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矜持 ④

 敵の要塞で一夜を明かすというのは兵士たちにとって中々痛快な気分だったが、今も兵舎の中で治療を受けている敵兵の呻き声を聞くと、中々表立って喜ぶ気にもなれなかった。

 戦いの最中は生きるか死ぬかで無我夢中だが、こうして終わってみると、自らが握る銃と剣で傷つけ合い、苦しめているという意識が芽生えてしまう。

 軍医たちは身体にめり込んだ銃弾を取り除く手術をうんざりするほど行い、傷口には消毒用の酒をかけた上で包帯を巻いていく。


 しかし、傷が深い者は絶望的だった。

 砲撃によって手足を失った者はとくに悲惨だった。

 見るに堪えず、薬と称して毒を与えた軍医もいた。

 そこには帝国も王国も無い。

 故郷も民族も違えど同じ人間が等しく傷つき、死に向けて如何許かの気休めに安堵しているに過ぎなかった。

 身体は傷つかずとも心の傷は計り知れない。

 戦友の死に嘆くものはどれほどいたことか。

 しかし彼らは涙を流さない。

 悲しくとも笑う。

 生き残った者たちと共に。

 今日ありつける食事に感謝し、喉を潤す酒に酔い、肩を組んで歌う。

 捕虜たちにも十分な食事が与えられた。

 また兵士同士の交流もある程度は認められた。

 南方の言葉が分かるものは訛り混じりで会話し、言葉が分からない者は身振り手振りで意思を伝え合う。


 その交流の中でわかったのは、捕虜たちはほぼ全員が口をそろえて、故郷の村に戻りたいと訴えていた。

 彼らは元々が島の農夫だ。

 銃ではなく鍬を握りたい。

 人間ではなく大地を相手に戦いたい。

 もう兵士にはなりたくない。

 安寧で静かな生活が送れるならば、帝国だろうが王国だろうがどちらでもいい。

 それが彼らの偽らぬ本音だった。

 一方で、当然のことながら、安寧な生活を壊したのは他ならぬ帝国だと叫ぶ者もいた。


 帝国は侵略者であると。

 帝国は略奪者であると。


 その言葉に反論しようとする者はいない。

 帝国軍の兵士でさえ、この戦争が「胡椒の為の戦争」であることを知っていたのだから。


 報告を受けたランヌは、捕虜解放の命令書にサインを走らせる。

 もし解放した捕虜たちが王国軍に戻れば、こちらの兵力も陣容も全てが明らかになる。

 今後の軍事行動を考えればあまりにもリスクが大きすぎると警鐘を鳴らす参謀に、ランヌは溜息混じりに呟いた。


「なるほど、正論じゃ。では君の手で捕虜たちを全員始末したまえ。出来るかね? 出来ないだろう。ワシも御免被る。兵士たちが敵を殺せるのは、敵が敵であるからだ。銃を持っていない敵は敵ではない。ただの人間じゃよ。そして人間は無防備な人間を殺して平然としていられるものではない」


「では閣下、彼らが再び敵として現れたときは?」


「愚問を口にするもんじゃないよ。帝国軍参謀ともあろう者が」


「失礼致しました」


「彼らには三日分の食料を与え給え。後は自分たちで何とかするじゃろう。海岸の橋頭堡にも要塞攻略の報を伝え、補給物資の運搬を要請してくれ。ここにありったけの物資を集積する。無論、本国にもだ」


「了解致しました」


 解放の報せを受けた捕虜たちは互いに抱き合って喜び、三日分の食料を携えて、各々が産まれた村へ向けて一歩を踏み出していく。

 治療を受けていた負傷兵たちも、動けるようになり次第、解放することで決定した。

 参謀たちと同じ不安を抱く士官たちは訝しげに捕虜の背を見送り、逆に、彼らと交流した兵士たちは大きく手を振って送り出した。

 事と次第によっては銃剣なり銃弾なりで彼らを処刑する命令を受けることも、胸の内では覚悟していた。

 それが杞憂に終わったのだから、戦略のことに疎い兵士からすれば、純粋に良かったと言うことが出来る。


 捕虜たちが出ていった後、海岸線に築いた橋頭堡に向けて早馬が駆け出した。

 帝国本土から運ばれてくる物資の受取を担う重要地点なので、十分な装備と野戦陣地で防御を固めているため、ちょっとやそっとの攻撃では陥落しない造りになっていた。

 そこへ駆け込んだ伝令によってありったけの物資をバルトロメウ要塞へ輸送する命令が告げられると、早速にも輸送任務を主とする輜重隊が荷車を馬に牽引させて移動を開始した。

 食料、弾薬、衣料品や薬品などなど、どれも戦闘や生活に欠かせないものばかり。

 それだけに輸送は慎重を極め、輸送ルートを部隊ごとに十通りに分け、荷駄を囲む形で護衛の歩兵が随行していた。

 しかし……。


「おい、あの土煙は何だ?」


 南側のルートを進む輸送隊に随行していた歩兵の一人が、砂嵐のように巻き上がる土埃を見た。

 咄嗟に望遠鏡を取り出して覗き込むと、彼らは一気に青ざめる。


「王国軍だ!」


 軍旗を掲げた五十人ばかりの騎兵の集団が輸送隊目掛けて襲い掛かってきた。

 歩兵たちは応戦しようとするが展開が間に合わず、サーベルを振り上げる騎兵の突撃に蹴散らされ、逃走を図った輸送隊もすぐに追いつかれる。

 多勢に無勢、もはや已む無しと判断した輸送隊の隊長は荷車を捨てて駄馬に跨り、輸送隊の面々も散り散りに逃げ延びていく。

 王国軍は分捕った物資に目がくらんで彼らを追撃しなかった。

 貴重な物資を奪われ、しかも反撃すら出来ずに逃走する無念を噛みしめる輸送隊は、いつしか海岸線に出ていた。

 橋頭堡の陣地から更に南西の地点らしいが、詳しい位置は分からない。

 命からがら逃げ延びた彼らは、王国軍にまんまとしてやられた悔しさで地に額を打ち付けていた。

 その時である。


「おい、手前ら。こんなところで何を遊んでやがる? まあ俺も人のことは言えんがな」


「あ、あなたは……っ!」


 雨雲色の髪、そして左目を覆う眼帯……誰が見紛うことがあろうものか。

 そこには海上にいるはずのヘンリー・レイディンがパイプを口に咥え、惨めな姿を晒す輸送隊を見下ろしていたのである。



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