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初陣 ①

 兵員輸送船の巨大な船倉内に腰を下ろすジョニー・ウェリントン陸軍少尉は、自身の命綱でもあるマスケット銃の整備に勤しんでいた。

 床には簡素な毛布の寝床が用意され、どこを見渡してみても、同じく戦地へ送られていく兵士や士官たちでごった返している。

 帝国陸軍第一軍団……総勢二万の兵力を誇る主力部隊。

 その中でも精鋭と謳われた「白薔薇擲弾兵連隊ホワイトローズ・グレナディアーズ」の一員であるジョニーは、この度少尉候補生から正式に少尉に昇進し、連隊の中でも陸軍大学校を卒業して間のない最年少の新米士官であった。

 本来ならば辺境の盗賊退治なりで武功を上げねば入隊は出来ぬが、陸大を首席で卒業したことで異例の配属となったのである。

 もっとも、ジョニー自身は、帝都にて宮殿と女帝を護衛する近衛師団を希望していたのだが、軍人の道を志した以上は華々しく戦場で功を立てたいと考えを改めた。

 マスケットの整備を終え、携帯用の砥石で近接戦闘用の銃剣バヨネット長剣ロングソードを磨き上げていく。


 歩兵はまだ良い。

 問題は陸軍の花形ともいわれた騎兵らである。

 何故なら師団長以上の上級士官用の馬はまだしも、彼らが跨るべき愛馬は、その殆どが内地に残されたのだから。

 つまり彼らの大半は騎兵でありながら馬を有さない。

 というのも、海軍側が軍馬の輸送を相当に渋ったのだ。

 ジョニーは内心、それはそうだろう、と納得していた。

 ただでさえ大飯ぐらいで大水飲みで、その上に神経質で何人も世話係を要するというのだから、何十頭、何百頭も輸送など万金を積まれても願い下げだろう。


 海軍の水兵からも聞いたのだが、この飲むに能わぬ地獄の水の世界において、喉を潤す真水は金銀宝石にも勝る価値がある。

 水の一滴は血の一滴。

 船から水が失われたとき、全員を待つ運命は等しく死のみである。

 故に飼葉も水も大量に消費する馬は連れて行けぬという理屈は、不満ながらも黙するよりほかにない。

 しかしながら、戦略上、また戦術上においても、機動力を発揮する騎兵の存在は必要不可欠なので、軍団首脳部には現地にてある程度訓練された軍馬の入手が第一の課題であった。


 逆に、ジョニーら歩兵にとって騎兵よりも有り難いのが、戦列の維持と突撃の援護を担ってくれる砲兵隊の存在だ。

 彼らが扱う野砲は少なくとも飯も水も消費しない。

 騎馬の輸送を見合わせる代わりに、砲兵達が扱う野砲や臼砲はありったけの数が現地へ運ばれることが確約されていた。

 海軍としても、いざ敵襲となれば野砲を甲板に引っ張り上げて敵艦に撃つことも出来る。

 また、作戦を円滑に、より確実に遂行するために道なき道を切り開き、流れに橋かける工兵の存在も忘れてはならない。

 地味ではあるが、彼らの土木技術があればこそ、巨大な砲の移動も可能になるのだ。


 さて、総勢二万といってもその全てが戦闘員というわけでもない。

 食事の用意をする司厨兵、怪我の治療をする衛生兵、食料や物資を運ぶ輜重しちょう兵、あらゆる武器の修理点検を行う整備兵、士気高揚と娯楽を担う軍楽兵、あるいは裁縫などで兵員の生活を支える経理兵などなど、一口に軍団といっても戦闘員よりもむしろこういった後方で諸事万端を整えてくれる者たちのほうが数が多いのだ。

 よって実際の戦闘力としてはジョニーが所属する擲弾兵連隊を含めて、多くともおよそ五千。

 勿論後方部隊にも戦闘訓練は一通り仕込んであるので、予備兵力として含めればそれなりの数にはなるが、敵の精鋭を前にして持ちこたえられるかといえば疑問は残る。


 だからこそ、万全の状態で最善の作戦の下、最良の結果を出さねばならない。

 それがジョニーたち精鋭部隊に課せられた責任であった。

 長剣の刃に自身の顔が映るほど綺麗に磨き上げた後に鞘へ納めていると、すぐ隣で同じく武器の手入れをしていた先輩曹長が肩を寄せてきた。

 新米のジョニーと違って、三等兵として陸軍に志願してからこのかた国内の方々で歩兵として戦場の風を浴びてきた歴戦の古強者である。

 階級の上下こそあれど、ジョニーはこの熟練曹長に頭が上がらなかった。


「よぉ、少尉殿。初陣の緊張感でふぐりが縮んでおりませんかな?」


「曹長は流石に慣れているように見える。しかし訓練は十分に重ねてきた。あとは確実に任務を達成していくだけだよ」


「ははは、内地での訓練など自分から言わせて貰えればガキの飯事ままごと。実戦の恐ろしさはあれの百倍と思っておいたほうがよろしい。手が震えて喉が枯れ、思うように号令を出せぬとあっては困りますからな。ましてや小便で綺麗な軍服を汚されては大変だ」


「……善処するよ」


 完全に子供扱いなことにジョニーはほぞを噛む。

 見ていろ。

 間もなく立つことになる戦場では、必ず敵の首級を銃剣の穂先に掲げてみせると意気込み、ジョニーは新鮮な酸素を求めて甲板へ出た。


 まったく船倉の匂いときたらたまらない。

 老若の区別なく集められた兵士たちの汗やら何やらが、ほぼ密封された船倉の中に日を追う毎に充満していくのだ。

 その分、甲板へ出たときの潮風はジョニーの気分を爽やかにし、迫り来る波におっかなびっくりしながらも足を踏ん張って揺れに耐える。

 後方を伺えば、自分たち以外の部隊を乗せた輸送船が三十隻以上続いていた。

 壮観たる船のパレードだ。輸送船の周囲は海軍の軍艦が囲って護衛にあたり、この広大な海が船で埋め尽くされて狭く思えるほどだった。

 武者震いがする。

 ジョニーの脳内では、銃口を並べた歩兵の一斉射撃によって敵が壊乱し、白旗を掲げ、女帝から褒賞を授かる夢想を描いていた。


 そう、あの可憐な金髪蒼眼の主君に。


 開戦前、陸軍の演習場を視察し、知らぬこととはいえ共に同じ釜の飯を食べたことは、ジョニーの人生の中でも今のところ最大の出来事であった。

 雲の上の存在と思っていた女帝も、その実は少女の其れだと彼はまざまざと思い知った。

 故に彼女に対する思慕が芽吹く。

 未だ彼はその自覚は無いものの、確かに彼の中で、ルーネに対する忠節とは違う特別な気持ちが存在したのである。

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