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報告 ④

 東の果てから朝日が昇りつつある頃、宮殿の大浴場にて湯浴みに勤しむ人物が一人。

 しなやかな四肢を少し熱めの湯に浸して公務の疲れを洗い流すルーネは、深く長い溜息を吐いて、本日の予定を頭の中で整理していた。

 民の中には君主が宮殿の中で贅沢で気楽な生活をしていると考えている者も多かろうが、実際には、君主ほど多忙な仕事も無いだろう。


 自慢の金髪を使用人のメリッサに洗わせ、浴場から出ると、白いバスローブを纏い、私室に戻ってささやかな朝食を味わう。

 膨大な仕事をこなす女帝の為、宮中の料理人は常に健康的な食事を心がけ、同時に彼女からの要望にも応えなければならない。

 戦時中故に極力質素な食事を望む彼女の意に沿うべく、本日の朝食は、麦のオートミールにサラダとベーコンエッグ、アプリコット・ジャムで味付けをしたヨーグルトといった具合。

 ルーネはそれらを一瞥してすぐに木製スプーンを取り、手早く食事をしながら、早速内務省から奏上されてきた書類に目を通していく。

 メリッサは温かいアッサムティーをカップに注ぎながら、彼女の身を案ずる。


「陛下、せめてお食事の時間はお仕事をお休み下さいまし」


「ありがとう。その心遣いだけでも嬉しいわ。メリッサ、あなたのお給料は今いくら?」


 唐突な質問にメリッサは戸惑いつつも、指を折って月々の俸給を思い出す。


「ええと、月給で金貨2枚を頂いております」


「そう……羨ましいわね」


「え? 何故ですか?」


 キョトンとするメリッサに、ルーネは自嘲めいた笑みを浮かべた。


「だって、私は寝床と食事以外は、お給料なんて貰ったことがないもの。国家への無給の奉仕といったところかしらね。だから休んでいる暇なんてないの。日々の食事の為にも、ね」


