表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
130/255

策謀 ⑤

 無数のチップが飛び交う中、真っ先に彼を迎えたのは黒豹でもグレイスでもなく、長男のポルコに仕える男性秘書だった。

 巨漢の三兄弟の秘書をしている割にかなり小柄で、黒の革スーツに身を包み、身長は頭頂でもヘンリーの胸の辺りで止まっている。

 曲がりなりにも女性である黒豹より背が小さいというのだから迫力には欠けるが、それでも無機質で冷徹な空気は他の者を圧倒するに十分だった。

 それから間もなく黒豹とグレイス、そして水夫たちも駆けつけ、ヘンリーたちの周囲を組織の用心棒らが取り囲んだ。

 互いに得物に手を伸ばし、険悪なムードにも包まれるが、秘書が掲げた右腕が用心棒たちの動きを制していた。

 ヘンリーはグレイスに預けていた上着と帽子を着込みながら、秘書に向けて口を開く。


「出迎えご苦労」


「……支配人がお祝いのご挨拶をしたいと申しております。どうぞこちらへ」


 先導する秘書に続いて用心棒らに囲まれたまま特別室へ繋がる廊下を進む。

 そこは周囲が分厚い石の壁に囲まれ、途中に職員の休憩室や仮眠室、あるいは用心棒の詰め所などが設置されて、表の派手で絢爛な空間とは天地の差があった。


 ふとグレイスの様子を伺うと、彼女は賭けで得た賞金を両手で握りしめている。

 彼女が背負った借金と同じ額の札束。

 これをあの兄弟に叩き返し、幼少の頃から奪われていた自由を得るのだ。

 父から受け継がされた謂れのない業も、母と自身を奈落へ追いやった理不尽も、今日これっきりで断ち切るのだ。


 そういう覚悟の炎を瞳に燃え上がらせるグレイスの熱意を背に感じつつ、ヘンリーは通路の最奥にある階段に足をかけた。

 暫く階段を登っていくと、やがて黄金の取っ手がつけられた豪奢な扉が現れ、その前に護衛の男が二人立っている。

 そこで秘書が振り返り、ヘンリーに向かって手を差し出した。


「支配人の前で武器の持ち込みは許可出来ません」


「俺に許可を下せるのはアノ小娘だけだ。なに、心配は要らん。挨拶だけだからな」


 手の甲で秘書の矮躯を払い除け、扉の前に立ちはだかる二人の護衛の肩を掴んで左右に押しやると、無遠慮に扉を引いた。

 ヘンリーはてっきり部屋の中には凶器を手にした物騒な連中がごった返していると思っていたのだが、存外なことに、部屋の中にはポルコを始めとした三兄弟だけがずらりと並んで待ち構えていた。

 代表者としてポルコが親愛的に一歩進み出る。

 遠目に見ても肥大した巨躯であったが、改めて近くに寄られると流石のヘンリーも心中では舌を巻く。


 果たしてこの酒樽の如き肉体に銃弾が通用するのか、カットラスの刃が通るのか、些か不安を覚えてしまう。

 人間というのは厄介なことに内面よりも外面に目を向ける。

 この三人の巨人を前にすればそれだけで勇ましい心は小鼠の如く陰へ逃げ出し、また背後に立てばトラを得た気分になるだろう。

 たとえ内面が味方にすら銃口を向ける暴虐の徒であろうとも、それを見抜けぬ心弱き凡人は従わざるを得ない。

 と、そこまで考えたところでヘンリーは差し出された手を握り返す。


「ご挨拶が遅れて申し訳ない。支配人のポルコともうします。ミスター・ジョン・エイヴリー、いや、帝国准男爵ヘンリー・レイディン卿。偽名ではなく本名を名乗って頂ければ、こちらからお出迎え出来ましたものを、お人が悪いですな」


