貴賤 ④
貴族は慎ましきを尊ぶべし、という女帝の意に真っ向から違反した艦長室に、ヘンリーもウィンドラスも閉口した。
そこは恐らく彼が住まう屋敷と同じ環境にしたかったのか、壁には高価な絵画が掛けられ、また机には波の揺れで滑らぬように工夫された陶器や彫像の類がところ狭しと飾られており、本棚にも小難しい法律や兵法書といったものよりも、詩集やら貴族の間で流行りの読み物が並べられていたのだから。
逆に、軍人として備えておくべき武器弾薬の類はほとんど見受けられない。
「こりゃ砲弾よりもワインの方が多いだろうな」
「船長……お静かに」
肘で小突いてくるヘンリーに耳打ちをし、それぞれの席についた。
階級が最も高いヘンリーが上座に腰を下ろし、その右隣にオイゲンが、左にウィンドラス、下座はエーリッヒ海尉といった具合だった。
食前酒のワインがグラスに注がれ、それぞれ掲げる。
「帝国万歳! 女帝陛下万歳!」
音頭は艦長のオイゲンに譲り、乾いた喉を潤す。
「閣下は、肉と魚ではどちらがお好みですかな?」
「肉だ。焼き加減はブルーが好みだな。血の滴るような奴だ。もっとも船に積み込む干し肉や燻製肉ではとても味わえんが」
尋ねてくるオイゲンにヘンリーが即答すると、彼は少し勝ち誇ったような笑みで給仕の兵に料理の指示を下した。
間もなく前菜のサラダから始まる料理が運ばれ、主菜として希望した通りの焼き加減で調理された羊肉ステーキが供された。
付け合せに、煮込んだ豆やコーン、蒸したジャガイモが添えられている。
「如何でしょうか? 閣下にもご満足頂けるものと思いますが」
「ほう、こいつはたまげたな。男爵殿はよい趣味をしていらっしゃる。生きた羊を載せているのか?」
「非常食ではありますがね。羊乳やら毛皮やら、何かと役立っておりますよ。ささ、どうぞ」
銀のナイフとフォークを手に取って、音一つ立てずに器用な食事を取るオイゲンたちを意に介することもなく、ヘンリーただ一人が、豪快に肉にフォークを突き立てて丸々一枚持ち上げ、食らいついていた。
しかも一枚だけでは物足りないと給仕兵に更に焼いてくるように言いつけ、付け合せの蒸し芋などは手づかみで齧っていた。
「野蛮人め……」
何やら自分がせっかく用意してやった食卓を汚されたようで、オイゲンはナプキンで口元を拭くふりをして聞こえないようにつぶやく。
「ところで――」
結局三枚もの生焼け肉を平らげたヘンリーが、食後のコーヒーの香りを楽しんでいたオイゲンやエーリッヒに尋ねる。
「ローズ・ドゥムノニアの艦隊は今どうしている? 生憎とアレより先に海へ出たもので、全体の動きを把握しきれておらんのだ」
急に真面目な話をし始めたので二人共面食らったのか、少しばかり言語能力を失ってしまう。
が、いち早く我に返ったエーリッヒが艦長に代わって答えを述べていく。
白色艦隊が先遣師団を上陸させ、今また主力の第一軍輸送の任務にあたっていることを。
そして、このウィンチェスター号もまた、ローズ率いる白色艦隊の所属として艦隊への逆襲に備え、近辺の哨戒に当たっていることも彼に伝えた。
軍機もあるのでオイゲンは手でエーリッヒの口を制し、他人の事情を聞いておいて自分は語らぬのはフェアではないと、ヘンリーにも今後の予定を遠回しに問いただした。
コーヒーを飲み終えたヘンリーが両手を挙げ、肩をすくめてみせる。
「なあに、卑しい海賊の仕事なんざ美麗な男爵様のお耳汚しになることでしょうよ」
「むぅ……嫌味をおっしゃいますな。先程の件はお詫びしたではないですか」
「いや、あながち嫌味ということもない。言葉の通りさ。善良な敵の船を無差別に、男も女も皆殺し、積荷は奪うか燃やすか海の底、俺たちゃ飢えた狼で、水面を染めろ、血の色に。てなもんだ。なあ、ウィンドラス君よ」
「ええ。船長に詩心がないことはハッキリと伝わったことでしょう」
手厳しい評価にヘンリーが憮然としない顔を浮かべている間にも、ウィンドラスの口からより詳細な情報が伝えられた。
エスペシア島方面軍支援のため、敵の補給船団を撃滅すること。
また場合によっては主力艦隊と合流し、敵の艦隊を撃滅することがあれば帝国軍の一翼を担うことになるだろう。
「なるほど、遊撃隊というわけですか」
得心したエーリッヒが大きく頷く。
「まあ、そんなところだ。俺は敵から積荷を奪えればそれでいい。おう、男爵さまよ、俺のことを野蛮と思うか? 卑劣と思うか? 誇りある帝国の旗を汚していると思っているか?」
オイゲンは無言で口を固く結ぶ。
其れが肯定を示していることは明らかで、しかしヘンリーは呵呵と笑う。
「いいか、後学のために教えてやる。光あるところに陰は付き物だ。お前さんたちが光だとすりゃ俺達は陰だ。陰がなけりゃ光も輝けん。そして世は弱肉強食が絶対の掟。お前さんは俺たちのことを賊と蔑むだろうが、なんのことはない、以前にも女帝に言ったことだが、今こうして他国の土地や財を奪おうとする国そのものが巨大な武装強盗団なのさ」
「暴論だ!」
たまらず、オイゲンは机を叩いて立ち上がる。
「我々には崇高な大義がある! 敵国を下し、帝国の御旗を靡かせ、虐げられた民を解放するための聖戦だ! 決して強盗団などではない! 撤回して頂こう!」
「ご大層な建前だが、他ならぬ女帝自身が言っているではないか。これは胡椒の為の戦争なのだと。民の解放? そんなものは兵どもを納得させ、敵を殺して痛む良心を忘れさせるだけの適当な理由付けに過ぎんよ」
「うっ……」
オイゲンは反論の言葉に詰まり、項垂れる。
「第一、いつ連中が俺たちにそうしてくださいと頼んだ? 仮に頼んだとしても、それを頼んだ連中は自分の生まれ育った家を他人に売り飛ばすような輩だ。そして俺達の君主さまは、そういう輩を一番嫌う。卑劣、不義不忠とはこういう連中のことさ。少なくとも俺のことじゃない。今まで自分の芯を曲げたことなどないからな」
言葉を一旦区切り、パイプを咥えて火を灯す。
柔らかな紫煙がゆらゆらと伸びて、狼狽するオイゲンの頬を甘ったるくなで上げた。
もはや彼の舌は動かない。
「お前さんも、いずれ家を継いだ時にゃこういう汚いところを目の当たりにすることだろう。いや今も見えているはずだ。見ようとしていない、見てみぬフリをしているだけだ。小奇麗な部屋の中に篭って、埃やネズミと枕を並べて眠る手下のことをたまには思い出してやれ。でないといつか、お前さんを誰かに売り飛ばす連中が必ず出てくるぞ? この海の上じゃ、貴賤の差など関係無いのだ」
かつて皇女を見習いとしてこき使っていた男の言葉は流石に説得力があり、同時に、常々女帝から発せられた、貴族は慎ましくあるべし、との言葉の意味を噛みしめる。
このオイゲンは公爵家の跡取りとしての自負が見栄を張らせていたが、決して理を疎かにしているわけではなく、今の今まで蔑んでいた男に対して素直に目から鱗を落とす心境に変貌を遂げていた。




