晩餐 ④
早朝。
グレイ・フェンリル号の料理長ハリヤードが、港に立てこもる水夫や一部のレジスタンスのために食事を用意し、配布していた。
出来ることならば陸の店で立派な台所でしっかりと作ってやりたいが、まだ街の治安が回復したわけではない。
よって扱い慣れた船の台所で人数分の食事を作り上げ、今では銃取る解放戦士となった商人の腹を満たしていく。
いや、一介の料理人としては、どのような身分も関係なく、人間の空腹という苦しみを癒やすことが出来れば、ハリヤードにとって最高の幸せであった。
真心を込めた料理の味わいは深く、温かく、昨夜の戦いで荒んだ彼らの心をほぐしていく。
「いやあ、美味えなあ。コックさん、あんたいっそ此処で食堂でも出さないかい? そしたら、仕事の合間に毎日食いに通うんだがねえ」
「はっはっは、有り難い話だが、ただでさえ無茶をやる船長と船だ。栄養管理は私の重大な任務でね。暫くは陸に戻るつもりはないんだよ。それより、おかわりはどうかね? 帝国名物の羊肉シチューは絶品だろう?」
「ああ、ボリューム満点の割に薄味で朝飯にピッタリだな。ワインが欲しくなる。うちの家内にも作らせたいね。朝の寒い海風に冷えた体には、本当に有り難い」
「仕事も戦いも、まずは体力だからね。うちの連中も大飯食らいばかりで、困るよ」
呵呵と朗らかに談笑する彼らの不意をつくように、突如として銃声がこだました。
「敵襲ーっ!」
誰かが叫び、襲撃を知らせる喇叭が鳴り響く。
一斉に戦闘態勢に入り、防壁の銃丸からマスケットの銃口を港の入口に向け、また船でも砲列甲板で眠っていた黒豹が飛び起きて砲門を解放していく。
同時に船長室へ繋がる伝声管に向かって叫ぶ。
「ヘンリー! 祭り再開だよ!」
「撃ち方まて。確認する」
船長室から甲板へ出たヘンリーは、望遠鏡を覗いて戦況を伺う。
やはり襲撃の人数は多くはなかった。
射撃自体も何処を狙っているのやら、といった具合で、この防御線を突破する気概も感じられない。
よほど士気が低いのだろう。
あるいは前払いの給料がよほど少なかったのか、ともかくも金で動く傭兵ならば銃弾よりも効果的な武器がある。
ヘンリーは密かに最前線の防壁まで移動すると、懐からずしりと重たい麻袋を取り出して、傭兵らの最中へ放り投げた。
宙を舞う麻袋は途中で口紐が解け、彼らの頭上に黄金に輝く貨幣が降り注ぐ。はじめは一体何が起きたのか理解出来なかった彼らも、間もなくそれが紛うことなき金貨であることに気がつくと、戦うことも忘れて歓声を上げて地面に散らばるそれらを拾い集めていく。
ヘンリーは機を見て彼らに近づいていき、必死に地面に這いつくばる彼らを面白そうに眺めながら口を開いた。
「お前ら、一体連中から幾ら貰ったのか知らんが、そんな安い給料で命張るほど阿呆でも無かろう? どうだ、俺と組まんか? そうすりゃこんな金貨どころか、連中が蓄えた富を十二分に分け与えてやるぞ? 孫の代まで遊んで暮らせるだけの金だ。俺の首を取ったところで、懸賞金が一体誰の手に収まるか、考えてもみろ。どっちが得か、言うまでもあるまい?」
すると、彼らの中でも最年長らしき老練な男が立ち上がる。
「灰色狼よ、俺たちがこうして地に伏して金を拾い集める姿を、嗤ってはいないか? 俺達は金の為に命を張る。どんな汚い仕事でも、金の為なら黙ってやる。それは、金こそが俺たちの命だからだ。命のために働く。命を拾うために恥を捨てる。それをお前は嗤うか?」
ヘンリーは無言で首を振り、自身もまた身を屈めて金貨を拾う。
