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矜持 ⑤

 バルトロメウ要塞に続々と輸送隊が入城する中、南のルートから来るはずの部隊が消息を絶ったことを知ったランヌは、すぐに騎兵隊の一部を選抜して捜索にあたらせた。

 本国から送られた貴重な物資を失うわけにはいかない。

 特に消息を絶った輸送隊が運んでいたのは、兵士たちの命綱でもある弾薬だ。

 弾が尽きれば戦いにならない。

 ただでさえ先の野戦と攻城戦によって多くの小銃弾と砲弾を消費してしまった。

 またこれが敵に奪われたとすれば、自国で作った弾が自軍を殺めることになる。

 こんなバカげたことはない。


 捜索に出た騎兵隊は不幸にも王国軍を発見することは出来ず、捜索範囲を広げて南西の海岸線にまで出たところ、件の輸送隊と水夫たちを引き連れたヘンリーを発見した。

 騎兵隊の隊長はすぐさま下馬して挙手の敬礼を送る。


「帝国陸軍第一軍団所属、第三騎兵中隊であります。ヘンリー・レイディン閣下とお見受け致します」


「おう、出迎えご苦労さん。迷子の子猫たちはここだ。家まで連れて帰ってやりな」


 輸送隊は物資を奪われた旨を報告するため、騎兵中隊の一部と共に要塞へ戻った。


「ときに、閣下は何故にこのような場所に? 海軍の作戦でありますか?」


「おい、おい、俺のことを閣下などと呼んでくれるな。それに作戦なんてご大層なものでもない。ただ少し水の補給のために上陸しただけだ」


「水……で、ありますか?」


 首を傾げる騎兵たちに対し、ヘンリーは忌々しげに唸りながら髪をかきむしる。


「ああ。陸で生きるお前さんたちにゃあまり分からんだろうが、船ってのは水の一滴が血の一滴だ。日々飲めばそれだけ干上がる。で、適当なところで上陸して泉を見つけるなり島民から拝借するなり考えていたんだがな、行けども行けども見つかりゃしない」


「なるほど、そういうことでありましたか。では、小官らとご同行下されば、先日陥落せしめたバルトロメウ要塞で水の補給が出来るでしょう。要塞内には幾つも井戸が御座います」


「そうか、それは助かる。言っておくが俺は遠慮出来ん性格でな。枯れても文句言うなよ?」


「では、ご案内します」


 馬の蹄の音に耳を傾けながら、ヘンリーをはじめとした海の男たちは新緑の大地を歩く。

 肝心の私掠船団はどうしているかといえば、エスペシア島のすぐ近くに錨を下ろして待機しており、指揮はウィンドラスに全任していた。

 わざわざ船団長のヘンリーが上陸するまでもないと船長会議で意見が続出したのだが、自分の目と腕で事を成さねば気が済まない彼は、それらの意見を全て無視したのである。

 かくして上陸してみたのはいいものの、どこを見渡しても草原や香辛料畑ばかり。

 川も無ければ村も見当たらない。

 まがりなりにも敵地なので奥深く進むこともままならず、いっそのこと上陸地点を変更しようかと思っていた矢先に、逃げてきた輸送隊で出くわしたという。


「俺の運もまだ尽きちゃいないようだなぁ」


 船団にも事の次第を伝え、安全を考慮して陸軍の橋頭堡の近くへ投錨するように指示した。

 これならば船団と上陸組との連絡も容易くなろう。

 また、水を貰う礼として、船団が保有する弾薬の一部を陸軍に提供することとなった。

 火力か水かを選べと言われれば、誰しもが水を選ぶ。

 それが船乗りという生き物だ。

 船団から陸揚げした弾薬は船に積まれていた荷車に載せ、騎兵の軍馬に牽引させた。

 程なくしてバルトロメウ要塞の城壁を視界に捉えたヘンリーは、自身が陥落させたサン・フアン要塞の激戦を思い出す。あのときも多くの部下を失った。陸軍もそれなりの被害を出したに違いない。


「まあ、俺にゃ何の関係も無いがね」


 先程捜索に出ていた騎兵と共に輸送隊が戻っていたので、既に要塞ではヘンリーを出迎える準備が整っていた。

 ランヌは徹夜で捕虜の処遇について考えていたため騎兵隊を送り出してから昼寝をしていたのだが、輸送隊発見の報告と同時に、ヘンリー・レイディンが要塞に向かっているという言葉を聞いて飛び起きた。


