矜持 ③
要塞攻略戦が開始されたことを確認したケレルマンは、戦力集中の原則に基いて第一軍団主力と合流すべく、兵士たちに西の丘を降らせていく。
戦いから一夜明けて尚も興奮は収まらず、鼓笛隊の音色に合わせて歩を進めるジョニーもまた、昨日の野戦で敵を剣で突き殺した感触を生々しく記憶していた。
夢にまで出てきたほどだ。
おかげで目覚めは人生史上最悪。
体中が嫌な汗でべっとりと濡れ、さりとて身体を洗う間もなく朝を迎えるや、出撃の号令が下された。
朝食を作る間も無く、乾パンやら肉やらチーズやらを無理やり口に詰め込んで、士気高揚のためのワインで流し込む。
「少尉殿、自分は食後の紅茶が無いとやる気が出ないであります」
「白湯飲んで茶葉を食えば歩いているうちに腹の中で紅茶になるさ」
「それは名案でありますな!」
「腹を撃ってきた敵にたっぷりご馳走してやるといい」
「その前に茶請けの銃弾を喰らわせてやりますよ」
そして、今再び、血で血を洗う戦いの渦中へ飛び込もうとしている。
遠目に見れば、工兵隊が引っ掛けたロープに取り付いた歩兵たちが城壁を登っていた。
ジョニーたちの役割は野砲によって粉砕された城門から突入し、中央広場を占拠することにある。
故に、ジョニーたちの師団からも野砲による援護射撃を行いつつ、城壁の上にいる敵兵に向けて射撃を繰り返した。
抵抗は激しいとはいえない。
士気も低く、兵力も少ないのだから、広い城壁全てを守ることなど物理的に不可能だった。
城壁に帝国軍が侵入すると銃剣同士を突き合わせて火花を散らし、あるいはサーベルや剣を抜き払って肉弾戦が繰り広げられていく。
その間にも城門の前に至った砲によって、木製の門はいとも簡単に吹き飛んだ。
「今だ! 突入せよ!」
横隊から縦隊に陣形を変え、要塞内に次々と踏み込んでいく。
銃剣の群れが槍衾となって王国軍の兵士たちを屠り、濁流のように広場へ殺到した。
また、要塞防衛の要である砲塁も、懐へ飛び込まれては自慢の火力を発揮することは出来ず、間もなく帝国の軍旗が掲げられた。
先の野戦での負傷兵はもとより、王国軍の兵士たちは次々に武器を捨てて投降した。
あるいは徹底抗戦を叫ぶ上官を撃ち殺す部隊も出始め、城壁も砲塁も占拠されたことで、もはや要塞はその意味を失ったのである。
要塞司令ガルメンディア大将が篭もる兵舎も帝国軍によって包囲された。
攻略がほぼ完了したことを聞いたランヌは、幕僚たちを引き連れて粉砕された城門をくぐり、ガルメンディア大将らがいる兵舎に近づいていく。
狙撃の恐れがあると止める者もいたが、ランヌは意に介さなかった。
せめて、生きているうちに敵将の顔を見ておきたい。
一度だけでも直接言葉を交わしたい。
絶望的状況で尚も戦う道を選んだ者を知っておきたい。
そういう少年じみた好奇心を密かに胸に抱いたランヌは、無駄だと知りながらも、再度降伏を勧告した。
今度は文章ではなく、自分の声で、兵舎の中にいる者たちへ呼びかけた。
万が一に備えて銃を構えるジョニーも、小さくつぶやく。
「何やってるんだよ、さっさと降伏してくれよ……」
程なくして、一発の銃声が兵舎の中から響いた。
反射的に射撃命令を出そうとした士官を、ランヌが手で制する。
直後、白旗を携えた要塞の参謀たちが兵舎から出てきた。
「バルトロメウ要塞は、帝国軍に降伏する。どうか兵たちに寛大な処置を願いたい」
「降伏を受諾する。要塞司令官殿は、如何なされた?」
「……自決されました」
やはり、とランヌは口惜しげに俯く。
「死んで矜持が守れるか。生きてこそ矜持を守れるんじゃ……」
司令官代行の参謀長から降伏の印として軍刀を受け取ったランヌは、真っ先に敵味方を問わぬ負傷兵たちの治療を軍医らに命じ、自決したガルメンディア大将の遺体を兵舎から丁重に運び出した。
自らの手で喉を撃ち抜いていた。
帝国軍、王国軍将兵一同が敬礼する中、王国のしきたりに倣って荼毘に付され、ランヌの計らいで遺骨は本国の家族のもとへ返してやることになった。
さて、問題は捕虜を如何にするか、である。
降伏した者を処刑するわけにもいかず、かといってただでさえ貴重な物資を彼らのために浪費するわけにもいかない。
生き残った者たちは一先ず武装解除の上で兵舎の中へ収容し、ランヌは幕僚たちに意見を求めた。
解放すべきと進言する者もいれば、厳重な監視つきで帝国軍に協力させるべきと言う者もいた。
中々結論が出せぬまま時は過ぎ、その間、砲撃によって損傷した城壁や城門が、工兵隊の手によって修復されていく。
とはいえ本格的なものではなく、あくまでも要塞に残された資材を使った間に合わせに留まった。
「たく、砲兵の連中め。門を粉々にしてくれて、またそれを直せだと? 簡単に言ってくれるぜ、まったく……瓦礫の撤去だって楽じゃねえぞ。鼻クソほじるのと訳がちがうんだ。おい歩兵ども、暇なら手伝ってくれ! 鉄砲撃つ相手がいないならお前らは穀潰しの暇人連隊だ」
不満を漏らす者もいれば、逆に喜びで諸手を挙げる者もいる。
騎兵隊だ。
「中尉、我ら騎兵隊の心を癒やしてくれる御婦人は一体どれほどいらっしゃるのかね?」
「そうでやんすねえ、どう低く見積もっても三百頭以上。まっ、あっしらの本妻に比べりゃ随分と見劣りしますがね。大尉殿も浮気してると、後ろ足で蹴られますぜ? 人からも馬からも」
「何を言うか。じゃじゃ馬を乗りこなしてこそ騎兵の本分よ。特に尻のでかいやつをな」
「へへ、ちげえねえ。大飯ぐらいなところもそっくりだ」
生き残った兵士たちはそれぞれが幸運を噛み締めながら休むことなく仕事に励む。
敵の弾が当たらなかったのは単なる偶然、ただ運が良かった。
しかしその運の良さこそが彼らの言う強さだった。
兵士たちの雑踏の中で燃え盛る篝火はいつまでも消えることはなく、城壁に掲げられた帝国の旗を一晩中照らし出す。
敵と味方の血で染まった紅い旗を……。




