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報告 ③

 帝国の物資食料を管理統制する内務省に、特に食料生産について司る農務部があり、秘書を通して農務長官に女帝の言葉をしかと伝えたアーデルベルト公は、一日の仕事を終えた晩に、自身の私室にてとある人物を呼び出した。

 暖炉に火を灯して部屋を温め、応接用のテーブルにとっておきのワインとグラスを二つ用意していると、間もなく部屋の扉をノックして呼び出した人物が尋ねてきた。


「失礼致す。アーデルベルト宰相閣下、参謀総長クラウス・カールハインツ只今参上仕った」


 黒地の肋骨服の軍服に純白の肩マントを纏い、腰には純銀の装飾が施された指揮刀が吊るされ、胸に無数の略章をつけた、アーデルベルトと同い年の歴戦の老将が直立していた。

 帝国陸軍元帥にして、統帥権を有する最高権力者たる現女帝を除いて、実質的な帝国軍の総司令であるのがこのカールハインツである。

 対南方王国軍に関するあらゆる作戦は彼を首魁とした統合参謀本部が立案し、ローズを始めとした実戦部隊指揮官へ命令を伝達する。


 同時に、戦争に関するあらゆる疑問を女帝から下問されるため、膨大な情報と知識を備えていなければならないのが強大な地位に対する悩みでもあった。

 それ故か、軍帽を脱いだ彼の頭部は頭髪が全て抜け落ちており、また頭皮には若かりし頃に受けた刀傷が生々しく残っていた。

 親愛的に着席を促したアーデルベルト公に従い、同じ年齢とは思えぬほど機敏でスマートな動作で席に腰を下ろしたカールハインツは、テーブルに置かれたワインに視線が釘付けになった。

 彼が何を考えているのかすぐに読み取ったアーデルベルト公は、自らの手でコルクを抜き、グラスに注いでいく。


「我らが女帝陛下に」


「帝国の勝利と栄光に」


 カチンという軽快な音と共に一杯目のワインを飲み干すカールハインツ。

 逆にアーデルベルト公はワインの香りと味わいを舐めるように楽しみ、早速二杯目を手酌で注いでいく盟友ともを微笑ましく観察する。


 酒樽空けても尚素面、との酒豪ぶりは健在らしい。


「参謀総長、もう少し味わって飲んでも良いのではないかね?」


「おお、宰相閣下。これは失敬。小官、どうにも酒となれば味より酔いを求めるゆえ」


 失敬と言いつつ全く悪びれないあたりも相変わらず。

 瞬く間にワインを瓶の半分ほど喉に流し込んだカールハインツは、わざとらしく咳払いをし、グラスを手放す。


「いや、お陰様で喉も潤いましたぞ。して小官を何用あってお呼びになられたのか?」


「ふむ。ようやく本題に移れる。参謀総長、けいの目から見て、この戦、どうか?」


「どう、とは? 勝てるか否かという問いでありますか?」


「勝敗も然ることながら、懸念すべきことがあるかどうか聞いておきたくてな。文官一筋の小生は軍事に疎いので、政治戦略はともかくとして、戦術論やら用兵論やらはとんと分からん。ただ、人事面などで戦争遂行に問題ありとなれば、こちらも協力出来る」


 するとカールハインツは訝しげに眉をひそめた。

 アーデルベルト公が何を言いたいのか、何となく察したからだ。

 しかしカールハインツはトボけたように天井を見つめた。


「はて、我らが精鋭に問題のある人物などおりますかな? 陸軍に於いても各軍団長、師団長ともに勇者揃いであるし、海軍に於いてはかのローズ・ドゥムノニア中将を筆頭に敵を撃滅するに足る陣容であること、疑いなし」


「ドゥムノニア伯爵か……彼女の忠誠心は誠に帝国軍人として、また貴族の一員として見上げたものであるが、少々陛下への心酔がすぎるように小生には思える。若い故に熱くなりすぎる傾向もあり、直情径行で、よく言えば生真面目、悪く言えば柔軟性に欠ける。社交界にも軍服を着て出る有様だ。当主とはいえ、女は女らしく振る舞って貰いたいものであるな。亡き父君も神の身許で嘆いておるのではなかろうか」


「ははは、あの娘はそれが取り柄で御座ろう。誠に天晴な心意気ではないか。女の身でも男の数倍の働きをする。実力主義者たる陛下の覚え目出度きことも納得がいくというもの。陛下の生まれも身分も問わず、才能ある人物を登用する方針は、小官の記憶では閣下も支持されていたはず」