 まるで市井の人々のような物言いをする女帝に、メリッサは何と返事をすべきか迷う。

 しかし、彼女が例の船に見習いとして乗っていたことはメリッサも熟知しているので、彼女が労働と報酬について弁えていることは、一人の労働者として頼もしく思えた。


 そうこうしているうちに食事を平らげ、優先度の高い書類を片付けた後、それらを宮中に待機している内務省の官吏に届けるようメリッサに託した。

 まだまだ机に積み上げられた書類の山脈を整地するには至らない。

 一生付き合っていかなければならないのだろう。

 父も、その父も、そのまた父も、等しく辿ってきた道だ。

 今更泣き言を言うわけにもいかない。

 ルーネは時を見計らって、外務大臣ヴァルター・ローゼン子爵を呼んだ。


「大臣、そろそろ時間かしら?」


「左様で御座います。既に来賓ゲストの方々がお待ちで御座います」


「そう。けいに何か考えは?」


「もう十分ほど、遅れて謁見なさるが宜しゅう御座いましょう。どちらの立場が上か知らしめる必要があるものと考えます」


「そうね。いずれ私の臣下となる者たちなのだから。その案でいきましょう。紅茶でもお出しして待って頂きなさい」


 それから十分の後、ルーネは普段着のドレスから王冠を含めた正装で着飾り、顔から人間の温もりを脱いだ。

 相対した人間に言い知れぬ不気味さと恐れを抱かせる冷たい双眸そうぼう、人形のように無表情で無機質な面。

 聞くところによると、南方王国では女帝のことを【冷血の処女おとめ】と呼んでいるという。


 ならばその名に見合った仮面を被るまでのこと。


 さて、件の三名の来賓者ゲストたちは謁見の間にて紅茶を供されていたが、その入れ墨が彫り込まれた浅黒い顔は蒼白であった。

 白いカップに注がれた紅茶は身体の芯から凍えるほどに冷たく、そして首から流れ出す鮮血のような赤であったからだ。

 味や香りは間違いなく紅茶の其れだが、女帝の異名と相まって、彼らには味も香りも愉しむ余地は無い。


 何よりも南方王国に属する三島の酋長達かれらにとって、此処は他ならぬ『敵地』なのだから。


 身の毛もよだつ想いの中、彼らの目の前に女帝ルーネフェルトが姿を現した。

 白粉による純白の顔、人形のような表情、そして真紅の口紅と、見るものによってはこの世の存在ではない人物と錯覚するに足り得た。

 迷信深い者にすれば吸血鬼の存在の証明と言いかねない。

 ルーネはすぐさま起立の礼を取った酋長達を見渡した後、玉座へ腰を下ろした。


「女帝ルーネフェルト・ブレトワルダである。遠路大儀であった」


「ははーっ! 麗しき御尊顔を拝し奉り、恐悦至極で御座います」


 三島のうち、帝国の戦争目的である香辛料生産地エスペシアの領主が代表して頭を深く垂れた。

 ケレルマン率いる師団が上陸し、間もなく主力の第一軍が戦端を開く激戦地の領主が何故にここにいるのか。

 それは女帝と外交部が画策した。

 ルーネはさながら虫けらでも見下すような視線を送りつける。

 彼らは南方王国からすれば、八つ裂きにしても飽き足らぬ『売国奴』に他ならない。

 自国の主君から統治を任された土地を、自身の保身のために差し出そうと言うのだ。

 そう持ちかけたのは帝国側だが、それでもルーネは彼らの矮小さに侮蔑の念を抱かずにはいられなかった。


けいらは殊勝にも我が帝国への助力を願い出ておると聞く。なれど卿らは南方王国の君主より、土地と民を託された身ではないか。何故に祖国に別れを告げようとするか?」


「畏れながら陛下に申し上げます。我が君主カスティエル・アラゴン三世は、衛星国たる八島の自治を認めておきながら、多額の税を要求するばかりか、奴隷貿易のために若い者を商人に引き取らせ、また特産の香辛料の利益も独占し、金山銀山から採掘される財宝もまた自身の金庫に蓄えるばかり。我々島の者共には何の恩恵も御座いませぬ。異議を唱えれば、武力を背景に屈服せざるを得ず……口惜しゅう御座います」


 嗚咽の真似事をする三人の酋長に心底から呆れ果てた。

 要するに旨味が欲しいだけではないか。

 保身だけでなく利権までも寄越せと言っているに等しい。

 反吐が出そうになるのを堪えながら、これも国益のため、戦争勝利のためと思って納得したように頷いてみせる。


「成る程。卿らの申し分、朕も尤もであると思う。しかし聞くところによれば、エスペシア島に上陸した我軍と現地軍との間で小競り合いが起きたと聞く。よもや帝国をたばかる所存ではあるまいな?」


「滅相も御座いませぬ! そも、国土の防衛は全て本国の王宮内で決定され、我々には何の権限も与えられてはおりませぬ。もし我らに軍の指揮権があれば、どうして陛下に弓引くことがありましょうや。なれど、陛下をお慕い申し上げる島民らは、喜んで帝国軍をお迎えすることでしょう」


 ルーネは暫し考え込む素振りをし、やがて脇に控えるローゼン外務大臣に手を振って合図を送る。すると彼は一礼した後に携えていた書状を広げ、読み上げる。


「南方王国を征伐したる後、臣従の意を明らかにしたる汝ら酋長には所領安堵の上、伯爵位の授与を以て其の自治権を保証せしむ。帝国へ未来永劫の忠勤に励むべし。御名御璽」


「ははーっ! ありがたき幸せに存じ上げ奉りまする!」


 所領安堵の証書を酋長たちが受け取ったことを見届けたルーネは、少し鬱陶しげに締める。


「朕は、卿らの忠節に期待するところ大である。下がるがよい」


 三名の酋長が恭しく退出すると、ルーネは酷く疲れたように玉座の肘掛けにもたれかかる。


「……忌々しい連中だわ。朝敵、逆賊の汚名を何とも思わないなんてね」


「所詮は南方の蛮族でございましょう。陛下のカラクリが見抜かれることも御座いますまい」


「でしょうね。今頃彼らは証書を大事に抱えて喜び踊っていることでしょう。愚かな者たちだこと。所領安堵、自治権保証。確かに約束したわ。南方王国との戦後……十年か、百年か、それとも千年か……ふふふ。王国内部が分裂していく様は見ものでしょうね」


「既に南方王国本島にも間者を遣わしております。上手く事が運べば、陛下の御意のままに」


「紙切れ一枚でおめでたいことね。卿もご苦労様。下がって休みなさい。中立国ノイトラールに対する書類には、今日中にサインをしておくから」


「はっ、有難うございます……」


 ルーネはすぐさまローゼン大臣の含むところを悟る。


「何か言いたげね? 怒っているのかしら? 私が秘密親書を送ったことに」


「いえ……ただ、些か落胆しておりまして。大臣の大任を承りながら、陛下の信頼薄き身なのかと」


「アーデルベルトの爺やも同じようなことを言っていたわ。別にあなた達のことを信頼していないわけでも、彼のことを贔屓にしているわけでもない。ただ役割が違うだけ。彼を国の汚点という者もいるけれど、光あるところに陰があるように、輝かしい栄光の裏には汚れ役を引き受けてくれる人もいる。それを忘れてはならないの。もういいわ。下がりなさい。私も疲れた」


 ローゼン大臣を下がらせ、彼女自身もすぐさま自室に戻って息苦しい白粉を落とす。

 洗面台の鏡に映った己の顔を改めて見つめてみると、何とも悪党らしくなったものだと妙な達成感を覚えてしまう。

 これで少しは彼に追いつけただろうか、とも脳裏に過った。

 マフィアとの抗争に興じる彼の自由さは、やはり、憧れる。

 また機会をみて船に乗ろう。

 今度はメリッサも乗せてあげたい。

 生まれて此の方、宮殿の中しか見たことがない彼女にも、あの広く蒼い世界を見せてあげたい。

 そんな母心めいた想いを抱きつつ、彼女はソファに身を横たえて天井を見つめ、思索に耽った。

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