「果報は寝て待てとはこのことじゃ!」


 すぐさま寝間着から軍服に着替え、兵士たちに歓迎の準備をさせた。

 突然のことで兵士たちも多少混乱したが、間もなく要塞を訪れるゲストの名を聞いて全員が驚き、慌てつつも支度をすませていく。

 城壁の見張りが要塞のすぐ近くまで歩いてくるヘンリーの姿を見つけ、兵士たちは門の内側に整列した。

 最前列には幕僚を伴ったランヌが将官用の肩マントと大綬の大礼装で着飾り、手を背中で組んで待ち構えていた。

 救国の英雄とやらに、精鋭第一軍団の武威を刮目させてやろう、という気合が溢れる。


 歴戦の老将の意気を前にして、門を通ったヘンリーも「ほぅ」と吐息を漏らした。

 肩章から相手が大将であることを察したヘンリーは、一応、先んじて挙手の礼を送る。

 正規ではないが戦時の今はヘンリーも軍属ということになっている為、階級が下の中将たるヘンリーが先に敬礼することは当然だった。

 ランヌも腰をしっかりと伸ばし、カッと軍靴の踵を合わせて返礼する。


「帝国私掠船団長、ヘンリー・レイディン海軍中将であります……と、軍での挨拶はこんな具合で良かったのかい? 大将さんよ」


「帝国陸軍第一軍団長、ヴィクトール・ランヌ大将じゃ。うむ、大きな声で良い挨拶じゃった」


 呵呵と笑うランヌはヘンリーと握手を交わす。

 陸軍演習場で彼を目撃した者以外の兵士たちは、あれが噂の灰色狼か、と生唾を飲み込んだ。

 ランヌに付き添って歩くヘンリーがふと兵士たちの群れに視線を向けると、小銃を捧げていたジョニーと目が合った。

 直後、彼は歩みを止めて、ジョニーの嫉妬心を孕んだ瞳を覗き込む。


「お前さん、確かいつぞやの演習で見た顔だな」


「はっ! ジョニー・ウェリントン陸軍少尉であります」


「若いな。幾つだ?」


「今年で二十一歳を迎えます」


「そうか。陸の息苦しさに嫌気が差したときは、俺の船に乗せてやってもいいぞ?」


「……遠慮させて頂きます」


 喉で笑うヘンリーに肩をニ、三度叩かれたジョニーは、その場に座り込みそうになったところを何とか踏み留まっていた。

 二人の姿が司令部の中へ消え、整列が解除された途端、ジョニーの息が一気に乱れる。

 心の奥を見透かされたようだ。

 まさか胸の内に秘めた想いに気づいただろうか。

 否、そんなはずはない。彼とて人間、決して悪魔ではないはずだ。

 額に滲み出す脂汗を拭ったジョニーは、乱れていた呼吸を整えて持ち場へ戻った。


 さて、司令部にてランヌと会見したヘンリーは、真水の補給要請と、返礼として王国軍に奪われた分の弾薬の提供を申し出た。

 ランヌにとっては大変有り難い話で、すぐさま井戸という井戸から水が汲み出されていく。


「弾薬の提供、誠に重畳じゃ。感謝に堪えぬ。されど敵に奪われたのは痛恨の極みじゃったのう。残念じゃ」


「敵さんも必死だからな。此処エスペシアを往来する連中の輸送船団は、俺たちが片っ端から妨害して回っている。今頃他所にいる敵さんは食うものにも困ってるだろうよ」


「……食料が尽きた軍隊は、次にどうすると思うかね?」


「そりゃ決まってる。あるところから奪うのさ。敵である俺たちからか、あるいは……俺なら後者を選ぶね。危険が無いし、反抗すりゃ銃で脅す。つまらん理屈を述べてくる奴には、国家の勝利の為に貢献しろ、さもなくば反逆罪で逮捕する、とでも言えば大抵黙る」


「然り。そうなっては欲しくないものであるが、敵の立場で見れば、やむを得ぬであろうな」


「どこの世界でもそうだが、食い物が無くなれば人間何でもする。逆に、飢えた腹に食い物を与えてくれる奴には従うもんだ。俺の経験談だがな」


 ランヌは一々尤もだと頷き、しかし、と前置きして尋ねる。


「もし王国軍が前者を選んだときはどうじゃ? 自国の民を苦しめることを躊躇うのもまた人間の心じゃ。ワシであれば、堂々と敵から頂くことを選ぶがの」


「クク、そりゃアンタみたく銃弾が届く位置で平然としていられる程に度胸のある奴ならそうするだろうさ。王国軍にそれほどのやつがいるかどうか、ってところだね」


「お褒めに預かり、光栄じゃのう。だがそれは貴官とて同じことじゃて。指揮官がわざわざ敵地に乗り込み、水を探し回るなど、少なくとも我国うちの貴族には出来ん真似じゃ」


「食い物も水も、あるのが当たり前と勘違いしてる連中だからな。だから女帝あいつが貴族のバカ息子どもに労働の義務を課したのは痛快だったね。ここに来る前にも海軍にいるボンボンに会ったんだが、生意気吐かすもんで頬っ面を引っ叩いてやった」


「でかした! もう一樽、いや二樽、追加しておこう」


 空の大樽に水が満載され、それらは輜重隊が使う大型の荷車に積み込まれていく。

 二十台の荷車への積載作業が完了した報せを受けたランヌは、なんとも名残惜しそうにヘンリーを送り出すこととなった。

 せめて一晩でも泊まっていって欲しいところだが、彼我共に与えられた任務があるため、強引に引き止めることはせず、門の前で別れの挨拶を交わした。


「武運を祈っておるぞ。これからどうするつもりなのじゃ?」


「そりゃ、海に出るさ。陸より海のほうがよほど居心地がいい。喰うか喰われるか、強いものだけが生き残る。実にわかりやすくて明快だ。俺は陸で死ぬより海で死ぬことを選ぶね。図太く楽しく短く生きてから、な」


「成る程、それが貴官の矜持かね?」


 するとヘンリーは鼻で笑った。


「冗談じゃねえよ。矜持なんざ犬にでもくれてやるさ。かっこつけて死ぬよりは血反吐吐きながらありったけ足掻いてやる。その末に死ぬなら、文句の言いようもあるまいよ。じゃ、俺はもう行くぜ? 水、ごちそうさん」


 と、頭に被った帽子を大きく振りながら、彼は水を運ぶ輸送隊と水夫らを引き連れて海へ戻っていった。

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