艦隊が互いを視認したのは、ほぼ同時であった。
方位350に帝国艦隊を発見せりの報を受けたカタルニア・アラゴンは、はじめその報告を一笑に付した。
父王が後詰として援軍を送ってくれたのではないか。
そう楽観的に考えて、しかし念のために自身も望遠鏡で南から接近する艦隊のマストを見るや、目は丸く開かれ、手にしていた望遠鏡を甲板に落とした。
艦隊全体に動揺が走る。
南にいる帝国艦隊は今頃、姿無き敵を求めて王国の海で立ち往生をしているはず。
それがなぜ、まるでこちらの動きをすべて把握しているかのように、真っ直ぐ北へ向かってきているのか。
偶然か、それとも作戦が知られていたのかは彼の知るところではない。
だがカタルニアは決断を迫られた。
戦うか、逃げるか、だ。
彼は後部甲板を歩き回りながら思案を巡らせる。
もはや作戦は破綻した。
東方に帝国軍の主力が結集し、さらに南方にいるはずの艦隊がこちらを追撃し、今補足された。
北には帝国本土、西は未知の海が広がっている。
逃走は望めない……。
「敵の数を報せよ」
静かに部下に問いかけると、すぐさま答えが返ってきた。
「戦列艦を含む三十隻であります」
「われらの方が三隻多いな」
幕僚たちは反応に困った。
三隻の差といっても、艦隊決戦の要である戦列艦は敵の方が多い。
しかも南方王国にとってこれが最後の力なのだ。
乾坤一擲の奇襲が頓挫した今、残っているのは意地だけだ。
たとえ目の前の艦隊を打ち破ったとしても、帝国本土への侵攻は望めない。
それはカタルニアもよく理解していた。
「……艦隊、単縦陣を組み、進路を維持せよ。これより敵艦隊に突入す」
「殿下……それでは……」
「国王陛下のご期待を裏切ることは出来ん。せめて帝国軍に一矢でも報いたい。見よ、敵と我らは概ね互角。全員が死に物狂いで戦えば活路も見いだせる。全艦に下令! 艦隊戦用意! 我に続け!」
命令を伝えるトランペットの音色が艦という艦から吹き鳴らされ、全ての砲門が開き、黒光りする無数の砲に弾が装填されていく。
その最中にあってカタルニアの耳元で参謀の一人がささやいた。
「先ほど救助した船、敵の工作である可能性が極めて大です。今のうちに始末した方が宜しいかと」
「君は、一度救助した船を、今度は沈めろというのかね? 恥ずかしくはないのかね?」
「しかし殿下! あらゆる懸念を除かねば勝てません」
「君は本気で勝てると思っているのかね?」
彼は言葉に詰まった。
カタルニアは舷側の手すりに身を預けて首を左右に振った。
「彼女たちが帝国人であれば私も躊躇しないだろう。だが、彼女たちは同じ南方人だ。同族同士で血を流すことはない。彼女らの船は解放する。あとは自由にしろと伝えてくれ。君は私を甘いと笑うだろうが、これ以上南方人の血が海を赤く染めるのは沢山だ。我々だけで十分だ!」
カタルニアの瞳の奥に不穏な覚悟を垣間見た彼は、小声で、しかし力強く諫める。
「殿下、あなたはまさか……早まってはなりません。殿下は王国にとって必要な御方なのです。小官らが盾となります。殿下は何卒脱出を」
「気遣いは嬉しいが無用だ。所詮、私は次男坊。父の跡を継ぐのは兄上だ。この無謀な作戦に私が選ばれたのもそのためだ。私は王位を望んではいない。だが至る処から疑いの視線を受けてきた。父が亡くなれば私を担ぎ出すものも出てくるだろう。戦に負けるのは悲劇だが、身内同士で争い合うのはもっと悲劇だ。よりよい戦後と王国の存続のためにも、王位を継げる者はただ一人で良い。女帝も王統の断絶まではしないだろう。いや王位の剥奪や帝国への臣従はあったとしても、父と兄、その子らが、アラゴン家が存続するなら私は何も望まないのだ」
王家の次男として生まれた不幸。
国の将来は兄一人に期待され、弟の己は、ただ兄のオマケとしか扱われず、幼少のころから悶々とした日々だけが続いてきた。
その日々に終止符が打たれるなら……彼の胸には束縛から解き放たれる期待感や高揚感のようなものさえ芽生えていたのである。
敵と刃を交えて華々しく散れば、父も兄も、祖国の民も忘れないでいてくれるはずだ。
砲火を競い合った敵の記憶に残ってくれて構わない。
兄のオマケとして生まれた自分が、この史上最大の海戦の主役となっているのだ。
「もし私が死に、君らの誰かが生き残っていたら、降伏したまえ。国に戻ることが出来たなら父と兄に伝えてくれ。カタルニアは義務を果たしたと」
「殿下……」
「ははは。全員に、ワインを配ってくれ。私から兵士たちへの最後の贈り物だ」
酒保からワインの樽が運び出され、全ての兵士たちに一杯ずつワインが支給されていく。
これが別れの酒であることは誰もが理解していた。
両艦隊の距離はまもなく砲の射程距離に入る。
マストには多数の狙撃兵が配置され、砲列甲板でもすぐさま射撃が出来る態勢が整えられた。
「南方王国、万歳」
ワインを飲みほしたカタルニアと幕僚たちはグラスを海へ投げ捨て、サーベルを抜いた。
「全艦、砲撃はじめ!」
帝国と南方王国の運命を決する戦いが、始まった。