 確かに、彼女が帝国内の奴隷を解放したとき、身分も人種も問わずに能力あるものは然るべき役職を与えるように議会へ提案した折、アーデルベルト公はこれを支持した。

 ただし、彼の内心では帝国の将来を担うに相応しい真っ当な人間たちに限った話しで、少なくとも賊の類に頼るつもりなどは毛頭ない。


 しかし既知の通り、女帝の玉座を大公から取り戻した救国の英雄は、他ならぬ賊であった。

 アーデルベルト公は忸怩じくじたる思いで事実は事実として受け止めているが、やはり賊は賊というべきか、聞こえてくる彼の者の評判はどれも悪いものばかり。

 そういう輩が宮中に自由に出入りし、女帝に対してタメ口を効くというのは、あまり気持ちのいいものではなかった。

 カールハインツは手巻きの煙草に蝋燭の火を灯しながら、アーデルベルト公の心中を察する。


「貴公の如き文官でも、小官の如き武官でも、肝要なのは帝国に対する功の大小で論ずるべきではないか? たとえそれが賊であろうとも」


「参謀総長……卿は、彼の者が宮中を闊歩し、陛下に対し不敬な物言いをするを見過ごすと言うのか? 帝国の法も、権威も、秩序も意に介さぬ傍若無人の輩を」


「そういう輩さえも御自分の器の中身とされる我が君の人徳とも言えよう」


「ふふ、物は言いようであるな。だが帝国の汚点であることも違いあるまい?」


 汚点の二文字に、カールハインツは憂いた顔を浮かべた。


「汚点、か。小官が愚考するに、レイディン卿は少なくとも人生の九割は海上に在ることだろう。あるいは名誉の戦死を遂げるかもしれぬし、あるいは波浪の泡と消えるやもしれぬ。今でこそ汚物だが、歴史という荒波が綺麗に洗い流すかもしれん。少なくとも彼の者とて一人の個人にして一人の人間。いつかは必ず死ぬる。だが、宰相殿、目を向けるべきは、我が国内に潜む汚点、いや汚物そのものというべきではないか?」


「例の、共和主義者……という連中かね?」


「然り。皇祖より連綿と続く帝政を打倒し、民衆の内より指導者を輩出し、真の自由を得るとか吐かしておる夢想家共のことよ」


 アーデルベルト公も噂はそれなりに耳にしていた。

 帝都の他に、地方の農村などで怪しげな論師が民衆の解放を称して演説を行い、治安維持部隊に追い掛け回されているという。その報告を聞いたとき、アーデルベルト公は鼻で笑った。


「この帝国の根幹を揺るがすなど、大それたことを言う。所詮は路傍の石に過ぎまい。参謀総長、陸軍の力を以ってすれば雑草を抜き取るが如く、容易く鎮圧出来るのではないかね?」


「それはそうなのだが……我らが皇祖、偉大なる神君エゼルベルト・ブレトワルダ様もまた、元はと言えば一介の農夫であったではないか。その一介の農夫が、神より与えられた人徳によって人の輪を紡ぎ、当時七つの部族が争い合っていたこの国土を遂に統一なされたことは、国史の大家でいらっしゃる閣下ならば熟知されておろう。たとえ路傍の石の如き小さな思想であっても、帝政を快く思わぬ連中に延焼すれば、取り返しがつかぬことになるやもしれぬ」


 皇祖と不義不忠の思想家を同列に扱うカールハインツの言葉にアーデルベルト公はムッとするが、その理論自体に反論の余地は無く、彼は話題を先へ押し進めていく。


「参謀総長、だからこそ卿に治安維持の強化を願っておるのではないか。ただでさえ今は、南方王国との戦の最中なのだ。この機に乗じて不穏の企みが横行し、陛下の御心を煩わせることだけは避けたい」


「無論、小官も国内の安寧に尽くし、敵を打ち倒す所存である。それが陛下より剣を賜った者の務め。願わくは、陛下より筆を賜った貴公には、厳正な法治を願い申し上げる」


 潮時と見たのか、カールハインツは軍帽を被って起立する。

 アーデルベルト公も疲れを覚え、部屋の入口までカールハインツを送った。


「次は卿の部屋で酌み交わすとしよう」


「是非もなきこと。共に勝利の美酒に酔いましょうぞ」


 友の凛々しい背が長い廊下の角を曲がる瞬間まで見つめていたアーデルベルト公は、今更ながらにワインに酩酊し、手早く寝間着に着替えて寝床に身を横たえた。

 瞼を閉じれば、草葉の陰におわす先帝の尊顔が浮かぶ。

 女帝を、我が娘を頼むと訴えられているようで、アーデルベルト公は目の端に涙を浮かべながら深い眠りに落ちていった。

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