初陣 ⑤
上陸時の小競り合いを除けば、これが帝国と王国の最初の本格的な戦闘となる。
戦列歩兵同士の射撃戦を砲兵隊の後方から伺うケレルマンは、すぐに軍団司令部に伝令を走らせた。
【発、ケレルマン中将。宛、第一軍団長ランヌ大将。我、敵師団ト要塞西方地域ニテ交戦セリ。要塞戦力ハ手薄ナリ。攻略ヲ可ト認ム。早急ニ進軍サレタシ。以上】
伝令兵が馬に乗って戦場から離脱したのを見届けたケレルマンは、なるべく敵軍を要塞から引き離した上でこちらに釘付けにせねばならぬ陽動の目的を鑑み、味方戦列の中央部に後退命令を下した。
勿論敗走させるわけにもいかないので、抵抗を続けながら秩序正しく、ゆっくりと下がるように厳命し、命令を聞いた大隊長が麾下の戦列を後退させていく。
右翼側に展開していたジョニーたちは一体何事が起きたのかと驚いた。
中央が下がっているではないか。
まさか敵の戦列に撃ち負けたのか、と動揺が走る。
「少尉殿! 一体どうなっているのですか!」
年上の伍長が叫び、ジョニーは怒鳴り返す。
「これも作戦の内だ! 無駄口叩く前に撃て! 戦列を乱すな!」
とは言ってみたものの、ジョニー自身、今にも敵の弾が自分の胸を貫くのではないかという恐怖と戦うことで精一杯だった。
帝国軍が後退を始めたことは敵軍に優勢であると錯覚させ、勢いづかせた。
このまま一気に中央突破をして左右両翼を分断すれば帝国軍の士気は崩壊するに違いない。
王国軍は両翼の兵を中央に集中させて帝国軍の戦列を突破しようと前進を開始した。
あの精強な帝国軍に勝っている。
この高揚が王国軍の目を曇らせた。
自ら墓穴に向けて行進していることに誰も気づかず、要塞からも丘の上の戦闘の全容を確認出来ないために応援を出すべきかどうかも判断出来ない。
そして敵戦列が十分に中央部に食い込んだところで、ケレルマンから両翼の部隊へ命令が下された。
敵両翼を撃破し、中央部を包囲せよ、と。
砲兵隊の照準も中央ではなく手薄になった敵の両翼に定められ、ジョニーたちも眼前の戦列を撃破して敵を包囲すべく前進を開始する。
ここで王国軍は両翼の動きに気が付き、包囲殲滅を阻止するために軽騎兵連隊を投入する。
騎兵サーベルを振り上げながら連隊を二つに分けて帝国軍の両翼に襲いかかった。
「師団長閣下、敵騎兵が動き出しました!」
望遠鏡を覗く師団参謀が叫んだ。
「ではこちらも槍騎兵で対抗する。歩兵には方陣を組ませ給え」
待ってました、と歓声をあげるのは、上陸時にいざこざを起こした騎兵たちだった。
突撃ラッパの甲高い音色と共に、帝国の小旗を槍穂の根本に取り付けた細長い馬上槍を構え、島国の駄馬どもを蹴散らせと、猛然と土煙をあげて突撃を敢行する。
一方の歩兵隊は方陣への転換を命じる信号ラッパを聞き、三列横隊から四方に銃口を向ける正方形の方陣へ変貌していく。
対騎兵用の陣形である方陣によって密集した歩兵はしきりに敵の軽騎兵に向けて射撃し、近づけば銃剣を振りかざし、鋭利なものを嫌う馬たちは突撃を躊躇って衝撃力を失う。
その間にも帝国槍騎兵は大きく半円を描きながら、立ち往生する敵軽騎兵の脇腹に横槍を突き刺した。
サーベルでは槍騎兵に対抗出来ず、また方陣からの激しい射撃と銃剣の刺突によって騎兵隊は大混乱に陥り、多くの兵と軍馬が敗走していく。
騎兵隊の敗走は敵戦列にも衝撃を与え、着弾する砲弾の雨霰によって士気は崩壊。
両翼の帝国軍が中央に深く食い込んだ敵を包囲し、さらに包囲から落ち延びる者たちも騎兵の餌食となった。
歩兵たちは射撃から白兵戦に以降し、銃剣での格闘、士官はサーベルやロングソードを抜き払って敵の刃と火花を散らす。
ジョニーも敵兵を一人、その手に握った長剣で仕留めた。
戦いは当事者たちからすれば一瞬のことのように思えたが、実際には会敵してから既に数時間が経過していた。
極度の緊張感と戦場の高揚感が疲労を忘れさせ、文字通り、死に物狂いで敵を倒し、味方が倒される。
濃厚な硝煙と血の匂いで鼻が麻痺し、顔に浴びた敵の鮮血を己の流した血で拭う。
壮麗な軍服もすっかり汚れ、破れ、重ね合うように斃れた敵味方の赤と黄の軍服で辺りは天界の花園のようであった。
ケレルマンは十分に敵が敗走したところで攻撃中止の号令を出し、要塞に向かって逃げていく兵士たちの哀れな背を軍帽を振って見送る。
同時に、彼はこの丘の上に陣形を整えたまま待機させた。
気づけば背後に広がる西の地平に日が傾いており、ジョニーたちは生き残った者を確認するために各部隊毎に点呼を取る。
白薔薇擲弾兵連隊からも、およそ三十人ほどの戦死者を出していた。
されど、連隊旗は健在である。
ジョニーは連隊長に報告を終え、水筒の水で血に濡れた顔を洗う。
嫌悪感を覚える鉄臭さに辟易しながら改めて周囲の惨状に溜息を吐いた。
思い描いていた華々しさなど微塵もない。
あるのは血と鉄と死体だけだ。
「ふふっ、散々な初陣だな。負けるよりはマシだけど」
自然と自虐的な笑みが溢れ、次なる命令があるまで部下たちと固まって待機に勤しんだ。
王国軍はすっかりケレルマン師団を帝国の主力と思い込み、西の丘の動向を注視するあまり背後に迫りくる第一軍団の存在に気づかなかった……。