「俺も同じさ。この一枚のため、善良な船乗りを殺し、奪い、海に沈めてきた。あんたらのほうがまだマシだろう。少なくとも、賊と蔑まれることはあるまい。だが俺はこの生き方を好いているし、これ以外の生き方も知らん。人生は短く、図太く、楽しく。それがモットーだ。お前さんたちも、同じじゃないのかい?」
さりげなく差し出された手を、彼は暫し見つめ、問う。
「俺達を雇うというのだな? 既に雇われている俺たちを」
「ああ。たった今、俺がくれてやった金を受け取ったからな。金の切れ目が縁の切れ目というやつよ。裏切り? 結構なことじゃねえか。生き残った方が賢者であり勝者だ」
「……いいだろう」
傭兵の扱いは、いつぞやの要塞攻略の時に経験済みであったので、思いの外つまずくこともなく握手を交わすに至った。
警戒するレジスタンスたちを宥め、戦闘態勢を解除し、傭兵たちにも食事を与えながら早速にも最初の指令を伝えていく。
ごく単純ながら難易度が高い任務に、彼らは驚きながらも、既に前金を受け取ったので否と言うものは一人もいなかった。
任務を完遂させるため、ヘンリーは自身の帽子と名が彫られた懐中時計を彼らに預ける。
「では、早速にも」
「おう。成功を祈るぞ。後でいいものを見せてやる」
「は、はぁ……」
「それと、俺の帽子と時計、無くすなよ?」
そう言って彼らを見送った後、ヘンリーもまた計画の準備に勤しんだ。
さて、寝返った傭兵たちは足早に港を後にして旧雇い主であるグリースの宝石会社へ戻り、入り口を守る私兵にヘンリーを討ち取った旨を報告した。
私兵は大慌てで主人のもとへ駆け、直ちに社長室へ上がってくるように指示が下った。
緊張感に包まれた傭兵たちが社長室に入ると、グリースは少し前の狂乱ぶりから落ち着いたのか、深々と椅子に座り込んで一同を迎えた。
落ち着いたといっても、早く兄の仇の首を見たいと興奮し、しきりに両手で膝を叩いている。
「ご、ご苦労だった! あのヘンリー・レイディンを殺したそうだな! 本当に兄ちゃんの仇を始末出来たのだな!?」
「はい。こちらが証拠です」
机の上にヘンリーの帽子と時計を置く。
「かの灰色狼の遺品です。部屋の飾りにでも使って頂きたく持ち帰りました」
「そ、そうか! 気が利くではないか! で、で、やつの首を見たい! やはく首を見せろ!」
「いいですとも。こちらです」
肉の塩漬けに使う小樽を取り出して机に置き、グリースがすぐさま手を伸ばして樽の蓋に指をかけた瞬間、その頭に銃口が突きつけられた。
「へ……?」
「動くな。騒ぐんじゃないぞ? 大人しくしていれば撃たずにおいてやる」
「お、お前たち……まさか……?」
「忠誠に満たぬ金額にしたことを恨むことだな。元より貴様の如き野豚と、かの狼王とでは、器が違ったのだ」
このときグリースの心を襲ったのは計り知れぬ敗北感だった。
思えば今までの人生は兄の偉業の背に従って歩み、逆らう者がいなくなってからは組織の力を背景に好き勝手に生きてきた。
何の努力をして得た地位でもない。
尊敬する兄が勝てなかった相手に、何故自分が勝とうとしたのか。
銃口を突きつけられて心が冷めきったとき、はじめてグリースは自分の身の程を思い知った。
しかし、だからこそ、グリースは今まで兄に対して抱いてきたコンプレックスを燃えたぎらせる。
兄を超えることが出来るのは、今このときしかないと。
「……わかった、従う」
グリースは傭兵たちが拍子抜けするほどあっさりと彼らの銃口に屈したように見せた。