 慇懃な言葉遣いではあるが、その声色の中に歓待の意は含まれていなかった。

 望むところだとヘンリーも被っていた帽子を取って形式だけの会釈を送る。


「グレイ・フェンリル号船長。ヘンリー・レイディンだ。この国の屋台骨を支える男がどれほどの者か、つい試してみたくなった。それに人が悪いのはお互い様だろう?」


 ヘンリーはあくまでも私掠船の船長であることを示し、懐から取り出したパイプを咥える。


「俺はアンタらとの勝負に勝った。そこで一つ記念の景品として貰いたいものがある」


「はて、何を?」


 次男のセルドが尋ねると、ヘンリーは背後に控えていたグレイスの肩を優しく掴んで三兄弟との間に出す。


「この女の命、俺が頂戴する」


「その娘にはまだツケを返して貰ってはいないのだが?」


「既に返しただろう? お釣りが来るほどに」


「というと?」


「俺を此処へ連れてきた」


 次男と三男がぽかんと口を開ける中、ポルコだけは得心したように頷く。


「成る程。確かに借金に比べるべくもなき出会いだ。よろしい。好きになさるがよい」


 ポルコは秘書に命じて彼女の借用書を持ってこさせ、ヘンリーに手渡す。

 ヘンリーはそれをグレイスの手へ流した。


「お前さんを縛る鎖だ。やっちまえ」


「……ええ!」


 グレイスは皆が見つめる中で借用書を破り、ヘンリーがさりげなく手に取ったパイプの燻る火によって、彼女は解き放たれた。

 ヘンリーは燃え尽きた灰を息で吹き飛ばし、ポルコに向き直る。


「さてケジメもつけたことだ。俺を祝ってくれるんだろう? 一つ乾杯でもしたいところだな」


 と、ヘンリーは先ほどまで兄弟が座っていたソファに腰を下ろし、国という国から取り寄せた一級品の酒が並べられた棚に視線を遣った。

 銘柄はポルコに任せ、グラスに帝国産の赤ワインが注がれて、ポルコもヘンリーの隣に腰を下ろす。


「ときに、ロッシュ・ファミリーの件を覚えているかね?」


 グラスのワインを一口で飲み干したポルコが尋ねる。


「ロッシュ? ああ、ニューウエストの連中にそんなのがいたな。それがどうした?」


「おかげさまでこちらの商売がやりやすくなってね。いずれ、帝国にも我が看板を掲げた店を出す予定だ」


「……ほう。そりゃあ楽しみだ。南方王国との戦が終わったときは、是非寄らせて貰おう」


「女帝陛下もお気に召すと確信しておる。部下から聞いたところによると、貴公の子分衆が帝国の大使館に出入りしているとか。この国が戦火に巻き込まれないことを願って止まぬ」


「懸念は無用だ。他国を訪れた旅人にとって、母国の旗を掲げる大使館や領事館は、いわば別荘のようなものだ。故郷の話を聞きたい女々しい連中も中にはいる。それに俺も、どういうわけか帝国の爵を賜った身だ。戦果の報告はせねばならん。誠に面倒なことだが。出来れば気儘な一介の私掠船に戻りたいものだ」


「ハハハ、労働者階級の者共が聞けば贅沢な悩みだと激怒するであろうな。我々とて、元は一介の土建屋から身を起こした。気持ちは分からんでもないが、今の地位を手放すつもりもない。富と権力はときに権威に勝る。人は我々を無法者、社会の敵と呼ぶ。しかし一国を起こした古今の権力者とて、元はロクデナシだった。違いは一つ。戦いに勝ったか、負けたか、だ」


「輝かしい御高説だ。帝都でふんぞり返っているボンボン共に聞かせてやりたいね。だがこの戦に勝った者が世界の首魁となるだろう。この国もいつまで日和見に興じるつもりかねえ。誰かがへっぴり腰を蹴飛ばさんと目覚めんのかも知れん」


「ほう、最近の海賊は政治を語られるのですかな? 失礼、准男爵閣下」


「ああ、そういうのは止めてくれ。あの下等な貴族共と同列に扱わるのはたまらん。だが、俺は船乗りだ。陸で生きるアンタらとは違う。海を制したものが世界を制する。世界を相手に喧嘩しているんだ。そこが山賊と海賊の違い、さ」


「我々は山賊かね?」


「言葉の綾だ。気にしなさんな。さて、ワインもご馳走になったことだ。俺たちゃそろそろ御暇するとしよう。まだ仕事が残っている」


 ソファから立ち上がったヘンリーは、今度は自分からポルコへ握手を求めた。


「また遊びに来させて貰おう。そのときは是非VIPルームでサシの勝負をしたい」


「おお、それはよい。望むところだ。しかしこちらも仕事があるゆえ、前日には報せて貰いたいものですな」


「くくく、承知した」


 互いに手を取り合って笑い合う二人の眼光は、お互いを獲物と見なす肉食獣の輝きを放っていた。

 外套を翻し、ヘンリーたちが特別室から出ていった後、ポルコは深い溜め息を吐いてソファに身を沈めた。


「兄ちゃん……? どうしたんだい?」


「弟たちよ。今度ばかりは覚悟をしておくがよい」


「あ、兄者?」


「あれは、人物だ。少し甘く見ておった。評判を聞くのと実際に会うのとではやはり違うものだな。奴が船に戻るのを確認したら、港を封鎖しろ。役人には話を通しておく。一歩たりともあの男を船から出すな」


 秘書は無言で一礼し、尾行の人員を選抜した。

 童のようにはしゃいでいた姿から一変し、今では頭を抱え、悩める男となっていた兄を二人の弟は両脇から眺めていた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