背に銃を押し付けられた状態で、私兵たちに手出しをしないように命じたグリースと傭兵団はヘンリーが待つ港へ向けて歩みをすすめる。
彼らの目に映ったのは、燃えたぎる大火とその上で熱せられる大鍋だった。
鍋の中では芋やら香草、また種々の香辛料が入ったスープが煮え、まるで夕飯の支度をしているような呑気さで、ハリヤードが身の丈ほどもある木べらで鍋を混ぜている。
ヘンリーは到着した一同を、両手を広げて歓迎した。
「ご苦労、傭兵諸君。そしてようこそ、三兄弟の末弟グリース殿。数日ぶりかな? カジノで会って以来だろう?」
「……ヘンリー・レイディン。次兄セルドの仇、討たせて貰うぞぉ!」
グリースは突然巨体を翻すと背に銃を突きつけていた傭兵の腕を掴みあげ、縦横無尽に振り回して周囲の者たちを怯ませた隙に、地響きを立てながらヘンリーを押し潰そうと突進する。
大木のような腕が振り上げられ、ついにその隻眼の冷笑を掴み上げ、地面に叩きつけようとした正にその土壇場で、一発の銃声が響いた。
あと一歩のところで足を撃ち抜かれ、地に倒れるグリース。
硝煙の匂いがあたりに漂い、ヘンリーは手に握る愛銃から立ち昇る煙を一息に消し飛ばす。
「い、痛いよぉ……ちくしょう、ちくしょうっ!」
銃で撃たれたのも初体験であったのだろう。
グリースは足の痛みに涙を流し、悔しさ余って何度も地面を殴りつける。
哀れとも思える童子のような巨漢を見下すヘンリーは、決して同情することはなく、むしろ嘲笑した。
「ハッ、畜生に畜生と呼ばれる覚えはねえよ。おい、こいつを縛り上げろ」
グリースは手足を荒縄で拘束され、口には舌を噛んで自害せぬように布を巻きつけられた。
文字通り手も足も出せず、口さえ封じられたグリースは、ただ彼の言葉を聞く以外に無い。
「さて、三男坊よ。人のことは言えんが、お前さんも随分と兄貴らと一緒に悪どいことをしてきたらしいじゃねえか。ここにいる連中はお前さんを八つ裂きにしても飽き足らんそうだが、まあここは一つ、晩飯でも楽しもうじゃあないか」
と、ヘンリーは煮えたぎる大鍋を指差す。
「そうさなあ、晩餐会の主題はこんな感じでどうだ? 『突撃! お前が晩御飯』てな」
この一言で彼が何をしようとしているのか全員が理解し、腰を抜かす者、叫び声をあげる者、見ていられないと逃げ出す者が続出した。
鍋を混ぜるハリヤードは、また船長の悪癖が出たか、と呆れて船に戻っていく。
だが、誰よりも恐れおののくのは、他ならぬグリースに他ならなかった。
もう逃げられないと悟る彼は、しきりに声にならぬ声で『ひと思いに撃ち殺してくれ!』と叫ぶ。
「あ~ん? 悪いな、豚の鳴き声はさっぱり理解出来んのだ。さて、豚肉は生ほどおっかない物はない。しっかり芯まで煮込んでやらんと、な」
襟を掴んだヘンリーは海で鍛え上げた恐るべき膂力でグリースの巨体を引きずり、叫び続ける彼を荷役用の小型のクレーンで釣り上げて、煮えたぎる鍋の真上へ吊るす。
「美味しくなれよ~。無駄にはせんからな~」
そしてグリースを吊るしていた綱がカットラスの刃で切断され、その巨体は鍋の中へ落ちた。
あまりの熱さと苦痛で身をよじるが、ヘンリーはすぐさま蓋を閉じてしっかりと鎖で開かぬように固定し、暫くは不気味に左右へ揺れていた鍋も、間もなく静けさを保つようになった。
「思ったよりも呆気なかったな。ま、奴への土産は出来た。楽しみに待ってろよ? 最期の晩餐のときを……」
次男、三男を片付けた今、残るは長男のみ。
ヘンリーの脳内には、世にもおぞましき光景がありありと浮かんでいた。




